本記事は、大下英治氏の著書『論語と経営 SBI北尾吉孝 上 激闘篇』(エムディエヌコーポレーション)の中から一部を抜粋・編集しています。
孫正義からのヘッドハンティング
北尾吉孝が、
買収額は、800億円。孫は、そのうちの半分以上にあたる530億円を、日本興業銀行を中心とした協調融資団から調達することを決めた。北尾は、銀行から融資を受けるよりも、もっと合理的な方法を知っていた。
北尾は、孫にアドバイスした。
「銀行から融資を受けるのは、どうかと思います。野村證券なら、社債を発行することで資本市場から資金を調達できます。500億円だけでなく、買収に必要な800億円すべて調達できます」
孫は、にっこりとした。
「北尾さんの提案は、とてもありがたい。しかし、今回は、日本興業銀行をはじめ各行が、協調融資のために徹夜で奔走してくれています。北尾さんが協力してくれるので、もう融資は結構ですとは、さすがに言えません」
孫は、北尾に話した5つのインフラのうちの1つに数えた展示会インフラの、それもコンピュータ業界では最大のコムデックスをいよいよ買収できるのである。
北尾が提案する融資案件を検討する余裕までは、さすがになかったのかもしれない。
北尾は、ビジネスマンとして、孫の心情も理解できた。孫には、無理強いはしなかった。
「そうですか。では、野村證券も、責任をもって資金調達するつもりがあることを、頭の片隅に置いて、銀行と交渉してください」
もしも、孫の脳裏に、野村證券が切り札としてあれば協調融資団との交渉はまったくちがってくる。とても呑むことのできない条件があれば、突っぱねられる。
北尾は、精神的にサポートをしたつもりであった。
しかし、孫は、協調融資団の条件をほとんど呑んだ形で契約を交わした。そのことが、孫を苦しめることになる……。
同年4月下旬、当時中央区日本橋
「北尾さん、1分だけ、時間をいただけますか」
孫が、これまで、北尾だけを呼び止めることはなかった。
ソフトバンク担当者として北尾に同行した野村證券事業法人部の川島克哉は、2人だけで話したい重要な用件があるのだと察した。エレベーターのドアが開いたのを逃さず、自分だけ乗りこんだ。
北尾は、どのような用件なのか、まったく見当がつかなかった。部下の川島を先に帰すと、あらためて孫と向き合った。
孫は、単刀直入に切り出した。
「CFO(最高財務責任者)として、うちに来てくださいませんか」
北尾は、どう答えてよいものか、返す言葉が見つからなかった。かつては、メリルリンチに移ろうと本気で考えたこともあった。今も、野村證券という組織に対する幻滅を捨て去ってはいなかった。
しかも、その時点で近い将来、野村證券を離れることを考えていた。
この思いもよらぬ孫の誘いは、北尾を揺るがした。
「わかりました。10日ほど、考えさせてください」
孫は、北尾が野村證券を去る決意をしたちょうどそのタイミングで現れた。
〈これも天意か……〉
北尾は、天意に素直に従うべきだろうと考えた。
北尾が、駐車場に停めてあった社用車に戻ってきたのは、15分ほど経ってからであった。1分といった話が10分以上だったのである。ずいぶんと込み入った話だったことは、川島には想像がついた。
しかも、北尾である。いつもならば、孫と三人で交わした会話のことなどを明るく切り出すはずなのに、口を結んだまま、
川島は、北尾を残してエレベーターに独りで乗ったときから感じていたものを口にした。
「誘われたのですか」
ムッツリとしていた北尾の表情が、思わずほころんだ。
「きみは、鋭いな」
そういったあと、返事をするまで、10日の猶予をもらったと北尾は打ち明けた。
北尾が、川島が思ってもみなかった言葉を発したのは、その後のことであった。
「きみは、どうする?」
川島は、一瞬、息を呑んだ。それは、どういう意味なのか。いくつかの解釈ができた。だが、とっさに言葉が衝いて出た。
「北尾さんが行くのなら、いいですよ」
川島にとって孫正義は、大事な顧客の中でも第1級の存在だった。孫は構想力、発想力、世界観の広さなどが群を抜いていた。川島の顧客のほとんどはサラリーマン経営者であったため、その印象は強烈だった。
〈世の中には、孫さんのような人が本当にいるんだな。こういう人がリーダーとして、まったく新しい世界を切り拓いていかれるのだろう〉
それからというもの、川島は、仕事どころではなかった。いつも自分と北尾しか知らない秘密を抱えていることだけで落ち着かなかった。
一方、北尾は、野村総合研究所にあるソフトバンクに関する雑誌や新聞をかき集めた。それまで触れることのなかったインターネットやマスメディア関係の本を20冊以上買いこみ、読みあさった。
そのことによって、ソフトバンクが拠って立つコンピュータ業界の将来性、ソフトバンクの評価を深いところまで理解できた。さらに、常に孫が熱く語っていることの意味も、北尾に沁みこんだ。
〈この業界は、まだまだ伸びる〉
そのような業界で、孫正義の、類まれなる経営手腕さえあれば、ソフトバンクもかならずや拡大を遂げる。
〈しかも、孫さんならば、おれの野村證券で潰えた世界に冠たるという夢をもう一度与えてくれ、骨の髄まで灰と化すほどに燃え尽きる場を与えてくれる〉
それは、まさに確信に近かった。
北尾は、5月のゴールデンウィークが明けると、さっそく孫のもとを訪れた。
「家族とオヤジに話して、了承をもらいました。こちらでお世話になろうと思っています」
北尾は、ソフトバンクに移るにあたっての条件は特になかった。
孫は、北尾に訊いた。
「給与を、いくらにしたらいいですか」
それに対して、北尾は、答えた。
「私が常務で入社するなら、他の古くからおられる常務と同額で結構です」
北尾は、その人たちがいくらもらっているかも知らなかった。
北尾は、1つだけ気がかりがあった。
「ところで、前任の小林(稔忠)部長は、どうなりますか。自分が入ることで、小林さんが役員から外れるようなことがあれば、後味がよくありません」
孫は言った。
「安心してください。小林さんには、株式公開のときに非常にお世話になり、恩人だと思っています。しかし、これからソフトバンクが迎える時代には、北尾さんこそ財務部長にふさわしい。小林さんも、そのほうがよいとおっしゃっています。小林さんには、新しいポジションとして人事総務部長をお願いしようと思っています」
「それなら、安心して移ることができます」
北尾は、胸を撫で下ろした。
北尾は、すぐに野村證券に退職願を出した。野村證券で、同期のトップを切って部長に昇進した社員で、定年を前に辞職をした者はいなかった。
まわりには、最後の最後まで言われ続けた。
「このまま定年までジッとしていれば、退職金だけでも年間に500万円ぐらいずつは増えていくだろう。それに、役員にもなれるのに。それなのに、なんでだい?」
北尾がいた野村企業情報の当時社長であった
「北尾君にとって、これから、人と争うのはあまり意味がないことだと思うよ。むしろ謙虚な姿勢を保ったときのほうが、迫力が増し、組織をますます動かすことになるだろう」
北尾は、常にストレートに話す。竹を割ったような性格で、裏表がない。そのような性格だからこそ、
しかし、あまりにもストレートすぎるために、足を引っ張ろうとする敵もつくりやすい。
後藤にすると、そのような北尾が危なっかしく見えたのかもしれない。人間には、成長するために、
北尾が野村證券を辞めたあとに日興証券常務であった
「北尾さんが、野村證券を辞めて、本当に良かったですよ」
同じような声は、日興証券以外の同業他社からも耳にした。北尾は、それほど恐れられる存在であった。
ソフトバンク常務に就任
北尾は、平成7年(1995年)5月、ソフトバンクに顧問として正式に入社し、同年6月に財務担当の常務取締役となった。
川島も、北尾に従い、ソフトバンクに移ることを決めた。川島にとっては、まったく予期せぬ人生の選択であった。北尾から遅れること3カ月、同年8月から、ソフトバンクに移ることが決まった。
川島としては、これまで担当者として、ソフトバンクの強みも弱みも知りつくしている。いま自分が所属している野村證券と比較したとき、ソフトバンクは、自由闊達でポテンシャルが高い。だが、前途洋々たる未来が拓けているかといえば、太鼓判が押せるほどの将来性は保証できない。
それでもなお、ソフトバンクに入社したのは、たびたび川島らの前で見せた、北尾の持つ強運としか言いようのない巡り合わせのよさを信じようと思ったからだ。
〈北尾さんについていけば、なんとかなるかもしれない〉
川島は、ある日、孫にあらためてあいさつに出かけた。社長室で孫と話しているところに、ソフトネットワーク営業部門担当常務である
孫が、宮内に訊いた。
「みやうっちゃん、この川島君は、今度うちに来ることになったんだけど、どこの部署を任せればいいかな」
宮内は、即座に答えた。
「それは、うちがいいですよ」
つまり、ソフトネットワーク部門がいいと言ったのである。
川島は、ソフトバンクでは、経理、財務、あるいは、企画といった、野村證券時代に培った経験を活かせる部署に配属されると思いこんでいた。それが、あろうことか、宮内のひと言で、「ネット」「ラン」といった基本用語すらわからない、畑ちがいの部署に放りこまれることが決まった。
川島がソフトバンクに移るまであと数えるほどに近づいた休日、川島は北尾の家に招かれた。川島だけでなく、川島の妻、そして、幼い子ども2人までが招待されたのである。
食卓を囲みながら、北尾は、川島の妻に言った。
「今度、このような形で、川島君が、一緒に来てくれることになったけど、万が一、川島君に何かがあっても、小さいお子さんが独り立ちするまでは、僕が責任をもって面倒を見ます。心配しないでください」
川島の妻は、川島の人生の決断について、何も口にはしなかった。しかし、一流企業に列せられる野村證券から、店頭公開したばかりのソフトバンクに移るのである。不安を抱えていないわけがなかった。
北尾は、川島の妻の気持ちを汲み、なるべく安心させようとわざわざ川島と家族を呼んだのである。
さらに、北尾は、川島がソフトバンクに初出社した日にも、川島を、入社祝いだと言って食事に招待したのだった。
北尾や川島がソフトバンクに移ったあと、北尾を慕う野村證券社員や野村證券時代の北尾を知らない野村證券社員までもが、ソフトバンクに多く移った。マスコミは、現象ばかりを見て、ソフトバンクに移った野村證券社員を、「野村組」「野村から来たひと」と十羽一絡げにくくって論じた。だが、川島から見ると、それぞれ同じソフトバンクに移ったといっても動機がちがう気がする。
ソフトバンクのソフトネットワーク部門に配属された川島は、これまでとはまったくちがう商品を一から勉強しながら営業をまわった。
野村證券の看板を外してからの営業で、本質的に、1人の人間として、何が身についたかを考えさせられることもあった。
しかし、川島は、負けるわけにはいかなかった。
〈北尾さんの顔に泥を塗らないためにも、負けるわけにはいかん〉
さらに、初めて、自分に部下がついたことも励みとなった。野村證券の事業法人部にはベテランが多く、入社2年目から退職するまでの間、川島には部下らしい部下がいなかった。初めて部下を何人か統率したことは、川島にとって意義深かった。
「住友銀行だけは、付き合わないでください」
北尾は、ソフトバンクに入社してからすぐに孫から言われた。
「住友銀行だけは、付き合わないでください」
北尾が、その理由を訊ねると、意外な答えが返ってきた。
「ある支店の支店長に、それも2代にわたって、『在日の韓国人とは付き合えない』と言われたことがある。そのようなことをいう企業は、企業風土としておかしい」
孫にしては、めずらしく感情的な答えであった。
北尾は言った。
「何を言っているんですか。僕は、日本の銀行でも、最も住友銀行を評価しています。たった1人や2人の支店長がそう言ったからといって、すべてを否定するのはおかしいですよ。そういうところと付き合えないのなら、日本一だとか、世界一になるなんて言うのは、やめたほうがいいですよ」
北尾には意外だった。
〈孫さんが、これほど強く自分が在日だと意識しているとは思わなかった〉
その翌日、孫が北尾に言った。
「北やん、住友銀行のしかるべき人に会いたい」
意固地にならず、考え直したのだ。これは孫の長所だった。
北尾は答えた。
「ああ、お安いご用ですよ」
その生い立ちが、孫正義という人物の強さにつながっていることは北尾も理解していた。しかし、あまりにもそのことに囚われ過ぎると、未来がなくなってしまうと思ったからである。そのことを、孫も理解してくれたにちがいない。
北尾はすぐ当時住友銀行の営業部門のトップであった専務に電話してソフトバンクまで来てもらう手はずを整えた。
それからソフトバンクと住友銀行の付き合いが始まった。担当部店はソフトバンク本社から最寄りの人形町支店で、支店長は役員であったという。