本記事は、齋藤孝氏の著書『教養のある人がしている、言葉選びの作法』(ぱる出版)の中から一部を抜粋・編集しています。

究極の短詩、俳句に学ぶ

短歌,俳句
(画像=Paylessimages/stock.adobe.com)

松尾芭蕉に学ぶ言葉をセレクトする視点

言葉のセンスを競う文芸が、俳句や詩歌です。

中でも究極の文芸が、五七五の十七音という短いフレーズに季語を織り込む俳句だと思います。

とくに俳聖・松尾芭蕉の句を読むと、その言葉のセンスが尋常ではないことに気づきます。本当にセンスがいい。「しづかさや岩にしみいる蟬の声」なんて、情景がすぐに浮かんできます。

旅にやんで夢は枯野をかけめぐ

(『芭蕉俳句集』岩波文庫、以下、芭蕉作品の原文引用はすべて同書より)

病に伏してもなお、自分自身が枯野をかけ廻る夢を見る。「かけ廻る」という言葉遣い1つを取ってみても現代に通じる良さがあります。

おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉うぶねかな

長良川の鵜飼いの漁を詠んだ句です。芭蕉の時代から、人々の関心を集めていた漁であることがわかります。鵜に魚を獲らせて、それを漁師が取り上げる。その光景は確かに面白い。しかし漁を終えるころには、やがて悲しくなるという心の変化を、的確に詠み込んでいます。「鵜舟哉」を他の言葉に置き換えても面白い句ができる、センス抜群の句と言えます。

秋深き隣は何をする人ぞ

これは秋になると誰もが口にする句かもしれません。あまりにも有名なので、「秋深き(「秋深し」とも)」と言われたら、続けて「隣は何をする人ぞ」と応えたくなってしまう魔力を秘めています。芭蕉にそう言われたら、それ以外ないと思えてしまうから不思議です。

秋が深くなる晩秋は、ちょっと寒い季節になって、人はいろいろなことを思うはずです。そこで芭蕉の口を衝いて出るのは、「隣は何をする人ぞ」。この句の面白さは、こうした言葉をセレクトする視点にあります。ここまでくると語彙力の問題を通り越した状況把握の力、そのものです。

秋が深まると、友だちと楽しく酒を飲むのではなく、1人でいることが多くなる。1人でいると寂しいからか、静かな隣の部屋の人の様子が気になるという感覚や状況が見えてくるのです。こうした視点があって、誰もが思いつかない「隣は何をする人ぞ」というフレーズが生まれたのでしょう。

与謝蕪村に学ぶ状況を把握する視点

写実力で正岡子規に賞賛された俳句の巨匠が与謝蕪村です。文人画家としても知られた蕪村も状況把握、情景描写の達人でした。

菜の花や月は東に日は西に

(『蕪村俳句集』岩波文庫)

一面に色鮮やかな黄色い菜の花畑が広がる中、今まさに月が東の空にあり、西の空には陽が沈もうとしている ―― 。夕暮れどきの菜の花畑に自分を置き、これ以上ない情景描写で表現しています。

菜の花、月、日という単語がポンポンポンと小気味よく組み合わされて、情趣を醸し出しています。

こうした達人の情景描写を前にすると、言葉のセンスをどうこう言うまえに、状況を把握することの大切さ、素材として取り上げるもののセレクトの重要性がわかってきます。その状況の中で何をセレクトするのか、視点をどこに置き、何を捉えて表現するか。それらがいかに大切か、蕪村の句からわかってくるのです。

添削で句を磨く、夏井いつき先生のセンス

専門家が添削の面白さを教えてくれるテレビ番組に、『プレバト!』があります。中でも一番人気のコーナーが俳人・夏井いつき先生による俳句査定ランキングです。

俳句の世界では、言葉の選択が皆の楽しみです。あの芭蕉も、死ぬ間際まで弟子たちと句の一言一言について問答したという記録も残されています。そのくらい、俳句というのは言葉を練り上げ、磨き上げて詠むものなのです。

夏井いつき先生の添削の様子を見ていると、俳句を詠む際に言葉のセンスをどのように磨き上げていくか、その様子の一端が垣間見えてきます。

夏井先生の手にかかると、圧倒的に添削後の句がよくなったことが、素人でもわかります。あれこそが言葉のセンスです。

添削する際には、詠んだ本人が一番言いたかったことは何かを尋ねます。そしてそれを表現したいのであれば、この言葉がいい、この言い回しは要らないと指摘して、言葉のずれを直していきます。

俳句は17音ですから、その中でいかに言葉を取捨選択し、意図する情景を再現するかが求められます。夏井先生はいつもその点を強調します。