本記事は、岸和良氏らの著書『DX人材の育て方 ビジネス発想を持った上流エンジニアを養成する』(翔泳社)の中から一部を抜粋・編集しています。
企業におけるDX人材を取り巻く現状
DXが注目を浴びることでビジネスの改革機運が高まる中、多くの企業ではDX人材の育成に関する取り組みが進められるようになっています。DXに関する期待が高まる一方で、DX人材は不足しており、企業はその獲得に頭を悩ませています。
そのため、大学でデジタル技術やデータアナリティクスを学びDXに関する素養を持った新入社員を採用するために初任給の見直しを行っています。また、中途採用者には高い年俸を提示し、企業間で争奪戦になっているDX人材を自社に確保するための取り組みを進めています。
DX人材の獲得と育成
DX人材の確保に取り組む企業が増える中、キリンビールや富士通、三井住友銀行グループ、NECなど、中長期的なDX人材の育成目標を発表する企業も増え、具体的な育成カリキュラムを運用する企業もできました。中には1,000名規模にも及ぶ全社員をDX人材に育成すると発表している企業もあります。
ここまで大規模な目標を設定する企業はそれほど多くはないですが、数十名から数百名のDX人材の育成を目標としている企業は増えてきました。さまざまな企業がDX人材の確保に取り組んでいるため、社外から即戦力となる人材を獲得することがさらに難しくなっており、内部の人材を育成せざるを得ない状況になっているからです。筆者が勤務する住友生命グループでも、システム開発と保守を担当するシステム人材に対して育成を実施しています。これについては以降で具体的に紹介します。
DX人材の獲得
企業間でDX人材の争奪戦が激しくなる中、人事制度を改定し給与体系の見直しを行う企業も出てきました。日本でも、大学で専門知識を学び実務に近い研究を行った新卒の学生に1,000万円クラスの報酬を提示したり、DXの経験がある業界トップ人材に役員クラスの年俸で中途採用を行ったりする企業も増えています。
転職市場ではDX人材の人気が高まっており、これまで中途採用では専門職を採用していなかった企業でも積極的に高度DX人材を採用するようになってきました。そのようなDX人材の争奪戦が繰り広げられる中、採用のミスマッチも起き始めています。
十分に能力があるDX人材を中途採用したにもかかわらず、自社の風土や文化がDXに対応できず、旧来型の紙とハンコによるアナログな形での業務を続けるなど、企業変革を拒んでいる企業もあります。このようにDXで必要な要素を持っていない、または新しいことに順応できないために、せっかく採用したDX人材を活かすことができていないケースは多々あります。
- ▶DX人材の採用におけるミスマッチのケース
- 企業文化の問題で、DX人材を放置または異端視する
- DX人材に責任を押しつけてしまう
- DX人材が企画することが社内で通らない
- DX人材に成果ばかりを求め、失敗を許容しない
- 現行業務で人が足りず、DX人材に既存業務をやらせてしまう
DX人材を育成したり、採用したりする場合は、まず、「DXとは何か」「何を変える必要があるのか」「人材に何をしてもらうのか」を企業として明確にした上で、求めるDX人材のスキルセットを決めて適切に採用することが求められます。また、採用後にはしっかり仕事内容を評価し、採用する側、される側がそれぞれの役割、成果を尊重することが欠かせません。
DX人材の育成
DX人材の獲得と並行して既存社員の再教育(リカレント教育)に取り組む企業も増えています。既存社員の中から育成対象者を「向き・不向き」「必要とされる能力」「保有知識」など一定の基準で選定し、育成プログラムを使ってDX人材の育成を行っています。多くの企業では数名の即戦力になる人材の育成から始め、徐々に育成の範囲を広げています。DX人材の育成には多くの時間と実務が必要となります。大学や前職などでデジタル技術やデータ分析を学んだり、仕事に活かしたりしていた人は別ですが、多くの人にとっては、DXの世界ははじめて学ぶ新しい領域です。
DXに必要な、データ・デジタル・新しいビジネスの仕掛けを学ぶことになるため、自発的に学び、自分の仕事に取り込んでいけるレベルに到達するには、時間がかかります。
また、既存の業務に時間をとられ、なかなか自分で計画して学ぶことが難しいという問題もありますし、そもそもDXには向いている、向いていない、性格、資質、もともとの能力によっても人それぞれ育成計画は異なってきます。そこで、それらを前提として、どのような人を選び、どのような方法で育成するのかを考え、組織的に行う必要があります。
DX人材の育成プログラム
DX人材の育成については、数年前までは、多くの企業がDX推進室やDX企画部などを作り、各国の事例を調査するといったやり方しか行えていませんでした。しかし、最近では、体系立てて知識を学ぶことができるDXの検定試験や、eラーニングで学べる「マイクロラーニング」教材を提供する教育ベンダーも増えており、部署単位や全社員一律に教育する企業も増えてきています。
それぞれの教材は、検定試験、認定試験、DX用語の知識習得、事例理解の動画といった知識の習得を目的としたものから、ワークショップによる実践的なものまで、対象人材、期間、金額によりさまざまです。これらをよく比較し、それらの教材・ワークショップを採用した他社の評価や感想も参考にしながら、自社に合った最適なものを選ぶ必要があります。
また、外部のプログラムに自分たちで作ったプログラムを組み合わせるのもひとつの手です。DXはデータとデジタルを使った自社ビジネスの改革なので、自社の業務や顧客を知っている人がDXを教えられるなら、それが一番効果的なやり方です。
そこで、最初は外部のプログラムを利用しながら、それによって育った人材を教える側に回し、自社独自のDX人材の育成プログラムを設計し、運営するのです。このような目標を持って、外部のDX人材育成プログラムをどのように選ぶかを決めるようにしましょう。
- ▶教育ベンダーや学会、協会によるDX人材教育用試験・教材・ワークショップの例
- 知識検定試験、能力検定試験
- DXに関する用語習得のためのeラーニング(テスト型・マイクロ動画型)
- DXに関する事例を学べるeラーニング(マイクロ動画)
- DXプロジェクトの進め方を学ぶワークショップ
- ビジネス発想を訓練するワークショップ
- 問題解決手法を学ぶワークショップ
- クラウドの設定、アジャイル開発の進め方を学ぶワークショップ
「人の資質、能力、保有知識データ」を使ったDX人材の育成
自社独自の例として、筆者が勤務する住友生命グループの育成プログラムを紹介します。住友生命グループでは、社外のDX人材の育成プログラムを導入するとともに、内製によるDX人材の育成プログラムも運用しています。そのプログラムでは、数百人の既存システムを開発・保守する人材の中から、DXに向いている人材を選定することを実施しています。
DX人材に必要な知識
DXを推進する人材には多くの知識が必要になります。そこで、住友生命グループでは、DX人材に学習してもらう用語を提示しています。DXに関連する用語は、「ポイント割引制」「消耗品モデル」「サブスクリプション」「フリーモデル、フリーミアム」「プラットフォーム」「企業事例」なども含め、およそ360種類あります。これらの用語のうち、主要なものについてはワークショップで意味や使い方といった本質を学習してもらい、残りは自己学習で覚えてもらいます。
DX人材候補者の選定
住友生命ではDXのプロジェクトに任命するメンバーを選定するために、DX人材として持つべき、①資質要素(イノベーティブ度合い)、②必要とされる能力(プロジェクトマネジメント力、問題解決力など)、③DXに関する知識の保有度合いをアセスメントツールで計数化して、DX人材の候補となる人材を選定しています。
上図はアセスメントツールによる計数の結果で、「知識の多さ」を縦軸、「能力に関する点数の高さ」を横軸にして個々を位置づけています。図中のAさんとBさんは、DXの知識が多いとされる位置にいます。このうち、AさんはDXに関する知識が習得できる仕事をしていたので、当然の結果でした。しかしBさんは、日常業務ではDXに関連する仕事をしていなかったので、この結果は想定外でした。
そこで、本人に確認したところ、自己啓発でWebアプリを開発しており、開発する中でAIに関する知識などを学ぶ必要があり、その過程でDXに関する知識も身につけたことがわかりました。そこで、Bさんに社内研究開発事例の発表へのエントリーを勧めたところ、見事優勝を果たし、その活動が認められ、BさんはDXプロジェクトに任命され、DXの仕事をするようになりました。
ビジネス発想力強化のマインドセット研修、継続的実践型演習
DX人材に任命した対象者にはマインドセット研修(1日コース)を、また希望者には継続的実践型演習を実施しています。これまでの受講者は延べ600人規模(2022年3月現在)まで拡大しています。
このカリキュラムをリアル研修の場合は1日、オンライン会議システムを使う場合は半日×2日で実施します。研修はワークショップ中心で、短時間で多くのことを考えるため頭を使いますが、その分脳が活発に働き、受講者の多くが主要なDX用語は1日で覚えて使えるようにまでなります。継続的実践型演習では、「コロナ禍のプロ野球球団の売上げを向上させるDX」「コロナで営業できないレストラン、居酒屋の売上げを向上させるDX」などをテーマに議論しています。テーマは、実務で使える汎用性の高いものを選んでいます。これらのテーマでビジネスを発想できるように訓練すると、自社だけでなく、他社と議論する際にも相手に示唆を与えることができるようになります。
また、マインドセット研修のポイントは、研修だけで終わるのではなく、実務で使える発想力を身につけてもらうことです。そのために、模造紙とペンなどは使わず、スマホ、インターネット、PC、オンライン会議システム、クラウドで使えるドキュメントなど、普段の仕事と同じようにしています。