本記事は、江口克彦氏の著書『こんな時代だからこそ学びたい 松下幸之助のリーダー学』(アスコム)の中から一部を抜粋・編集しています
仕事を任せて裏切られても、「部下を育てる授業料」と心得る
人間は、いわばダイヤモンドの原石のようなものと言えるでしょう。
それぞれが光り輝く大きな可能性を秘めています。目標を目指し、みずから創意工夫を重ねるとき、その可能性が輝き現れてきます。そして、そのことに本人も幸せを感じるのです。
任せて裏切られるとか、損をするとかいうことも、ときにはあるかもしれません。しかし、たとえそういうことがあっても本望だ、それは社員を育てる授業料だ、というぐらいに徹することができれば、社員はその信頼に懸命に応えてくれるものだと思います。
そうした人情の機微に通じるところにも、人を生かし育てるひとつの道があるのではないでしょうか。
最近では、ホールディング・カンパニー制を試みるところも少なくありません。ひとつの部門を会社の中の会社と見なし、売り上げから利益、資金まで、すべての管理運営をその部署の責任者に任せているところもあります。
また、独立した会社が2年間赤字であれば、その部門の責任者は責任をとって辞めなければならないとか、反対に利益をあげた部門の社員には、利益を還元するといったルールを決めているところもあります。
変化の激しく厳しい時代を生き抜く、すぐれた経営感覚を持った人材を育てるためには、こうした方法もきわめて大切なことのひとつではないでしょうか。
人材育成は、部下との真剣勝負である
もし部下に100パーセントを求めるのであれば、自分も100パーセントできるか、少なくとも100パーセントを目指さなければいけません。
部下にだけ厳しい追及をして、自分はいいかげんなことをしていれば、部下は、〝リーダーは厳しいことばかり言うが、言うだけじゃないか〟と意欲を失い、ついてはこないでしょう。
追及するということは、するほうもされるほうも大変ですが、真剣な追及によって人はまた真剣になり、磨かれていくのです。人材育成は相手との真剣勝負なのです。
リーダーはそのことを自覚し、追及のエネルギーを枯れさせないよう努めていかなければなりません。たしかに厳しく追及していけば、反発されたり、うらみを買うこともないとは言えません。
しかし経営はなんといっても人次第です。人を生かし育てていくために、リーダーは追及者であることを決してやめてはいけません。
「任せる」とは、放任することではない
リーダーが部下に仕事を任せるにあたって怠ってはならないのは、任せたあと、必ず適時適切なフォローをするということです。
いかに人の性は善であり、信頼に値するとはいっても、任された仕事に関して、そのあと、責任者からなんの質問も追及もなく、任されっぱなしということになればどうでしょうか。それでも終始マイペースで、自分を鍛え向上させ、勤勉に励んで成果をあげていくという人もいるかもしれません。しかし、そういう人はいてもごくわずかでしょう。
人はとかく易きにつきやすいもので、他人の目や関心が寄せられていないと、ついついなすことにもうひとつ力が入らないといったことになりがちです。また他人から追及され、責められて、どうしてもやらねばならないところに追い込まれて、はじめて自分でも思わぬ能力が発揮できるということもあります。
だから、仕事を任せてそれっきりというのでは、本当に人は生きません。適時適切に報告を求め、足りないところを追及していくことが必要なのです。
任せた社員が壁にぶつかり、思い悩んでいれば、適当な助言や励ましを与えなければならないし、仕事の期限が迫ってくれば、ときに厳しい督促あるいは確認の言葉をかけることも必要です。
もちろん、任せた以上、あまり細かなことまで口を出すべきではありません。ある程度大目に見ていくことがその人を動かし育てることになると考えられます。しかし、もし、〝これはいけない〟と思うことがあれば、はっきりと言わなければなりません。
任せるということは放りだすことではありません。リーダーには、リーダーとしての最終的な責任があります。任せたあとの追及を怠ることは、自分が選んだ人を、みずから捨て去ってしまうのと同じです。リーダーとしては無責任と言えるでしょう。
とにかく、「任せっぱなし」では、人は育ちません。
※画像をクリックするとAmazonに飛びます