本記事は、千田 琢哉氏の著書『一流の人だけが知っている、他人には絶対に教えない この世界のルール。 選ばれる人を決める「秘密の評価基準」40』(清談社Publico)の中から一部を抜粋・編集しています。
偽カリスマを演じて疲労困憊するより、一流のコバンザメとして生きよ。
カリスマに憧れる人は多い。
ここ最近はインターネット上で自称も含めたカリスマが増え続けている。
中にはカリスマを演じることに疲れてしまい、心身を病む人もいる。
ひょっとしたらあなたもその可能性がゼロとは限らないし、あなたの大切な人が同じ悩みを抱えているかもしれないので、どうか真剣に読んでもらいたい。
カリスマに憧れるのは勝手だが、カリスマになれる人となれない人はもう決まっている。
これはテレビのタレントでも同じで、カリスマになれる人は放っておいても頭角を現すし、カリスマになれない人は血のにじむような努力をしても誰からも認められない。
鷹(たか)は鷹として、雀(すずめ)は雀として生きればそれが最高の幸せなのであって、鷹が雀の真似をしたり雀が鷹の真似をしたりしても幸せにはなれないようにできているのだ。
ジャン=ポール・サルトルは「実存は本質に先立つ」という名言を遺して人々を勇気づけた。
実存とは人間のことであり、本質とは生き方である。
つまり人間は他の動物や道具と違い、自分で生き方を決めることができるとサルトルは主張したのだ。
これはサルトルが極度の斜視であり、身長160cmに満たない小男でもあったため、ひどいいじめにも遭っており、醜い容姿に強烈なコンプレックスを持っていたことと無関係ではない。
鏡に映った醜い自分を否定して、人間はいつからでもなりたい自分になることができるのだと信じたかったのだ。
自分の肉体を愛せず、それをバネにして世界的なカリスマになった人物である。
これに対してサルトルの元親友だったモーリス・メルロ=ポンティは、授かった身体を否定するのではなく受容し、それを生かして前向きにアレンジして生きろと主張して決別している。
ここで私はあなたにどちらか一方の哲学を強要するつもりはない。
実際にサルトルはその明晰(めいせき)な頭脳でノーベル文学賞を辞退するほどの才能を発揮しているし、世界中の若者がヘルメットをかぶり、火炎瓶を握るほどのカリスマ性を備えていた。
しかし私はメルロ=ポンティの教えに従って生きてきた。
ありのままの自分の身体を受容し、その上でどう生きるのかを決めてきた。
身体には頭脳も含む。
事実を受容すれば生き方や勝ち方もわかるようになる。
スポーツでも瞬発力系と持久力系では明らかに体つきが違う。
頭脳の勝負でも記憶力系と思考力系、さらにはアレンジ系と新しいものを生み出す系とではまるで違う。
偽カリスマで疲労困憊して心身に異常をきたしたり自ら命を絶ったりするくらいなら、一流のコバンザメとして生きたほうが何億倍も幸せだ。
一流のカリスマは当然一流だが、一流のコバンザメも正真正銘の一流だ。
コバンザメがいなければカリスマは輝けない。
冷静沈着にあなた自身を見つめ、楽勝できそうな土俵でとことん努力して勝ち続けよう。
- 一流の人だけが知っている、他人には絶対に教えないこの世界のルール。
- 雀が鷹の真似をしたりしても、幸せにはなれない。
愛知県生まれ。岐阜県各務原市育ち。東北大学教育学部教育学科卒。
日系損害保険会社本部、大手経営コンサルティング会社勤務を経て独立。コンサルティング会社では、多くの業種業界におけるプロジェクトリーダーとして戦略策定からその実行支援に至るまで陣頭指揮を執る。
のべ3,300人のエグゼクティブと10,000人を超えるビジネスパーソンたちとの対話によって得た事実とそこで培った知恵を活かし、~タブーへの挑戦で、次代を創る~を自らのミッションとして執筆活動を行っている。
「朝日新聞」「週刊ダイヤモンド」「週刊プレイボーイ」等にインタビュー・取材記事が掲載.著書多数。
現在,南青山在住。
2016年7月よりリスナーから寄せられた質問に答える音声ダウンロードサービス「真夜中の雑談」を開始。
2018年12月よりPDFダウンロードサービス「千田琢哉レポート」を開始。※画像をクリックするとAmazonに飛びます