本記事は、江口克彦氏の著書『こんな時代だからこそ学びたい 松下幸之助のリーダー学』(アスコム)の中から一部を抜粋・編集しています

目標は、ぎりぎり達成できる高さにする

ゴール
(画像=CORA/PIXTA)

目標は、あくまでも適切なものでなければなりません。全体の目標にしても、個人の目標にしても、その実力に応じて、達成の意欲が高まるように設定される必要があります。

100の力を持っている人に1000の力のいる目標を与えたのでは、〝上司はムチャばかり言う〟と、かえってやる気を失ってしまうし、反対に、50の力でできる目標を与えれば、〝なんだ、バカにして〟と、これまた意欲の低下をきたしてしまう。

だから、人を育てようとする場合には、各人の能力や適性をよく見極めたうえで、適切な目標を与えることが大切なのは言うまでもありません。

そして、仕事を達成した時点で、成果について正しい評価を行えば、部下はそれによって自信を得、また新しい困難な仕事に取り組もうという意欲を湧かせます。それに対して上司は、さらに高い目標を与えていきます。こうしたプロセスの中から、人の能力が磨かれ育っていくのです。

〝窮すれば通ず〟という言葉がありますが、窮すれば集中力が生まれるからであろうか、思わぬ知恵や力が人の心に生まれてきます。

例えば、1週間かかってつくっていた資料を、何かの事情で3日でつくらなければならなくなった。〝さあ大変、これはちょっと無理かな〟と考えたことでも、やってみればなんとかできた、といった経験は、誰もが持っているでしょう。

部下に目標を与え、こうした〝窮した状況〟をつくりだすことも、リーダーが人を育てるためになさねばならない大切なことのひとつです。

目標は自分で決めさせる

たとえ適切な目標であっても、一方的、命令的に与えたのでは真に力強い目標にはなりません。

人間には、自分から言いだしたことについては一所懸命になりますが、他人から言われてしぶしぶすることには力が入らないという一面があります。

だから、その目標が、それぞれの社員に、自分のものとして受け取られるような工夫をすることが大切です。

例えば部下に対して、「全体の目標はこうだ。そこで、君の目標はこのあたりにしたいのだが、どうだろう。君の力からすれば大丈夫だと思うが……」と相談をかけてみます。すると、その社員は自分の考えを言うでしょう。それが、〝なるほど〟と思えるものであれば、取り入れて目標を決めていくようにします。

そうすれば、部下はその目標を自分が決めた「わが目標」として受け止め、目標達成への努力にも熱心さが加わり、生き生きとした活動を展開してくれるでしょう。

君は「素直さ」を持っているか

私が、松下政経塾の参与をしていたとき、塾生が相談に来ることが多くありました。昭和54年(1979年)、21世紀を担う政治家や実業人を育てたいという願いから、松下幸之助が神奈川県の茅ケ崎に設立した塾です。

昭和62年(1987年)頃でしたでしょうか、塾生のK君が訪ねてきました。そして、「どうも自分は政治家には向いていないように思う。実業界で仕事をしたいけれどもどうだろうか」と言うのです。そこで、「君、そういうふうに本当に思うんだったら、実業界に行けばいいと思う。自分の人生なのだから、自分が納得した道を歩めばいい。チャレンジしてみればいいんじゃないか。私も応援するよ」と答えました。

「ところで何かあてでもあるのか」

「いや、実は先だってあるパーティーでA社の社長にお会いしましてね。うちの会社に来ないかと言われたんです。A社をどう思われますか」

「A社はいい会社だよ。いい会社だけれど、パーティーで社長に声をかけられたからといって、それだけで行くというのは軽率だよ。本当に受け入れてくれるのかね」

そんな話をしましたが、しばらくして、K君がまたやってきました。

「入社しました。社長室に配属になりました。これから大切なことはなんでしょう」と言うので、「今からすぐ社長のところに行って、こう言いなさい。私はA社に自分の命を懸けたいと思う。そのためにA社のすべてを知る努力をしたい。そのために自分を仕事の一番厳しいところに配属してほしい。できることなら営業所、それも地方のほうがありがたいと」。こういうアドバイスをしたのです。

その後間もなく、「長野営業所に決まりました」と報告にやってきました。そこで私はまたこう言いました。

「長野に行ったら2つのことが大事だと思う。それは、3年間は辛抱すること。もう1つは、その3年間に1回でもいいから全セールスマンのトップになることだ」

私はそう言いながら、本当にトップになるとは思っていませんでした。努力目標を持ってほしかったのです。ところが、驚いたことには、彼は11カ月目でトップに立ってしまいました。私は、所用で上諏訪へ行った帰途、松本に彼を呼び出しました。

「おめでとう、本当によくやったな。しかし、3年間は辛抱しろよ」

「はい、そのつもりです。もう1回トップが取れるよう努力します」

「ところで、トップを取るためにどのような努力をしたんだ」と聞いてみますと、彼は、競馬や株、お茶やお花などの勉強をしたというのです。商品を売るということにも、その家の奥さんやご主人の趣味に合わせて話を進めていかなければなりません。一所懸命勉強をしながら、朝から晩まで走り回ったというのです。

それから半年ほどたって、本人から電話がかかってきました。「社長が本社に戻ってこいと言うのですが、どう考えたらいいでしょうか」ということでした。私は「それもいいだろう」と言っておきました。

彼は本社に戻り、経営企画室に配属されました。

私はそのときにも2つのことをアドバイスしました。

「君は社長に引っ張られて会社に入った人間であるだけに、ほかの社員の中には快く思っていない人もいるかもしれない。だから最初は自分の意見を言うことをできるだけ控え、とにかく勉強することだ。もっと会社のことを知ってから発言をしたほうがいい。もうひとつは、機会があったら社長のところに行って、『自分はできることなら、できるだけ小さい子会社に行かせてほしい』と言いなさい」と言ったのです。なぜかといえば、男のロマンというのは、大きいものを大きいままに保つのではなく、小さいものを大きくしていくところにあると考えたからです。

彼は、社長にそう言いました。社長は大変喜んだといいます。なぜなら、〝土日株式会社〟の発想を持っていたからです。日頃、会社で自分の本当の力が発揮できずに仕事をやっている人で、休みの土曜日、日曜日に存分に自分の持っているものを発揮したいと思っている人がいるはずで、そういう人々を集めて会社をつくったらどうか、というアイデアを温めていたからです。

社長は、「そんなにやる気があるなら、一億円の会社をつくって、その社長になれ」と。そういうことならばと、彼はコンピュータ・ソフトの会社をつくりました。ベンチャービジネスにおける弱冠29歳の社長の誕生です。ここで言いたいのは、私のアドバイスがよかったということではありません。K君が私のアドバイスを自分の心からの目標にまで昇華させ、それに向かって懸命に努力した、それがよい結果につながったということです。

いずれにしても、ひとつの目標を達成したら、また次の目標を、というように、適切な目標をタイミングよく示し続けるのが、リーダーにとっての大事な仕事です。その大事な仕事の遂行に怠りがないか、日々チェックしていくことが、人を生かし育てるためにやはり欠かせない心得だと思います。

こんな時代だからこそ学びたい 松下幸之助のリーダー学
江口克彦(えぐちかつひこ)
一般財団法人東アジア情勢研究会理事長、台北駐日経済文化代表処顧問等。1940年名古屋市生まれ。愛知県立瑞陵高校、慶應義塾大学法学部政治学科卒。政治学士、経済博士(中央大学)。旭日中綬章、文化庁長官表彰、台湾・紫色大綬景星勲章、台湾・国際報道文化賞等。故・松下幸之助氏の直弟子とも側近とも言われている。23年間、ほとんど毎日、毎晩、松下氏と語り合い、直接、指導を受けた松下幸之助思想の伝承者であり、継承者。松下氏の言葉を伝えるだけでなく、その心を伝える講演、著作は定評がある。現在も講演に執筆に精力的に活動。参議院議員、PHP総合研究所社長、松下電器産業株式会社理事、内閣官房道州制ビジョン懇談会座長など歴任。著書に、『最後の弟子が松下幸之助から学んだ経営の鉄則』(フォレスト出版)、『凡々たる非凡―松下幸之助とは何か』(H&I出版社)、『松下幸之助はなぜ成功したのか』『ひとことの力―松下幸之助の言葉』『部下論』『上司力20』(以上、東洋経済新報社)、『地域主権型道州制の総合研究』(中央大学出版部)、『こうすれば日本は良くなる』(自由国民社)など多数。【編集部記】

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