本記事は、大下英治氏の著書『論語と経営 SBI北尾吉孝 上 激闘篇』(エムディエヌコーポレーション)の中から一部を抜粋・編集しています。

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(画像=(写真=ELUTAS/stock.adobe.com))

フジテレビVS堀江貴文ライブドア

平成17年(2005年)2月8日、インターネット関連会社ライブドアが、ニッポン放送株を時間外取引で取得した。

取得したのは、ニッポン放送が発行している株式の35%にあたる。

ライブドアの目的はあきらかであった。フジテレビである。フジテレビ株20数%を所有する筆頭株主であるニッポン放送の株を3分の1以上確保していれば、フジテレビへの発言権が強くなる。役員を送りこむこともできる。

ニッポン放送は、対抗策として、フジテレビに対して第三者割当増資をおこなった。そのことによって、ライブドアが所有する株式の全体のパーセンテージを減らし権限を抑えようとしたのである。

だが、それも、東京高裁によって違法だとの判決がくだった。フジテレビは、窮地に追いこまれた。

主幹事証券である大和証券を通じて、ソニーの出井伸之いでいのぶゆきらに救いを求めた。しかし、誰も渦中の栗を拾おうとはしなかった。

北尾は、そんな中、ホテルオークラの一室で、フジテレビ社長である村上光一むらかみこういちと会った。

北尾は、あえて義理も深いつながりもないフジテレビを支援すべく、名乗りを上げたのである。

北尾の脳裏には、かつて野村證券を率いた北裏喜一郎きたうらきいちろう元社長の言葉が深く刻まれていた。

「資本市場の清洌な地下水を、汚してはならない」

ライブドア社長である堀江貴文ほりえたかふみが、敵対的買収を試みても、資本市場のルールに則っているのなら手出しはしなかった。だが、堀江は、公共財である資本市場を汚していた。ライブドア株式を、1株に対して100分割、1,000分割する。そのことによって、1株を、個人投資家が投資しやすい価格にまで引き下げた。

商法改正によって、こうした株式分割も認められているので、堀江は、ルール違反はしていない。

とはいえ、ライブドアの繁栄は、ある面、個入投資家の損失によって支えられていた。それも、何も知らない投資家たちを食い物にしていた。つまり、株券が個人投資家の手に届くまでには、当時50日ほどがかかった。その間、株式市場に出回る株数は、一時的に不足する。そのために、株価は急騰する。株券が、個人投資家に届くときには、株数が増えるので株価がいっぺんに下がる。

この簡単な理屈を知らない個人投資家たちをごまかして、堀江は、利益を得ようとしたのである。

〈堀江のやっていることは、けしからん〉

その行為は、戦後、半世紀以上もかけて、北尾の先達たちが築き上げ、北尾も世話になっている資本市場を冒瀆ぼうとくすることでもある。

それどころか、ライブドアの資金調達法をまねる、ネット企業が次々と出てきた。そのような危機的状況から、資本市場を守ろうとしない、東証、SESC(証券取引等監視委員会)は何をしているのか。証券業協会は何をしているのか。業界ナンバーワンの野村證券は何をしているのか。誰もが見過ごしている。見て見ぬ振りをしている。

北尾にとって、資本市場は、過去であり、現在であり、未来でもある。

〈自分が、資本市場を守るしかない〉

義憤と言うべき思いが、湧き上がっていた。

中国の孟子が説くように、戦いに勝つには、「天の時」「地の利」「人の和」が必要だ。さらに、孫子の兵法にある、「勢い」も大切である。これら4つがあれば、勝利を奪い取ることができる。

〈いつ出て、どのような戦術でもっていくか〉

最も効果があるやり方を模索した。

平成17年(2005年)3月24日、フジテレビとニッポン放送は、SBIグループのベンチャーキャピタル、ソフトバンク・インベストメント(現・SBIホールディングス)と提携した。

ニッポン放送の保有する13.88%分のフジテレビ株を、ソフトバンク・インベストメントに貸す形の戦略をとった。

このことで、ソフトバンク・インベストメントは、フジテレビの筆頭株主になったと発表した。

北尾は、いわゆる、〝ホワイトナイト〟に名乗りを上げたのである。

北尾は、さらに、記者会見で語った。

「そんなに、企業文化がちがうのを嫌って、ニッポン放送を辞めたい人がいるのであれば、我々でつくったファンドの資金で第2ニッポン放送をつくればいい」

さらに語った。

「人材を第2ニッポン放送でそっくり引き受けられれば、放送のために必要な免許を取得するのも、難しいことではない。あるいは、新たなファンドで、ニッポン放送で最も価値ある部門を買い取る」

北尾は、それからというもの、タイミングを見計らい、マスコミに向けて発言した。北尾の発言が載るたびに、ライブドアの株価は、数十円、数百円とジリジリと下げていった。北尾の戦略は、見事に功を奏した。

その道のプロは、北尾の手腕を褒めたたえた。

「北尾さん、見事なシナリオですね」

放っておけば、ライブドアは、どうにもならないところまで落ちるはずであった。

ところが、ライブドアが、思わぬところを突いてきた。

日枝久ひえだひさし会長の自宅は、フジテレビ本社を建設した鹿島建設の親密業者によって新築された、と「便宜供与」の疑惑がかけられた。

このことで、日枝は、表舞台に出てこなくなってしまった。フジテレビの腰が、砕けそうになった。

それでもなお、北尾の優位は、変わることがなかった。

しかし、フジテレビを除いたテレビ局は、北尾を敵対的に扱った。フジテレビが敵である他局にとっては、敵を救おうとする北尾もまた、敵であった。

それらのテレビ局が、北尾の会見を流すときにはいつも、編集によって、高圧的とも見える態度をとる北尾のみを映した。

ただ、北尾は、そのことを気にも留めなかった。

むしろ、高圧的な態度が流れることのほうが好都合であった。北尾には、いかに戦わずして勝つかが命題であった。フジテレビ以外の局が流す北尾の映像は、北尾の恐ろしさを、堀江に見せつけるに十分であった。

ライブドアとフジテレビは、同年4月18日、ついに和解を宣言した。

和解の条件は、3つあった。

  1. ライブドアはニッポン放送株の発行済み株式数の32.4%を保有する子会社、ライブドア・パートナーズをフジテレビに対し、債権も含めて670億円で売却

  2. フジテレビはライブドアが実施する440億円の増資を引き受ける

  3. フジテレビ、ニッポン放送、ライブドアが今後の業務提携に向け「業務提携推進委員会」を設置

北尾は、見事にホワイトナイトの役割を果たしたのだった。ソフトバンク・インベストメントも、その後、一時的に預かったフジテレビの株式は、すべてフジテレビに返却した。

ソフトバンク・インベストメントがフジテレビ、ニッポン放送と共同で設立したファンドは残っている。

当初出資金額は200億円。さまざまな方法で運用しているが、かなりいい運用ができている。

ソフトバンク・インベストメントにとっては、堀江貴文率いるライブドア事件の一連の動きによって、ソフトバンク・インベストメントの名も、北尾吉孝の名も広まった。広告効果は、十分にあった。

北尾にしてみれば、まさに、「天の時を得た」タイミングであった。ライブドアのニッポン放送株買収は、大きな転機となった。

しかし、北尾の妻は、迷惑顔であった。

「もう、二度と、こんなことをしないでください」

北尾が住んでいるマンションの前には、毎日、10台以上のマスコミ関係の車が殺到した。同じマンションの住人に迷惑をかけることに、妻は、最も気をつかっていたのである。

「北尾さんは、恐いですわ」

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(画像=freeangle/PIXTA)

ことがすべて終わったある朝、ソフトバンク社長である孫正義から電話が入った。

「北やん(北尾の愛称)、ホリエモンが、北やんのこと、恐いと言ってたよ」

「ホリエモンが? どういうことですか」

孫は、北尾に、詳しく説明を始めた。

その前夜、孫は、ホリエモンこと、堀江貴文と食事をともにしたらしい。ゴールドマン・サックス日本法人社長である持田昌典もちだまさのりが間に入ってのことだった。

その際に、堀江が、孫に、本音を打ち明けたらしい。

「北尾さんは、恐いですわ」

北尾は、ホワイトナイトとして名乗りを上げることを、その当日に孫に話した。孫からも、その後特に、そのことについて北尾に話をすることはなかった。

北尾は、その頃、思っていた。

〈そろそろ、ソフトバンクとの資本関係を切らざるを得ない時が来た〉

北尾は、証券だけでなく、金融のあらゆる分野で、トップクラスの会社を傘下に有する金融コングロマリットを創り上げたいと考えていた。そのためには、ネットを通じた金融業は、証券業だけでなく、銀行業、保険業にも進出しない限り、事業として完結しない。

北尾は、自分が進出した事業が成功すればするほど、そうした思いが強くなっていった。ソフトバンク・ファイナンスの傘下で、ベンチャー投資、運用、証券業などを営む公開企業をいくつもかかえた総合金融グループを志向し成長するからには、時として、本体であるソフトバンクの意向にそえないこともある。

そうなると、ソフトバンクの役員としての帽子と、同じく一部上場企業であるソフトバンク・インベストメントの帽子を両方ともにかぶることに、かなり窮屈さを感じるようになってきた。

平成17年(2005年)7月、ソフトバンク・インベストメントは、SBIホールディングスに商号を変更した。

SBIホールディングスは、証券、銀行、保険の三業を保有するメガバンクの持株会社と全く違う。

金融サービスを、ネットを通じて提供する。リアルな企業のように、不動産費と人件費というコストがかからない分だけ、手数料や保険料を大幅に低く抑えることができる。つまり、価格破壊ができる。しかも、企業ごとにシナジーが相互間に働く仕組みを創り上げている。

論語と経営 SBI北尾吉孝 上 激闘篇
大下 英治
作家。1944年広島県に生まれる。広島大学文学部仏文学科卒業。大宅壮一マスコミ塾第七期生。1970年、『週刊文春』特派記者いわゆる“トップ屋"として活躍。圧倒的な取材力から数々のスクープをものにする。月刊『文藝春秋』に発表した「三越の女帝・竹久みちの野望と金脈」が大反響を呼び、三越・岡田社長退陣のきっかけとなった。1983年、『週刊文春』を離れ作家として独立。政治、経済、芸能、闇社会まで幅広いジャンルにわたり旺盛な執筆活動を続ける。『小説電通』(三一書房)でデビュー後、『実録 田中角栄と鉄の軍団』(講談社)、『美空ひばり 時代を歌う 』(新潮社)、『昭和闇の支配者』(だいわ文庫)〈全六巻〉、自叙伝『トップ屋魂』(解説:花田紀凱)、『孫正義 世界20億人覇権の野望』、『小沢一郎の最終戦争』(以上ベストセラーズ)、『田中角栄秘録』、『児玉誉士夫闇秘録』、『日本共産党の深層』、『公明党の深層』、『内閣官房長官秘録』、『小泉純一郎・進次郎秘録』、『自由民主党の深層』(以上イースト新書)、『安倍官邸「権力」の正体』(角川新書)、『電通の深層』(イースト・プレス)、『幹事長秘録』(毎日新聞出版)、近著に、『ふたりの怪物 二階俊博と菅義偉』、『野中広務 権力闘争全史』、『小池百合子の大義と共感』、『自民党幹事長 二階俊博伝』(以上エムディエヌコーポレーション)、『内閣官房長官』、『内閣総理大臣』(MdN新書)など著書は480冊以上に及ぶ。

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