本記事は、砂田全士氏の著書『「あなたから買いたい!」と言われる熱狂顧客のつくり方』(standards)の中から一部を抜粋・編集しています。
あらゆる失敗を12年も経験したから、
売れない負のループから抜け出す行動がわかる
小さな成功例にフォーカスしよう!
「あらゆる失敗」とは、どんな内容だったか? まず時系列順でお話ししていきたいと思います。まず私がどんな失敗体験から何を学んだかをポイントを交えて確認していきましょう。
社会人スタートは父親の影響を受け、オリエントコーポレーションというカード会社に就職しました。
希望の配属地として、大学時代の居酒屋のバイトの接客中に長距離トラックの運転手の兄ちゃんが言った「若いうちは九州がとにかく最高やで~!」の言葉を鵜呑みにし、「九州」を第一希望に。そして配属地は「熊本」。「九州=福岡」のイメージだったので少しがっかりしましたが、この「熊本」配属が私の運命を変えました。
カード会社では新規のカード取引先開拓で当時は珍しかった「家賃をカードで決済する」企画を成功させて「新人賞」なるものを獲得できました!
今考えると、仕組みを考えることに快感を覚える性格は、この時の成功体験がきっかけだったのかもしれません。
ポイント(1) 過去の心地よい成功体験や実績を棚卸しする。
そして社会人2年目の夏、つまらなかった事務課の仕事に嫌気がさしていた時に、運命の電話がかかってきました!
「うちで営業の仕事をしませんか? 頑張った分が評価される会社ですよ!」
アリコジャパン(現メットライフ生命)からのスカウトの電話でした。2つ返事で転職を決め、生命保険のフルコミッションの世界に23歳独身で、しかも知り合いもほとんどいない熊本で足を踏み入れたのです。
その後はご想像の通り、すぐに壁にぶち当たりました。前職の同期や同僚、先輩など回り尽くして3ヶ月後には見込客ゼロ。成績は月保険料2,000円にまで落ち込みました。
もう無理かな……と思っていた矢先、朝礼にアチーブメントという営業研修会社の方がPRに来ました。藁をもすがる気持ちでキャッシングして約30万円投資。3泊4日で東京まで研修を受けに行きました。
そこで学んだ中で、今でも大切にしている概念が「パワーパートナー」、つまり相手の成功を自分の成功と思って相手に尽くすことです。
当時、カード会社時代に飛び込みで知り合って、保険も全部自分に任せてくれた18歳年上の不動産会社の社長さんこそ自分にとっての「パワーパートナー」だ! と思い、23歳の若造にたいしたことはできませんが、社長の好きな食べ物を聞き出して誕生日に贈ったり、できる限り社長と仲良くなるように努めました。
すると数か月後、社長の高校からの親友を紹介してもらえたのです!
早速お会いして保険のお話をさせていただくと、快く契約を他社から切り替えてくださり、おまけに近所のお友達の方のご紹介までいただくことができました。
契約後、社長の親友の方に聞きました。
「なぜご契約とご紹介までしてくださったのですか?」
するとその方は、こう答えました。
「あいつが紹介する営業マンなら間違いないと思ったし、砂田君の話もわかりやすかったからね」
このとき、改めて「紹介」の凄さと、「相手の事を考えて自分ができることを損得抜きにやり続ける」、この考え方がすごく大切だと実感しました。
ちなみにこの社長には自分の婚姻届の保証人にもなってもらい、今でも毎月ランチをしながらプライベートな相談をしたりする間柄で、この方と出会わなければ保険の仕事は辞めていました。本当に私にとって人生最大の恩人です。
ポイント(2) お世話になった方に徹底的に尽くしてみよう!
ここから一気に成功の階段を……と言いたいところですが、人生そんなに甘くありませんでした。
当時、月保険料で10万円以上は紹介連鎖でなんとか挙績できるようになりましたが、まだまだMDRTというトップセールスには届かないレベルでした。
25歳で前職の同僚だった妻と結婚したのですが、研修に費やしてきたカードローンの返済が負担となり、一向に生活は楽になりませんでした。
おまけに、何かにはまりやすい性格もあり、妻が長男を妊娠していた約13年前、知り合ったばかりの方から誘われた宗教に興味をもってしまい、数年間宗教に時間とお金を費やし、気付けば1千万円近い借金を負ってしまいました……。
ようやく宗教と決別した後も、熊本で一番古い友人からの誘いで、今度はネットワークビジネスにはまってしまうことになりました(私の捉え方、関わり方が悪かっただけで、宗教やネットワークビジネス全部を否定しているわけではありません)。
そのとき、アリコジャパンの先輩が立ち上げた保険代理店に所属していましたが、縁あって、ライフプラザパートナーズという大手保険代理店に転籍が決まっていて、ちょうど時間があったというタイミングでもありました。
そこから数年間、ネットワーク組織ではスピーカーをするくらいまでは組織を作りましたが、収入は少なかったので本業の生命保険も中途半端な状況で借金も減ることがなく、夫婦喧嘩が絶えない毎日でした。
そして運命が大きく動いたのは2011年。
東北大震災という未曽有の災害により、多くの尊い命が失われました。
「保険の仕事をこの先も続けていくのだったら、今本気でやらないとダメだ! 保険を通じて震災の被害を受けた方々に何か力になれないだろうか……」
真剣に考え、自分なりに出した結論が
「年末までの販売手数料の一部を日本赤十字に合計100万円寄付する!」
という社会貢献でした。
このプロジェクトをお客様に定期的にお届けしていた「一期一会通信」に告知しました。
後になって冷静に考えてみると、当時の平均挙績は年間手数料400~500万円。今まで年間1万円の寄付をする余裕もありませんでした。寄付100万円を達成するには、逆算すると今までの3倍もの挙績が必要だったのです。
そこで真剣に保険の仕事に対するあり方や、今までの保険人生を改めて振り返ってみたときに、自分の仕事を支えてくれていたのはやはり「既存のお客様」だという事に気づいたのです。
今までと違うサービスをお客様に提供してもっとお客様の役に立つにはどうすれば良いか……?
そう思ったとき、書斎に横積みにされたまま数年放置されていた1冊の本に引き寄せられました。本のタイトルは『94%の顧客が大満足といってくれる私の究極のサービス』(ジャック・ミッチェル 著・小川敏子訳/日本経済新聞出版)というもの。
正に自分が求めている事の答えがそこには事細かに書かれていました!
「『顧客データベース』なしに顧客満足はあり得ない」
そう気づいたときに、奇しくも付き合いで買わされたままの「顧客管理システム」がパソコンに眠っていたのです。
そこから約8ヶ月、年末を迎えたときに寄付100万円の目標を何とか達成していました!しかもほとんどの挙績はたった1人のキーマンからの繋がりで……。
ポイント(3) できる、できないは考えずに大風呂敷を広げる勇気を持とう!
寄付活動への理解や家計のやりくりなど、すべて妻の協力なしには叶いませんでした。本当に妻には感謝すると同時に、一生頭が上がらないでしょう(その後に波はありますが、妻との関係性は改善の方向には向かっています)。
そして2011年度、結果的に「MDRT」に初入会することができました! 業界12年目のことでした。
今まで自分とは別世界と思っていた「MDRT」。一生の記念に大会に参加してみようと思ったのですが、日本大会と世界大会があることを知り、まだまだ経済的に余裕がなかったので、どちらか1つを選ばなければいけませんでした。
世界大会には、当時そのDVDを擦り切れるほど繰り返し観ていた「保険の神様」トニー・ゴードン」が参加するとのこと。感謝の気持ちを直接伝えようと思い、熊本から1人でアメリカのカリフォルニア州アナハイムの世界大会に参加しました。誰も知り合いがいなくて、とにかく緊張していたのを今でも鮮明に覚えています。
そして、初参加者向けのオリエンテーションが終わったときに、歓声と行列の先には憧れのトニー・ゴードンが……!
感謝の想いを綴った手紙を忍ばせドキドキしながら行列に並び、いよいよ自分の番が回ってきました。記念撮影をしてもらった後、感謝の手紙を渡しながら「Please read it later!(後で読んで下さい!)」と言ったものの、拙い英語のため伝わらず、後ろに並んでいた外人からブーイングを浴びてどけるように促され、手紙を引っ込めようとしたときでした。
トニー氏が大声で「Wait!(待て!)」と周りを静止して、手紙をその場で読んでくれたのです!読み終わった後、トニー氏が「Congratulations!(おめでとう!)」と思いっきり抱きしめてくれました。
生まれて初めて人前で号泣しました。この時の感動は今でも思い出しただけでも涙が出てきます。本当に、本当に温かいハグでした。
しかし、感動はそれだけでは終わりませんでした。
手紙に図々しく質問を書いていたのですが、日本に帰国後、会社でパソコンを開くと、何とトニー氏からメールが! 今も書斎に拡大コピーして飾って毎日見ています。
トニー氏とのエピソード以外にも最大のメンターとの出会いがあり、この世界大会が保険人生のターニングポイントとなったことは間違いありません。この感動体験が私にとっての「MDRTマジック」でした。
この感動から数か月後、社内の表彰式で元MDRT日本会会長が「MDRT」の意義について講演をしたのですが、「何か質問はありませんか?」との問いに、MDRTマジックに掛かっていた私は、「どうやったら日本会の会長になれますか?」と無謀な質問をしてしまったのです。
会場は失笑でしたが、元会長は優しく丁寧に「まずはブロックの運営のお手伝いからスタートして、10年頑張って続ければなれると思いますよ!」と答えてくれました。変に信じやすいところがある私はその気になり、いろんな場所で発言する機会があるたびに「私の目標は10年後にMDRT日本会会長になることです!」と自己紹介するようになりました。
その後、さまざまな方にご迷惑を掛けながら九州ブロックの運営をお手伝いさせていただき、2015年度は九州ブロックの代表を務めることができ、2018年の世界大会ではスピーカーに選ばれ、壇上で講演するという貴重な機会までいただくことができました!
今振り返ると、MDRT初参加のときに出会った諸先輩方が惜しみなく自分のスキルをシェアされる姿に感動し、失敗ばかりで引っ込み思案だったこんな私でもMDRTと出会ったことで人生が変わった、その感動を体現したい! という想いが「会長になりたい!」という言葉になって口に出たのだろうと思います。
はっきり言えることは、多くの素晴らしい方とのご縁で今の自分がいること。
そして、多くの先輩方が私にシェアしてくださったように、私も自分が結果を出せたプロセスやノウハウを少しでも多くの方にお伝えすることで保険業界のレベルアップに貢献したい! と真剣に考えているということです。
今回の出版に至るまでの長い失敗の時期を乗り越えたポイントと、具体的な行動を時系列でお伝えしましたが、失敗体験から得たものが大きかったと振り返りながら確信しています。
あなたの今までのストーリーにはどんな山や谷がありますか? 山だけの成功話ほどつまらないものはありません。自分が主役となって今後の人生のストーリーを描いてみましょう!
- まとめ
- 失敗体験も自分のストーリーとして一度言葉にしてみよう!
自分自身の棚卸しで「小さな成功例」に気付き、ステップアップへのアウトプット(宣言)により、人生を好転させるきっかけが起きる!
1999年同志社大学法学部卒。
カード会社勤務を経て23歳で転勤先の熊本で外資系生命保険会社に転職するもすぐに見込客開拓に行き詰まり、1,000万円を超えるカードローンを抱えて自転車操業というどん底を長く経験。
そんな中、34歳のときに「顧客管理」を独自ルールに基づいて実践することで、1年でたった1人のお客様から100名を超える契約を獲得。400万円以下だった売上は1,500万円を超え、生命保険業界トップ6%のMDRT基準を業界12年目でクリアする。
その後、7年にわたり現場でMDRT基準をクリアしながら60回を超える講演会をきっかけに300名以上の営業マンの個別指導を行う。
2018年にはMDRT世界大会で講師を務めた。
MDRTは11回連続登録(2020-2022年度はCOT)。
2019年に「ファンツリー・マーケティング」として実践者が例外なく売上げアップを実現する「再現性の高いファン作りの技術」を完全オンライン講座にて確立し、マーケティング会社を設立。
常に最新の成功事例を惜しみなくシェアする「ファンツリー実践会」を主宰し、2021年は100名中50名を超えるメンバーがMDRT基準を達成。初COT・TOT基準達成メンバーも多数輩出している。※画像をクリックするとAmazonに飛びます