本記事は、ロッド・ジャドキンス氏の著書『天才はしつこい』(CCCメディアハウス)の中から一部を抜粋・編集しています。

思考
(画像=peshkova/stock.adobe.com)

アウトサイダー思考

自分がアウトサイダーである、たとえば権力をもつグループに入れてもらえず、むしろ常に妨害されているように感じることはあるだろうか?

アウトサイダーの自覚があったとしても、必ずあなたに非があるわけではない。アウトサイダーとは、ひとりぼっちの変人ではない。ただ他人とは異なる価値観と視点をもつのだ。自分が属する世界を外側から見ているというのは強みでもある。インサイダーは広く認められている基準にそのまま従うが、アウトサイダーは、慣習的な認められている基準には疑問を呈す。他人とは違うものの見方をしているなら、その視点をまわりにも伝えてみよう。

学校教育では型にはまった考え方を教えるが、すばらしい仕事も作品も、決して型にははめられない。学校では、学位や資格をとって社会のしくみの一部となりなさい、という圧力がある。すばらしい作品や仕事を生み出す人が、学校や大学では落ちこぼれていたケースは多い。講義をじっと聴き、いろいろなことを暗記し、それをひたすら反復するのに耐えられなかったのだろう。彼らが生まれつきもつ才能は、行動力。教室から出て実際に何かをつくりあげる才能だ。学校は自主的に考えて動く方法を教えてはくれないが、これを自力で身につけた人、つまり自分だけの新しいやり方を自力で見つけた人が、斬新で革新的なものを生み出す。「そんなの誰もやったことがない」と誰かに言われたら、とにかくやる。そうすれば、誰かがやったことになるのだから。

アイリーン・グレイは完全なる逆境にいた。1920年代当時、建築家として認定されるには厳しい条件を満たす必要があったが、そのための訓練課程は男性に厳しく管理されていた。グレイは自分に配られたカードをただ受け取ることはしなかった。支援をしてくれる人はいそうにもなかったので、ならば自分でやろうと袖をまくり、金槌と釘を手にして自分のビジョンを現実にすることにした。逆境がグレイのイノベーター精神を引き出した。

グレイは本と夜間学校を使って猛勉強し、建築家に必要とされるスキルをひととおり身につけた。やがて、ほかの建築家の作品がどれも似通っていることに気づく。インサイダーは建築家のなかでは当たり前とされる設計ルールを遵守し、大手の建築事務所は過去の設計作品と慣習を繰り返すばかりだったのだ。だが、グレイには人とは違う突出したことをする力があった。

グレイは建築の大学を出てはいない。革新的な建物や家具をつくりながら、学びを深めていった。リーダーシップ、数学、法律知識、建築製図、電気図面の製図、工学技術など、必要なスキルは何でもかんでも独学で習得した。作品は頑丈でなければならないが、独自の構想も欠かせない。グレイの設計が近代運動の先駆けとして歴史に刻まれたのは、グレイの独創的な作業工程が、訓練を積んだ建築家のやり方のなかで異彩を放っていたからだ。

グレイはまず椅子と机から取り組み始めた。1927年設計のサイドテーブルには、グレイ独特の考え方と信条が表れており、いまもなおよく売れている。スチールパイプの土台にガラスのトップという近代的な素材を使用して、多目的に使えて高さ調節が可能、古典的ながらもモダンなテーブルを設計した。その設計図で製作可能なのか、と尋ねる人がいなかったのは、目の前に証拠があったからだ ―― グレイが自力で制作した。すでに存在したのだ。

結託したインサイダーたちから攻撃を受けたときの最善策は、行動することだとグレイは証明した。つまり、エネルギーと情熱を使って悪い状況をよい状況に変えること。グレイのしなやかでなめらか、直観的な性格を反映した、革新的かつ独創的な家具と建築物は、大きな存在感を示すようになった。

建築の教育を受けていない人がゼロから家を建てるところを想像してほしい。融資を獲得し、詳細な電気回路図と配管計画を作成し、構造強度を計算して、それからやっと建設作業に入る。人が全力を傾けて取り組めばこれほどのことを成し遂げられるものなのだ。

1926年に、グレイはモナコに近い南フランスである家を建て始める。外国人だったグレイは土地を所有できなかったため、岩だらけの安い小さな土地をパートナー名義で購入した。そこに建てられたE-1027という暗号のような名で呼ばれる家は、柱に支えられて、でこぼことした大岩の上に突き出している。真っ白な灯台のように光り輝き、横長の巨大な窓とオープンファサードが特徴の別荘だ。E-1027はすぐに世界中から傑作と認められ、グレイに設計依頼が殺到するようになった。

天才はしつこい
(画像=天才はしつこい)

グレイはE-1027を売りに出して次のプロジェクトに取りかかったが、成功を手にする姿が、大学で何年間も建築を学んだ後に見習いとして働くほかの建築家の嫉妬を買った。確立された建築方式にとらわれる必要はない、自分で考えて自分でつくることもできる、とグレイは示しつづけた。

偉大な建築家ル・コルビュジエはE-1027を称賛し、何か学びを得ようとたびたびやって来ては入り浸った。ただ、同時にグレイを妬み、疎ましく思っていたようで、1938年にいくつかの部屋の壁にキュビズムの裸婦の絵を無断で描き、E-1027には装飾を施さないというグレイのこだわりを故意に踏みにじった。

建築評論家のローワン・ムーアはこれを、「自分の縄張りに尿をかける犬のような、支配権」を誇示する行為と表現した。グレイの独自の考え方とひとりで行動できる大胆さは、建築業界の主流派の怒りを買っていたのだ。

インサイダーになりたいという欲に負けないこと。アウトサイダーは、自分の手を使い、自分のやり方で事をなさなければならない。グレイが遺した作品は、自分の両手とアイデアを使って真面目に努力すれば、いっそうの誇りをもって誰にも真似できないことを成し遂げられる、と請けあっている。実をいえばグレイだって、インサイダーになりたい、建築業界に受け入れられたいと望んでいたし、最終的にはそれを叶えた。ただ、かつてアウトサイダーだった経験がグレイを際立たせた。

クリエイティブな業界のアウトサイダーには、イギリスのナイトの爵位の授与をアウトサイダーの視点を失いたくないからと辞退した人が数多くいる。フランシス・ベーコン、デヴィッド・ボウイ、L・S・ローリー、ヘンリー・ムーア、ジョセフ・コンラッド、マイケル・ファラデー、デヴィッド・ホックニーなどだ。ボブ・ディランは75歳でノーベル賞を授与されたが、受賞にはためらいがあったという。おおいに名誉な賞だが、受けると決めるまでに数か月間も迷ったそうだ。

居心地のよさを感じたい、受け入れられたい、グループの一員として結束したいと、誰もが願うものだ。それでも、承認欲求には抗う必要がある。文学、音楽、科学のめざましい進歩はアウトサイダーによってもたらされ、アウトサイダーだけが革新的な変化を起こすことができる。アウトサイダーは、仲間外れを恐れてしきりにまわりを窺ったりはしない。そもそも仲間に入っていないのだから。

1 やりながら学ぶ。経験は最高の師だ。あなた以上にあなたを知る人はいないのだから、最高の師は自分自身である。自分のすべてをかけて深く学べば、必要な知識は独学で習得できる。グレイは驚異的な勤勉さで取り組み、E-1027に3年間、1日も欠かさず足を運んだ。自分だけのやり方を見つけ出そう。唯一無二であるからこそ、大きな成果を出せるのだから。

2 やり方がわからないとき、何も考えずに指導を請うのではなく、まずは自分でやってみる。自分でやり方を探すとなると、いろいろなことを疑問視しながら作業を進めることになり、これが作品を豊かにする。他人の考え方を利用するのは楽だが、怠惰でもある。大学講師として、私は学生に独自の考えをもつ方法と自立する方法を伝えている。学校で習ったことはいったん全部忘れなさいと話している。
3 アウトサイダーの生き様を取り入れる。インサイダーは機械の歯車にすぎないが、アウトサイダーは自分用の機械をつくる。アウトサイダーは新しいアイデアを快く受け入れる。自分に正直に動くので、過去を振り返ってやっぱりこうしなければよかったと思うことはめったにない。まわりの賛同を得ようとせずに自分の作品に一心不乱に取り組むうえ、自分の心の声を聞いて直感に従うので、気持ちも満ち足りている。グレイはアウトサイダーとして苦労はしたが、その立場を活かして大きな成果を上げた。
天才はしつこい
ロッド・ジャドキンス
世界的名門美術学校であるロンドンの芸術学校のカレッジのひとつ、セントラル・セントマーティンズ講師、アーティスト。ロイヤル・カレッジ・オブ・アートで修士号取得。
世界中の大学や企業・組織でクリエイティビティに関するセミナーを主宰する他、テート・ブリテン、ナショナル・ポートレートギャラリー、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツに作品を出展するなどアーティストとしても活躍。
世界的ベストセラー『「クリエイティブ」の処方箋』(フィルムアート社)は15か国語に翻訳されている。

※画像をクリックするとAmazonに飛びます
ZUU online library
(※画像をクリックするとZUU online libraryに飛びます)