本記事は、大下英治氏の著書『論語と経営 SBI北尾吉孝 上 激闘篇』(エムディエヌコーポレーション)の中から一部を抜粋・編集しています。
野村證券を選ぶ ―― 人生意気に感ず
北尾は、大学4年生となり、金融機関に進もうと思っていた。金融機関の花形は、なんと言っても銀行であった。
北尾は、成績がよかった。54教科あるうちの、49科目で最高評価の「A」、残りの5教科が「B」評価であった。そのために、入社試験はたいてい面接だけであった。
経済に関することを聞かれれば、まわりの受験者よりも鋭い返答を試験官たちに返すことができた。
野村證券の最終面接では、
「きみたちは、うちに入って、何がしたいのか」
一緒に面接を受けた学生たちは、素直に、自分の行きたい部署、自分のしたい業務を口にした。
ただし、北尾は、大人びたことを言った。
「私は、就職を決める前に、先輩諸氏から仕事についての説明を受けましたし、会社のいろんなお話をうかがいました。けれど、実際に働いてみるまでは、どこで何をやりたいとかいう希望はありません。ただし、どこで働いても、世界経済の中の日本経済、日本経済の中の金融機関、金融機関の中の野村證券というように、いつも3つの側面で考えていきたい。そして、その中で与えられた場所で粉骨砕身頑張ります」
その言葉に、伊藤副社長も感心したらしい。
面接の後、北尾は、人事担当の課長に呼び止められた。
「きみの答えを、副社長がえらく褒めていた。『あいつは、おまえらには任せん。おれが直接教育する』と言っていたぞ」
野村證券でも、北尾の優秀さを認められた。
北尾は、受けた金融機関すべてで内定をとった。しかし、北尾が目指していたのは、三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)であった。やはり三菱銀行は他行に比べ格が違う。北尾は「行くなら三菱」と、試験の準備を進めていった。
いよいよ、三菱銀行の試験前夜、北尾の下宿の部屋に、思わぬ訪問者が訪れた。慶應義塾大学経済学部の先輩である
北尾は、篠崎には、三菱銀行に就職するつもりだということはすでに伝えていた。
篠崎は、近くの酒屋で買ってきた2本のウィスキーを手にしていた。
「今日は、就職の話はいいんだ。せっかくのご縁だから、先輩後輩でちょっと最後に酒を飲もうと思ってきたんだ」
二人は、ウィスキーを
篠崎は言った。
「この下宿には、北尾君の親戚もいるんだろ。みんな呼んで、飲もう」
北尾の世話になっている下宿には、他に4人の下宿人がいた。そのうちの2人が北尾の親戚で慶應義塾大学に通っていたのである。
北尾は、楽しい酒の余韻を抱きながら、帰って行く篠崎の背中を見つめていた。
〈「士は、己を知る者のために死すとも可なり」か……〉
司馬遷の『史記』の「刺客列伝」の一節や、「人生意気に感ず」、諸葛孔明の「三顧の礼」などの言葉が、脳裏をよぎった。
さすが野村證券のトップ営業マンである。人情の機微を理解し、相手をもてなすのが実にうまかった。自分は一滴たりとも酒が飲めないのに、慶應の仲間まで招いて酒盛りをし、ほどよいタイミングで帰って行った。
翌日、北尾は、丸の内にある三菱銀行を訪れた。
北尾が口にした言葉に、人事部担当者は目を
「北尾君、きみ、今、なんて言ったの?」
北尾は、もう一度、はっきりと口にした。
「私は、野村證券でお世話になることに決めました。折角なのですが、三菱銀行さんとは御縁がなかったことにしてください」
担当者は、北尾の説得にかかった。自分ではとても説得しきれないと覚るや、上司を呼んできた。
それから、入れ替わり立ち代わり、さまざまな肩書きの人々が北尾の前にやって来た。なかには、あからさまに「野村證券はだめだ」と言う人もいた。
そのような言葉は、北尾の岩のような決意を頑なにするばかりであった。
北尾は、数時聞経ってやっと説得から解き放たれた。
その翌日、野村證券人事部へと向かった。
先輩である篠崎は、北尾と向き合うと言った。
「わざわざ、あいさつなんかに来なくてもよかったんだよ」
てっきり、断りのあいさつに来たものと思いこんだのである。
「いえ、僕は、野村證券でお世話になろうと思っているんです」
「えッ、本当かい!?」
篠崎は、信じきれないといった顔のまま、しばらく言葉を継げなかった。
北尾は、篠崎に深々と頭を下げた。
「どうぞ、よろしくお願いします」
「そうか、よくぞ、決意してくれた」
篠崎は、顔をクシャクシャにしてよろこんだ。これ以上ないほどの歓待ぶりだった。
「テストなんか何もする必要ない。健康診断だけ受けてくれ」
しかし、北尾のまわりは、残念がった。
「なんで、三菱銀行に行かなかったのか?」
当時の社会的ステータス、同じ金融機関であっても、銀行と証券では月とスッポンとも言うほどの差があった。まわりが、信じられないといった顔をするのは、当然であった。北尾が野村證券に入社するのに賛成したのは、わずか2人だけであった。
その一人は、父親の精造であった。
精造は、北尾に言った。
「野村證券は、戦後、最も伸びた金融機関だ。おまえがこれから働く30年間でも、最も伸びる金融機関だと思う」
北尾は、父親の、物を見る目が確かであることをよく知っていた。
さらに、北尾のゼミの先生で経済学部長であった
「私は、校長もやったことのある慶應ビジネススクールの関係で、
さらに、北尾の背中を押すように勧めた。
「北尾君、銀行はエリートばかりが集まって競争が大変だ。それもつまらない競争が多い。僕から見ると、野村證券のほうが面白いと思うけどね」
話はトントン拍子に進み、他の4年生と比べていち早く就職が決まった。ところが、思ってもみないことが起きた。北尾が入社前に受けた健康診断で、意外な結果が出たのである。
人事部次長であった
「医者がゴチャゴチャうるさいので、もう一度、健康診断に行ってくれないか。どうやら血圧が高いらしいんだ」
北尾の血圧の値は、異常なほど高かった。正常値は上が130までというのに、なんと、190もあった。体質的な、本態性高血圧だという。北尾にも身に覚えがあった。時々、原因不明のめまいが起きていたのだ。
北尾は翌日、再び高橋という嘱託医の診断を受けた。鈴木も一緒であった。
北尾が診断を受けたあと、鈴木は、高橋医師と長いこと話していた。
その後、医者から、ストップをかけられることはなかった。人事の鈴木がこれほど評価している人材を、高血圧を理由に退けるのは忍びなかったのだろう。もしも他の金融機関であったら、異常なまでの高血圧のまま働かせることはしなかったかもしれない。野村證券はそのあたりの融通が利いた。
〈三菱銀行を選んでいたら、病気を理由に落ちていた〉
篠崎が下宿を訪ねてこなかったら、そのまま三菱銀行に行っていた。北尾は運命の不思議を感じた。
北尾の友人である
「銀行の説明会に行ったら、欠損家庭はだめだと言われ跳ねられたが、そういうのはだめなんですか」
鈴木は言った。
「親が存命していようが、なかろうが、うちはまったく関係ないですよ」
その言葉の通り、実力を認められた筒井は、野村證券に入社した。そのように、野村證券は、国籍、性別、学閥など一切関係無しで採用している。