本記事は、大下英治氏の著書『論語と経営 SBI北尾吉孝 上 激闘篇』(エムディエヌコーポレーション)の中から一部を抜粋・編集しています。
「公的資金、約3,500億円を返さぬは泥棒と一緒」
インターネット金融大手SBIホールディングスの
「注入を受けた公的資金約3,500億円もの金を20年以上も返さないのはあり得ない。泥棒と一緒」
TOBの開始後、北尾が直接、新生銀行について言及するのは初めてであった。
新生銀行は平成10年(1998年)10月、バブル崩壊で巨額の不良債権を抱え
平成12年(2000年)、日本長期信用銀行は、米ファンド「リップルウッド・ホールディングス」のグループに経営権が譲渡され、新生銀行として再出発した。資本を増強するため注入された公的資金は、4,000億円以上にのぼった。
平成20年(2008年)のリーマン・ショックでは、不動産融資の焦げ付きで財務状況が悪化。平成21年(2009年)には、あおぞら銀行と経営統合で合意したが、主導権を巡って、経営陣が対立し、平成22年(2010年)に交渉が破談となった。
銀行事業では住宅ローンなど個人向けを主力に据え、預金金利の引き上げやATM(現金自動預け払い機)の手数料無料化で若年層の取り込みを図った。が、預金を集めてこなかった長銀時代のハンデは大きく、メガバンクとの差は埋まらなかった。平成29年(2017年)3月期以降の連結最終利益は、各期500億円前後にとどまった。
新生銀行は、海外で需要の多い消費者ローンも柱としたが、成長エンジンにはなっていない。
経営が悪化するたびに外部からトップを招くことで、かえって行内の士気が低下する結果となった。エリートだった長銀時代の行員も流出した。
バブル崩壊に伴い注入された公的資金の返済が残るのは、大手では新生銀行だけだった。北尾は、悪循環の泥沼に陥った新生銀行を救済し、子会社化することで再生させることを検討した。
SBIは業界最大手となったネット証券に加え、三井住友信託銀行と折半出資する住信SBIネット銀行も低金利を前面に打ち出す住宅ローンが強みで、住宅ローンと関係が深い火災保険や団体信用生命保険も自社グループにそろっており、グループ全体の顧客基盤は3,000万人を超える。
一方、住信SBIネット銀行は住宅ローンが中心で、利幅の大きい企業向けの融資をいかに強化するかが課題だった。新生銀行は消費者金融やストラクチャード・ファイナンス(仕組み金融)などを強みとしている。北尾が目指す銀行や保険などに事業を広げた「第四のメガバンク」構想に、新生銀行はうってつけだった。
新生銀行を子会社化すれば、手薄だったSBIの銀行事業の強化が図れる。
平成31年(2019年)4月2日、SBIは、市場で新生銀行の株式取得を開始。8月28日までの約5カ月間で、一気に約5%を握った。
一方、同じ8月に、リップルウッドとともに長銀を買収し、約20年にわたり筆頭株主だった米ファンド「JCフラワーズ」が株式を売却、新生銀行から手を引いた。
令和元年(2019年)9月上旬、SBI経営陣は、新生銀行社長の
この時期、北尾は講演などの場で「第4のメガバンク構想」を語り出していた。
SBIの資産運用ノウハウを活用しながら、地域金融機関のネットワークを構築しようというアイデアだ。その取り組みを進めるうえで、新生銀行の持つ事業基盤などが大いに役立つと考えたのだった。
SBIグループ傘下のインターネット証券は国内最大手まで成長させることができたが、日本の金融界を大変革するには至っていない。新生銀行を手中に収めれば、自身の構想が一気に前進すると思い描いていた。2社間で、資本提携や業務提携などについて具体的な話し合いが何回か両社の社長も入って行われた。
金融庁は、SBIの買収攻勢に期待を寄せた。公的資金は平成19年(2007年)、平成20年(2008年)に優先株から普通株に換わった。政府は、株式を売却する形で公的資金を回収する計画だった。国民負担が生じないようにするには、売却時の株価が約7,450円になっている必要がある。が、新生銀行の株価は、1,400円台で推移していた。生半可な手段では届かない水準で、金融庁内部では「出口のない課題」と頭を悩ませていた。
新生銀行の株式は今も国が約22%を保有しており、預金残高は令和3年(2021年)3月末で6兆円。連結従業員数は約5,600人、6月末段階で店舗数は26である。
新生銀行は、公的資金などで政府に約3,500億円を返済する必要がある。出口のない課題となったのは、新生銀行が成長シナリオを明確に示せていないことが要因だった。金融庁がSBIに期待を寄せるのは当然のことだった。
が、新生銀行内部には子会社化への反発があり、役員全員が警戒して改革には「反対」の合唱となった。
新生銀行は、SBIの連結子会社または持分法適用会社になる案を拒否。地方創生分野で連携するにとどまった。
「工藤は仁義に悖る男だな」
SBIは、その後も国際会計基準を採用している関係で、大きな評価損を出さないよう四半期決算期末前毎に、市場でナンピン(難平:保有している銘柄の株価が下がったときに、さらに買い増しをして平均購入単価を下げること)買いしていった。
もちろん新生銀行の工藤社長には仁義を切った上でだ。令和2年(2020年)12月にはSBIの新生銀行への出資比率が13%を超えた。名簿上、公的資金の対価として株式を保有する預金保険機構や整理回収機構のそれぞれの持ち分を上まわり、筆頭株主になった。
持ち株は増えるが価格はどんどん下がっていく。株価が上昇するのはSBIが新生銀行の株を買った時点のみである。あまりに下がるので、北尾はその都度、新生銀行側に伝えた。
「この株価ではもうどうしようもないから、ナンピンさせてもらいますよ」
ナンピンは、例えば6,000円で100株買った銘柄が、5,000円に下がったときに100株買い増しをしたとすると、1株当たりの平均購入単価は5,500円になり、利益が出る水準が下がる。ナンピン買いは株価が上昇トレンドにあって、一時的に下がったときに行うと有利になる可能性の高い投資手法だが、下落トレンドの途中では損失をさらに大きくすることにもなりかねない。
「護送船団方式」と呼ばれた時代と比べれば緩和されたものの、銀行を営むには厳しい条件がつけられている。財務の安定性を確保するため、銀行株の20%以上を取得する場合、事前に金融庁の認可を得る必要がある。50%超を取得すると、親会社も監督下に置かれ、業務内容も制限される。
先に触れたように、新生銀行の場合、返済を終えていない公的資金が約3,500億円も残っているため、金融庁のゴーサインがなければ、子会社化は難しい。
北尾は、金融庁との折衝役として、平成28年(2016年)にグループに迎え入れた
株は20%を超えて取得できない。北尾は〈ナンピン買いしていれば、どこかで上がることもあるかも知れない〉と期待したが、とうとう株価が上がることはなかった。それほどまでに新生銀行の経営は行き詰まっていた。役員の経営手法に問題があることは明らかだった。
新生銀行は、証券会社との業務提携を考え、SBI証券に「あの書類を提出して」「これが足りない」という細かな要求ばかりしてきた。
この件を担当する新生銀行の常務が、業務提携の本筋の話は巧みに避けてSBIに調子の良いことを言っていた。
「もうSBI証券さんが一番ですね。私は社長預かりの責任者ですから」
そんな状況が半年ほど続いた令和3年(2021年)1月、SBIにとって、想定外の事態が起こった。新生銀行が、ネット証券分野でSBIのライバルであるマネックス証券と業務提携すると発表したのだ。
北尾は激怒した。
「工藤は、仁義に
新生銀行は「商品や補完効果から最適なビジネス相手として選択した」と説明した。だが、工藤ら新生銀行の経営陣に対する北尾の不信感は強まる一方だった。
〈これまで長期にわたって提携関係を結ぼうと努めてきたSBIを蹴るのか。友好的にやろうと思っていたのに、裏切られた〉
新生銀行から、手紙やメールが送られてきたが、酷い内容の言い訳ばかりだった。
結局、SBIとマネックスを天秤にかけ、マネックスのほうが条件が良かったからSBIを蹴ったという話である。だが、仮にマネックスの条件が良かったとしても、短期的な話でしかないのは明らかだった。
しかも、マネックスグループに在籍していた人物を社外取締役に迎えることまでしている。マネックスグループ代表の
条件に不満があるのなら、「北尾さん、もうちょっと安くしてください。マネックスが良い条件を出してきているんです」と直接言ってくれれば良かったのだ。
北尾が怒るのはもっともな話だった。新生銀行が仁義に悖る振る舞いをしたのだから、SBIも考えを改めねばならない。北尾はこれまで、基本的にはすべて純投資の範囲で事を進めており、TOBをかける気などまったくなかったのだ。
北尾はこれまでに、新生銀行の工藤社長に念押ししていた。
「あなたが銀行におられる間、僕は一度約束したことは守ります。ただし、工藤さんがキチッと動いてくださればの話です」
にもかかわらず、工藤が仁義に反することをやってのけた。それでは仕方がない。北尾も考えを改めざるを得なかった。
そもそも、6年間も新生銀行の代表を務めながら、何も改善を図れなかったのだ。
〈こんな危機的状況にもかかわらず、工藤のような男に任を負わせておくこと自体が問題だ〉
なにしろ、血税から注入された公的資金約3,500億円をまったく返していないのだ。バブルが崩壊して多くの銀行が破綻したものの、他行はきっちり国に返済している。前述したように、返済していないのは、新生銀行ただ一行だけである。
金融庁は毎年「どのように返済するのか」という質問は出しているようだが、新生銀行はおそらく返済する気などないのだろう。そんな形式的な話では進展するはずがなかった。
新生銀行との対立が深まるにつれ、SBIは「敵対的買収も辞さない」との立場を強めていった。
令和3年(2021年)6月、新生銀行の定時株主総会で、SBIは明確な意思表示を行った。「新生銀行の取締役には偏りがある」として、工藤社長や、マネックス証券に縁のある人物ら計4人の取締役候補に反対票を投じた。
対立は、抜き差しならないところまで来ていた。
SBIには、「アドバイザリー・メンバー」を務める元金融庁長官の
また同年6月から、社外取締役に元財務事務次官で弁護士の
TOB発動――金融界激震
令和3年(2021年)9月9日、SBIホールディングスは新生銀行の子会社化を目指し、TOBを実施すると発表した。新生銀行の株式の保有比率(議決権ベース)を現状の20.32%から最大48%まで高めた上で、新生銀行の経営陣を刷新する考えだ。
この発表を受けた新生銀行は、否定的なコメントを出した。
「連絡を受けておらず、当行取締役会の賛同を得たものではない。情報を分析、検討する」
金融庁は、SBIが新生銀行の議決権の20%超を保有する主要株主となることを認めた。TOBの期間は9月10日から10月25日。買い付け価格は1株2,000円で東京証券取引所一部に上場する新生銀行株の9月9日の終値の1,440円より4割近く高い。買収総額は1,164億円を見込む。銀行法の規定で、50%を超える出資には金融庁の別の認可が必要となるが、子会社化を急ぐため出資比率を最大48%にとどめることにした。
北尾は思った。
〈今回は、連中も土壇場に追い込まれただろう〉
マスコミは、新生銀行の経営権を巡り「敵対的TOBに発展する」可能性に言及した。が、北尾は欲から動いているのではなかった。注入された公的資金が3,500億円も残っている銀行株を、2,000円以上の値をつけて買ってくれるところなど、どこにもない。もしホワイトナイト(友好的買収者)が現れれば、北尾は
実際、新生銀行側はTOBに対して「受けて立つ」方法を模索していた。が、取り得る手段が限られており、苦慮しているようだった。傘下に銀行を抱えるソニーグループなど複数社に話を持ちかけてみたが、色よい返事は得られていない、と報道された。
北尾が耳にした情報によると、ソニー側は共同通信が発表した「新生銀行、ソニーにスポンサー打診」という記事に対し、「新聞記者がなぜそんな虚偽記事を書いたんだ。いい加減な記事を書くな!」と激怒したという。
ソニーは、アクティビストと呼ばれる〝もの言う株主〟にさんざん「金融事業を切り離せ」と迫られ、金融事業を一体化した経緯がある。そのため、いわく付きの新生銀行に、手を出す可能性など最初からゼロだった。
北尾の見るところ、ホワイトナイトなど現れるはずがない。国に3,500億円も返済しなければならないところに、誰が金を出すだろうか。現に誰も現れなかったし、今後も現れない。誰もいないところにSBIだけが残っている。他に誰もいないのだから、SBIが引き受けるしかない。それが、新生銀行側にはわからないのだから、よけい始末に負えない。
北尾は、新生銀行の新会長に元金融庁長官の五味廣文だけでなく、社長にSBIナンバー2の
残っている公的資金約3,500億円を新生銀行が返済する道筋を何としてもつける、そのためにも、万全の構えで銀行再建を担っていかねばならなかった。
が、新生銀行は抵抗の姿勢を崩さず、次善の策として、既存の株主に新株予約権を発行し、TOBの成立後、SBI以外の株主に行使してもらう案を検討し始めた。行使によって発行済み株式数が増えれば、SBIの保有比率が低下し、経営への発言力を抑えることができる。ただ、特定の株主が不利益をこうむるため、株主総会の決議が不可欠となる。約2割を保有する国や機関投資家らが賛同するかどうかは見通せない。
SBIが当初設定したTOBの期限は、令和3年(2021年)10月25日。銀行を巡る異例のTOBは、さらなる紆余曲折が予想された。
北尾は思った。
〈金融機関に敵対的なTOBなどあり得ないと考えることが、そもそも間違いなのだ〉
金融機関であろうが何であろうが、きちんとした経営をしていない責任者には、常にTOBのようなリスクがあると肝に銘じる必要がある。SBIの投じた一石は、古い体質の金融マンの甘い考え方を払拭し、資本市場を健全化する方向に変えることに意義があった。
こうした買収劇には、悪い印象がつきまとう。確かに株主の中には、自らの利益を得るために動くアクティビストやグリーンメーラー(保有した株式の影響力をもとに、その発行会社や関係者に対して高値での引取りを要求する者)も存在する。手段の善し悪しはともかく、彼らの目的は自分たちの持ち株の時価総額を上げることにあり、経営権を取ろうとはしていない。一方、SBIは、私利私欲で動く無能な役員から経営権を取り、銀行を全面的に改善していこうとしている。
結局、新生銀行の役員たちは、「自分たちは金融機関だから大丈夫」と安心していたのではないか。
「コロナ禍だから政府がいくらでも金を貸してくれる」「またロールオーバーすればいい」、こうした甘い考え方を、地域金融機関も捨てねばならない。もし、自分たちが貸した金が返ってこなかったら、どうなるのか。もし債務者が、のらりくらりと言い訳をして、返す気などまったく無いとわかったら、どう感じるのか。我が事として考えれば、為すべきことはおのずと見えてくる。が、それができないというのだから、どうしようもない。
これを機会に、借りたものはきちんと返す。銀行ならなおさらなこと、いっそうそうした意識を持たねばならず、経営者はその先陣を切って努力してもらわねば困る。その良い機会だった。
新生銀行が公的資金を返せば、他行も「やはり返さねばならない」と思うだろうし、安易に国から金を借りてはいけないと気を引き締めるだろう。借りたものは返す。この至極当たり前のことが、地域金融機関が立ち直る初歩の初歩だ。
政府もまた、これまで新生銀行に対し、甘い対応をしてきたことは間違いない。最大の問題は新生銀行が公的資金による優先株を普通株に変えたことだった。普通株を保有する政府機関も、他の株主と同等の株主となったことから、公的資金の返済のためであっても、制度上特定の株主だけを優先して行うことはできなくなった。
優先株から普通株に変えたのは、クリストファー・フラワーズ以下、新生銀行の経営陣である。国は「優先株のままにしておきなさい」と厳しく言うべきだった。姑息な手段を使い20年以上にわたり公的資金を返そうともせず、「困ったらまた国から借金すれば済む」という甘い考えで血税を使う新生銀行を、国はそのまま放置し、銀行として認めてきたことを、相当反省してもらわねばならない。まして、「日本には銀行が多すぎる」と言われて久しい。最低限のルールさえ守れぬ銀行を、銀行余りの時代にそのまま生かしておいて良いはずもない。