本記事は、小杉俊哉氏の著書『リーダーのように組織で働く』(クロスメディア・パブリッシング(インプレス))の中から一部を抜粋・編集しています。
そもそも「キャリア自律」とは何なのか?
いまや一般に使われるようになった、キャリア自律だが、そもそもこれはどのようなことを意味するのかを、ここで確認しておきたい。まずは、2つに分けて考える。
1.キャリア
あなたが考える、キャリアとはどのようなものだろうか。ぜひ言語化してみてほしい。
いかがだろうか? 多くの人は、経歴、仕事の経験、職業の積み重ねのように答える。
これはもちろん正しい。ただ狭義の意味において。
では、広義ではどうなるだろう。
- 人が生涯を通じて関わる、一連の労働や余暇を含むライフスタイル(マクダニエル、1978年)
- 人が生涯に行う労働と余暇の全体(シアーズ、1982年)
- 職業/自己実現/個人の生活行動の構成要素/役割期待/社会的役割/社会移動(アーサー、1989年)
そう、プライベートである余暇も含むあなたの生き方そのもの、という定義は昔からなされている。それが、いまや一般的な認識となってきている。
3人の子育てをしながら働くお母さんが、10%でも「仕事」があれば人生が楽しくなる、と言っている所以だ。どのようにオン・オフを切りわけるか、ではなく、どう調和し、統合し、組み込むかがあなたの人生を豊かにすることに必要な発想だということだ。
ちなみに、キャリアを考えるとは、“Who are you?”という質問に答えるということだ。
「おまえは一体何者なのだ?」と聞かれたときに、単に経歴やスキルだけではなく、自分は一体どこからきて(過去)、今何をしていて(現在)、これからどこへ向かおうとしているのか(未来)、を言語化することが必要だ。
特に採用において、新卒の学生にはまだ難しくとも、転職だとそれが問われるのだ。
2.自律
さて、その広義のキャリアの「自律」について考えたい。これも、ぜひ言語化してみていただきたい。
いかがだろうか?
自律という言葉は、自立と混同されて使われている。専門家でさえもだ。どう違うか?
- 自立=自分の食い扶持を自分で稼ぐ。独り立ちする。
- 自律=自ら仕事を創り出し、自らの責任でおいて行う。結果も含めてすべて自ら負っていると意識すること。
社会人である以上、まず自立することは最低限求められる。一方、自律はそれとは比較にならないくらい高度なものだ。組織においてこの自律的に働いている人が少ないことからもそれがわかるだろう。
さらに、自律の意味を際立たせるために、反意語を考えてみてほしい。
いかがだろうか。従属、依存という言葉が上がることが多い。
それを別の表現にすると、「他律」になる。つまり、自分でコントロールするのか、他人がそうするのか、ということだ。これはあなたの現状を指すのではなく、あなたの姿勢そのものだ。自律は先に出たようにシンドイ。だから、何もしなければ自動的に他律になるということだ。他の誰かがあなたの人生をコントロールするということだ。
フォーチュン誌で20世紀最高の経営者にも選ばれた、GEのジャック・ウェルチ元CEOは、着任早々社員に向かって
「雇用は守れない。しかし、あなたがどこに行っても働ける能力を身に付けられるよう、会社は最大限努力する」
と宣言して、社員だけでなくステークホルダーを仰天させた。米企業なら当然だと思うかも知れない。しかし、後ほど出てくるように90年代はじめまで優良な米企業は、日本的な経営をお手本とし、長期雇用、年功的給与運営、労使協調だった。GEもまたその一例だった。しかし、それによって不採算事業を多く抱え、縦割り経営による無駄も多く41万人のコングロマリットは青息吐息だった。
そのような状況下、生え抜きでトップに上り詰めたウェルチはこのような宣言をしたのだ。そのインパクトが想像できるのではないだろうか。
そして、このように言った。
“Control your destiny, or someone else will.“
(あなたの運命をコントロールしなさい、さもなければ誰か他の人間がコントロールしようとする)
これが、自律をとらないと他律になるということを端的に言い表している。
キャリアの責任は社員自身にあることを明確に訴えたのだ。ただし、突き放すのではなく、そのために会社は最大限支援するという宣言をしたのだ。
短期間に多くのM&Aによって事業を売却・買収しニュートロン(中性子)ジャック、と恐れられた。
しかし実際、GEは世界中に多くの経営者、マネジャーを輩出する人材輩出企業となった。ウェルチは約束を守ったのだ。