本記事は、大鹿靖明氏の著書『金融庁戦記 企業監視官・佐々木清隆の事件簿』(講談社)の中から一部を抜粋・編集しています。

捜査,ガサ入れ
(画像=PIXTA)

バブル

2年半のパリ勤務を終えた佐々木を日本で迎えたのはバブルだった。カネに糸目をつけず、世界中の不動産や美術品を買いあさり、溢れかえったマネーは奔流となって株や土地に押し寄せた。誰もが日本の国力が向上したと錯覚した時代だった。

大蔵省も大平正芳首相の政策ブレーンだった長富祐一郎官房審議官が主導し、同省のシンクタンクとして財政金融研究所を拡充して経済分析や政策提言を世に問おうとしていた。

佐々木はそこで研究官の職に就き、国際会議の事務方を務めたり、東大助教授らとエコノミストのまねごとをしたりした。

その後、大蔵省が「世情に通じるように」と若いキャリア官僚むけに用意した人事慣行によって税務署長を経験することになり、28歳で岐阜県の高山税務署長を一年間務めた。風情ある小京都の暮らしは、当時の広告のキャッチコピーを借りれば「おいしい生活」だった。一年間という期限つきの旅行のようなものだった。

佐々木が初めて「事件」を経験したのは、そんな浮かれた時代が暗転し始めた1990年7月、名古屋国税局総務課長に着任したときだった。

名古屋国税局のなかでも、強制調査を行う査察部は、同じ建物内にあっても他の部署とは隔絶し、よそからは窺い知れない秘密のベールに包まれていた。バブルの果てに巨額の脱税事件が相次ぎ、国税局の査察官を主人公にした映画「マルサの女」が大ヒットしたばかりだった。一度でいいから、あんな現場を体験してみたいと思っていた。

「好奇心もありました。しかし、それ以上に、税務署長と国税局総務課長を経験しながら現場に一度も足を踏み入れずに過ごして、次のポストに異動していいのだろうか、と。そっちの問題意識のほうが強かったのです」。先輩の名古屋国税局査察部長に「強制調査に連れて行ってください」と願い出たところ、いまでは許されないかもしれないが、「国税査察官」の資格がないのにもかかわらず、OKが出た。大蔵省の外局の国税庁は、ほんの一握りの大蔵キャリアが要職を占めるが、彼ら大蔵キャリアは大多数の職員が携わる税務調査の現場の仕事に自らがかかわることはない。強制調査の現場に同行したがるキャリアは極めて珍しかった。

もっとも査察部の現場は、このころからすでに派手なワイシャツを着ることが多かった佐々木の同行に困惑していたのかもしれなかった。彼ら国税査察官は査察の際に「勝負服」と称して、逆に地味な目立たない服装を着ることにしていたから、ストライプやピンクのシャツを着る佐々木だと人目について仕方がない。佐々木は前日の退庁時、年配の係長からこっそりこう告げられた。「課長、明日は地味な格好で来てくださいよ」。彼はどうやら意を決し、進言したらしかった。地味な格好とは白いワイシャツのことだった。「えっ?白のワイシャツ?持ってないよ」。係長はびっくりして言った。「じゃあ、私がお貸しします」。

こうして査察当日を迎えた。

査察対象は名古屋市のゴルフ場会員権販売会社の社長だった。 それまで脱税といえばラブホテルやパチンコ店が常連の業種だったが、バブルの時代に増えたのは、価格が急騰したゴルフ場会員権の販売会社だった。安いときに売ったふりをして、実は高騰してから売って差額をごまかす手口が横行していた。

社長の自宅を襲う手段は、怪しまれないように細工した特装車だった。当時はまだ珍しかった携帯電話とビデオカメラが装備されたワゴン車で、車体にはクリーニング店の名前を塗装し、商用車のふりをしていた。クリーニング店の店名は当時の国税局幹部の姓からとったものらしかった。

ふだんの社長の行動をあらかじめ確認しておき、相手がゴルフに出かけようとする時間帯を見計らって一斉に査察官が自宅を襲った。査察部長と次長、そして総務課長の佐々木も後から続く。足を踏み入れると、お金持ちのはずなのに、自宅の中はゴミ屋敷だった。キッチンの流しには、汚れた皿や食器が雑然と積み重なり、何日も放置されていたようだった。あまりの汚さに啞然としていると、「こんなのは普通ですよ。脱税をするような人は、すでに生活が破綻している人が多いんです」と、そばにいた査察官が耳打ちする。

家宅捜索(ガサ入れ)中の査察官が「こういうところに隠されているんですよ」とたんすの引き出しを開けると、案の定、引き出しの裏にいくつもの預金通帳が貼り付けてあり、印鑑がたくさん見つかった。「ほらね」。

なるほど。査察官のプロの手法に感心する。

自宅のガサ入れの後、社長の取引先銀行の支店に向かった。先に到着した査察官が貸金庫のある部屋の捜索を始めていた。そこに査察部長と一緒に入っていくと、金の延べ棒と無記名の割引債が無造作に押し込んであるのが見つかった。「やっぱり出てきたか」。それを段ボール箱に詰め込んで押収した。「マルサの女」のような世界が本当にあるんだ。上気した気分になった。

社長の脱税額は三年間に2億7000万円余にのぼった。会員権価格が一年間で二倍に急騰しても、少し値上がりした時点で売ったことにしたり、収入のごく一部だけを「つまみ申告」したりして、全体の収入を少なく申告していた(*1)。

好奇心に由来する体験だったが、刺激的だった。

事件に遭遇すると、アドレナリンが噴出するのだ。


(*1) 1992年2月29日付の日本経済、中部読売、中日3紙による


金融庁戦記 企業監視官・佐々木清隆の事件簿
大鹿靖明
ジャーナリスト・ノンフィクション作家。1965年、東京生まれ。早稲田大政治経済学部卒。88年、朝日新聞社入z社。アエラ編集部などを経て現在、経済部記者。著書に第34回講談社ノンフィクション賞を受賞した『メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故』(講談社)をはじめ、『ヒルズ黙示録 検証・ライブドア』、『ヒルズ黙示録・最終章』(以上朝日新聞社)、『ジャーナリズムの現場から』(編著、講談社現代新書)、『東芝の悲劇』(幻冬舎)、近著に取材班の一員として取り組んだ『ゴーンショック 日産カルロス・ゴーン事件の真相』(幻冬舎)がある

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