本記事は、大鹿靖明氏の著書『金融庁戦記 企業監視官・佐々木清隆の事件簿』(講談社)の中から一部を抜粋・編集しています。

暗号資産,仮想通貨
(画像=PIXTA)

コインチェック資金流出

総括審議官に昇進した佐々木にとって、本来の所掌である金融庁の人事や組織、予算以上に関心が向いていたのは、仮想通貨(暗号資産)だった。

監視委の事務局長時代をそろそろ終えようとしていた2017年4月、いつものように情報収集と意見交換を兼ねて知り合いの弁護士とランチをともにしていると、「仮想通貨の世界がおかしなことになっていますよ」と耳打ちされた。少し前までは数万円だったビットコインの価格は10万円を突破し、なおも騰勢にあった。「これはすげーな」と思いつつ、「さて」と疑問を感じた。株式市場の常識でいえば、相場操縦とか風説の流布のようなことがありうる世界と思ったのだった。

佐々木が監視委に戻ってきて調べてみると、監視委が監視の対象としている新興上場企業R社(仮名)が仮想通貨ビジネスに参入しようと準備を始めていることがわかった。R社は、創業時の事業が競争力を失い、すっかり業態が変わり、株価を上げるストーリーがつくれる出来事なら何でも飛びつくようなありさまだった。監査も、問題企業の駆け込み監査法人として悪名高いところが請け負っていた。

監視委の部下に「仮想通貨は金融庁のどこが担当しているの?」と聞くと、「金融会社室です」という。消費者金融などを担当する部署だった。

すぐ室長に来てもらった。

「監視委からすると、仮想通貨の世界は相場操縦やインサイダーが起きそうに見えるけれど、どんな規制になっているの」

「対応する法律は資金決済法ですから、そうした規制はありません」

そりゃそうだ。

ちょうど同じころ金融庁は資金決済法を改正して、仮想通貨交換業者を規制対象にしたばかりだった。金融・証券分野の規制に限らず、日本の政策は欧米の後追いが少なくないが、仮想通貨に関する規制導入については世界に先駆けるものだった。FATF(マネーロンダリングに関する金融活動作業部会)が15年、仮想通貨を正規の法定通貨と交換する交換所に対して規制を導入するよう呼びかけ、監督当局による免許・登録制にするとともに、取引時の本人確認を義務化してマネロンに悪用されるリスクを予防するべきだとするガイダンスを示していた。しかし、どこの国も監督する機関が定まらず、FATFのガイダンスに従ってこなかったのが実情だった。そんななか、14年に世界最大の仮想通貨取引所のマウントゴックス(東京・渋谷)で資金流出が起きて破綻する事件が起きた日本が、珍しく仮想通貨規制で先􄽃をつけることになった。経済産業省や警察庁が互いに責任を押し付け合うなか、金融庁が所管を引き受けたのである。

仮想通貨業者を規制しようと改正された資金決済法が17年4月施行され、仮想通貨交換業者に登録制を導入するとともに、口座開設時には利用者の本人確認を義務づけた。さらに顧客財産と業者財産を分別して管理することや、金融庁が立ち入り検査や業務改善命令を下すことができるようになった。「キミ、この会社、知っている」。佐々木は、金融庁の金融会社室長に対して、監視委がずっとウォッチしているR社が仮想通貨ビジネスに参入しようとしていることを教えた。

「いや、全然知りません。仮想通貨業者は財務局に登録することになっているので、関東財務局の所管になります」

また財務局か―。金融や証券の世界では、当局が審査して大丈夫なところにお墨付きを与える免許制が一般的だったが、金融ビッグバンなど規制を緩和する動きが進み、登録しさえすれば誰でも容易に参入できる登録制が採り入れられるケースが増えた。登録の審査はあくまでも形式的なものにすぎず、それを利用して悪意を持った業者が参入し、市場を混乱させる事例は次第に増えていった。AIJ 投資顧問もアーツ証券もそうだった。

「なんで、こんなハイテクなイノベーションの最先端の世界なのに、財務局に登録なの? 最先端のテクノロジーは即グローバルだよ」

「登録制だったので財務局、ということになりました」

免許制なら本庁だが、登録制なら地方の出先の財務局という機械的な振り分けで、そうなったようだった。

これはまずいな。担当室長とのやり取りを通じてそう思った。

まだ監視委事務局長だった17年5月ごろ、佐々木は長官の森に「仮想通貨交換業者をこのままにして大丈夫か」と聞かれた。長官は佐々木と同じ問題意識をもっていた。「何らかの対応をしないと、やばいですよ。こんな、従来型の登録の仕組みで、財務局が書類審査だけでパスさせて大丈夫ですかね。後で財務局も管理が大変になりますよ」と佐々木。森は独自のルートで情報を集めていて、関心を持って佐々木の話を聞いていた。

こうした経緯があったから佐々木は七月、総括審議官に栄進したものの、関心は仮想通貨に向いていた。法改正して制度として導入してしまった以上、きちんと対応しないと金融庁に跳ね返ってくる、と思った。森に「これは全庁的な問題にしてほしい」と掛け合って、佐々木が主導して仮想通貨に対処することになった。総括審議官に就任早々の7月、監督局、検査局、監視委、財務局、さらにサイバーセキュリティーの専門家や弁護士、会計士ら30人余を集めた「仮想通貨モニタリングチーム」を発足させた。まずは地方財務局で進んでいた登録の仕方の見直しだった。「従来のやり方だったら一定の書式の書類を提出してもらい、それに対する書面審査のようなものだったんです。それを免許制や認可制とまではいいませんが、かなり厳しい事前審査に改めました」(佐々木)。

まずは業者の役員に面接してビジネスプランなどをヒアリングし、リスク管理の基本的な考え方を聞き出す。そのうえで利用者の情報管理やシステムの強度、マネロン・テロ資金供与対策などを書面や具体的な根拠を持ってこさせて書類審査する。さらに金融庁や財務局の係官が当該企業を訪問して現場の管理態勢を目視して確認する、というプロセスにしたのだ。

金融庁の検査官を実際に仮想通貨業者のオフィスに行かせると、案の定、気になる点が続々と出てきた。マネロンやテロ資金対策に対する基本的な知識がない。システムが脆弱(ぜいじゃく)でハッカーに簡単に攻撃されそう。経営者はまるで学生サークルのノリで緊張感が乏しい。いくつかの業者には佐々木も会ってみた。ノリの軽さに啞然とする。

「顧客から預かった資産で問題が起きたり、システム障害を起こしたりすると、日本の社会は許容度が低いよ」

「わかっています」

「失敗すると袋叩きにあうよ」

「はい、大丈夫です」

万事こんな感じだった。「はい、はい」「よくわかりました」とは言うものの、本当に理解しているかどうかは疑わしかった。

「とてもこんなところを登録させられないなと思うものの、登録制なので登録させないわけにもいかない、かといってあんまり変なのを登録させるわけにもいかない。だからそれなりにかなり精査したんですよ」

代表的な仮想通貨ビットコインの価格は4月に十数万円だったのが秋には100万円を突破していた。人気が爆発するなか、登録希望の業者は40、50社あったが、第一弾として登録できたのはGMOコインやマネーパートナーズ、ビットフライヤーなど十社だった。12月にはさらにDMMビットコインなど5社を登録させることにした。希望していた業者の中からかなり絞り込んだのは、「これはまずいな」という会社を意識的に排除した結果だった。

気になる点があって登録されなかった業者の一つが、コインチェックだった。12年に前身企業が創業され、ビットコインやNEM(ネム)など多様な仮想通貨を扱う交換業者だった。すでに大手の一角だったが、「取引システムが大丈夫かという懸念があって」(佐々木)、意識的に登録を先送りさせてきた。かといってすでに営業している事業を禁じることもできないので、「みなし登録」という運転免許の仮免のような状態にあった。いわば登録にいたるまでの経過観察措置だった。金融庁は、所管の関東財務局を通じてコインチェックにリスク管理態勢などの拡充を求め、それがきちんと履行されているかどうかモニタリングしていた。

するとコインチェックは、17年12月、タレントの出川哲朗を起用して「ビットコイン取引アプリ ナンバーワン」と称する派手なテレビCMを打ち始めた。このころビットコインの価格は遂に200万円を突破する異常な上昇を示していた。佐々木はすかさず「こんなCMを打って大丈夫か。射幸心をあおるようで危ないぞ」と思った。「取扱高の多いビットフライヤーとコインチェックの二社がネット上で互いに競い合うようにしていたんです。急激に取扱高が増えると、システムに負荷がかかって、仮想通貨の流出やマネロン、あるいはシステム障害など何か問題が起きかねません。非常にリスクが大きいと思ったんです」と佐々木。コインチェックを「要注意」とみて登録させないできたのは、システムの脆弱性も問題だったが、扱っている仮想通貨が多様でマネロンに利用されかねない点を心配したからだった。佐々木は、年明け以降、危うい仮想通貨業者に一斉検査に入ることを指示した。

金融庁は通常、免許や認可にしろ、登録にしろ、1、2年間ほど実際に営業をさせてから順次検査に入るというのが常だったが、そうした通常の取り組みとは異なり、登録をするかどうか検討中の段階での異例の検査だった。標的にしたのは、コインチェックのような「みなし登録」事業者15社だった。

そんな準備を進めていた矢先だった。

2018年1月26日金曜日の午前零時過ぎ、コインチェックが扱っている仮想通貨ネムがハッキングによって580億円分(被害者総数26万人)も外部に流出した。社外の誰かがコインチェック社員のパソコンをマルウエア(不正ソフト)に感染させ、外部からネットワークに忍び込み、ネムの秘密のカギを盗み出し、それを使って資金を流出させたようだった(*1)。コインチェックが気づいたのはその日の正午ごろだった。あわてて金融庁に連絡してきた。それを聞いて佐々木は「やっぱりな」と思った。事前に準備をしていたから勝手はわかる。その日のうちにコインチェックに金商法上に基づく報告徴求命令を発出した。その3日後の29日には改正資金決済法に基づく業務改善命令を下し、2月2日にはコインチェックを含むすべての「みなし登録」業者15社と登録業者7社の合計22社に無予告の一斉立ち入り検査に入った。

検査を通じて改めてわかったのは、佐々木が予期していたような危うさだった。一年前には1000億円程度だった預かり資産が、仮想通貨の相場上昇につれて急増し、7000億円にもなっていた。それなのに経営陣は他人の資産を預かっているという意識が乏しかった。中には役 員が意図的に高値の買い注文を出すことによって、仮想通貨の価格を吊り上げる相場操縦めいたことも行われていた。利用者が反社会的勢力の人物であることがわかっていながら取引を継続しているケースもあった。顧客の資産と自社の資産の分別管理ができていないのは、ざらだった。どの事業者も金融にかかわっているという意識に乏しく、儲かりそうだからという安易な意識で参入してきたのは明白だった。「健全に育ってほしいとは思っていましたが、全般的に軽いところが多くてね」。佐々木はそう言って呆れていた。

コインチェックのスキャンダルを目の当たりにし、しかも金融庁の厳しい検査にさらされて、仮想通貨の「みなし登録」業者は耐えられなかった。一斉検査の対象となった16社のうち12社が登録の申請を取り下げ、1社については金融庁が登録を拒否した(*2)。儲かりそうだからと安易な気持ちで参入してきた業者は、プレッシャーに心が折れた。金融庁から見て、暴力団のような反社会的勢力との関与が濃厚な業者もあった。

佐々木はこのときの検査結果を「中間とりまとめ」としてまとめる最中の18年7月、さらに昇進することになった。金融庁は森長官の旗振りによる機構改革によって、従来の総務企画局、検査局、監督局の三局体制が、総合政策局、企画市場局、監督局の三局体制に再編されることになったのである。

佐々木はそこで新設された総合政策局の局長に就くことになった。日本は、仮想通貨を取り締まる法律を世界に先駆けて導入した半面、マウントゴックスやコインチェックなど大規模な不正流出を繰り返し起こした経験がある。コインチェックの問題が起きた後、金融庁が立ち入り検査した結果をもとに「中間とりまとめ」と称する報告書を作成すると、海外から「どんなことがあったのか詳しく教えてくれ」という問い合わせが相次いだ。「仮想通貨は瞬時にグローバルに移動するため、日本だけで規制をとりいれても有効とは言えません。そこで海外諸国と協議して仮想通貨規制の国際標準が必要ではないかと思ったんです」(佐々木)。イメージしていたのは、銀行監督の国際ルールを定めるスイスのバーゼル銀行監督委員会のようなものを日本につくることだった。「そういう国際機関を東京に誘致できたらいいな、と思って。それが当時の私の野望でした」。監査監督機関国際フォーラム(IFIAR)の東京誘致に続く二匹目のドジョウを狙おうとした。

金融庁は、佐々木の発案で18年9月、「暗号資産(いわゆる仮想通貨)に関する監督・監査ラウンドテーブル」を東京で開いた。海外に呼びかけたところ、IMFや米SECなど30ヵ国ほどの規制当局者が集まった。技術の進化や監督体制など4つのテーマについて当局者が互いの経験を持ち寄り、知見を共有する非公開の会議だった。

「仮想通貨規制は日本がイニシアチブをとれる数少ない分野なんです。アメリカは、仮想通貨が州をまたいで移動する場合、資金決済に関しては州が所管していますが、仮想通貨そのものを規制する機関が決まっていないんです。州にするのか、それともSECなのかFRB(連邦準備制度理事会)なのか、どこが受け持つか決まっていない。他の国も同じように、規制の必要性を認識していても、どの役所が担当するかはっきりしていないんです。それに対して日本は金融庁が担当することが決まっていて、しかも、いろんな経験をして知見を蓄積してきているので、この問題はリーダーシップが取れる分野なんです」

翌19年9月には2回目のラウンドテーブルが、前回同様に4つのテーマについて東京で開かれることになった。この準備が最後の大きな仕事になった。開催2ヵ月前の7月に退官することになったからだった。36年間の官僚生活が終わった。「野望」だった仮想通貨の国際規制当局の東京誘致は、実現しなかった。


(*1)金融庁の「仮想通貨交換業者等の検査・モニタリング 中間とりまとめ」(2018年8月10 日)による

(*2)衆議院財務金融委員会会議録による(2018年4月3日)


金融庁戦記 企業監視官・佐々木清隆の事件簿
大鹿靖明
ジャーナリスト・ノンフィクション作家。1965年、東京生まれ。早稲田大政治経済学部卒。88年、朝日新聞社入社。アエラ編集部などを経て現在、経済部記者。著書に第34回講談社ノンフィクション賞を受賞した『メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故』(講談社)をはじめ、『ヒルズ黙示録 検証・ライブドア』、『ヒルズ黙示録・最終章』(以上朝日新聞社)、『ジャーナリズムの現場から』(編著、講談社現代新書)、『東芝の悲劇』(幻冬舎)、近著に取材班の一員として取り組んだ『ゴーンショック 日産カルロス・ゴーン事件の真相』(幻冬舎)がある

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