追悼・2023年にこの世を去ったファッション業界、出版業界の巨星たち
(画像=「セブツー」より引用)

今年2023年も多くのファッション業界人と出版業界人が惜しまれつつこの世を去った。その死を悼みつつ、輝かしい功績と人柄を振り返る。

〈2月23日〉 パコ・ラバンヌ(Paco Rabanne)
1966年、「12 Unwearable Dresses in Contemporary Materials(12の着用不可能なコレクション)」と共に「パコ・ラバンヌ(PACO RABANNE)」をスタートさせたスペイン人デザイナー。アンドレ・クレージュ(André Courrèges)やピエール・カルダン(Pierre Cardin)と共に60年代のスペースエイジ・ムーブメントを率いた。1999年に第一線を退いたが、2011年にブランドは復活を遂げる。彼亡き後、ブランドの名称が「ラバンヌ(RABANNE)」に変更され、メイクアップコレクションや「H&M」とのコラボレーションを行うなど、依然として世界中で愛されている。88歳だった。

〈4月13日〉 マリー・クヮント(Mary Quant)
「ミニスカートの母」とも呼ばれ、1960年代の女性のファッションに革新をもたらした「マリー・クヮント(MARY QUANT)」のデザイナー。女性の社会進出にも一役を担ったと評価されている、伝説的な存在。死去する前年の2022年には彼女のドキュメンタリー映画も公開されており、その訃報は衝撃を与えた。 93歳だった。

〈7月13日〉木滑良久
1955年に平凡出版(現マガジンハウス)に入社し、『週刊平凡』『平凡パンチ』『anan』といった雑誌の編集長を歴任してきた。さらに『BRUTUS』『POPEYE』を創刊し初代編集長を務めるなど、日本の男性ライフスタイル誌の原型を作り、国内の雑誌文化を牽引してきた先駆的な存在だった。93歳だった。

〈7月16日〉ジェーン・バーキン(Jane Birkin)
「エルメス(HERMES)」が1984年に発表したバッグ「バーキン」の由来として知られる女優であり歌手のジェーン・バーキン。18歳で出演した映画『ナック』で俳優としてデビューし、1967年に公開されたミケランジェロ・アントニオーニ(Michelangelo Antonioni)の脚本・監督作品『欲望』では、ザ・ブロンド役で出演。同作品はカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞している。日本では2023年8月に娘のシャルロット・ゲンズブール(Charlotte Gainsbourg)が監督したドキュメンタリー映画『ジェーンとシャルロット』が公開され、話題を呼んだ。76歳だった。

〈8月11日〉大出一博
1967年にSUNデザイン研究所をスタートし、ファッションイラストレーターやスタイリストの育成を手掛けたファッションプロデューサー。1973年にはSUNプロデュースを設立し、山本寛斎や高田賢三、鳥居ユキを始め、国内外の数々のブランドのファッションショーをプロデュースしてきた、敏腕プロデューサーだった。81歳だった。

〈8月30日〉福原義春
資生堂の創業者の福原有信の孫で、慶應義塾大学を卒業後、資生堂に入社。1987年に社長に就任し、1997年に会長を経て、2001年から名誉会長を務めていた。資生堂の海外での販売拡大を推進し、世界的な企業に成長させる礎を築いたと評価される。企業メセナ協議会の名誉会長として積極的に芸術文化の支援活動を行ったことでも知られる。92歳だった。

〈9月6日〉マルク・ボアン(Marc Bohan)
「ディオール(DIOR)」2代目クチュリエのイヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)の後任として1960年から89年まで、30年近く同メゾンのデザイナーを務めた。その期間は「ディオール」のデザイナー史上最も長く、創業者のクリスチャン・ディオール(Christian Dior)よりも長かった。97歳だった。

〈12月14日〉蓮見清一
1971年に宝島社の前身となるJICCを設立した。1993年に現在の宝島社に社名を変更し、政治問題からサブカルチャーまでを扱う「別冊宝島」を始め、女性をターゲットにしたファッション誌「CUTiE(キューティ)」、「SPRiNG(スプリング)」、「sweet(スウィート)」やメンズファッション誌「smart(スマート)」などを発行した。今では定番となっている、トートバッグなどの付録を雑誌に付属する戦略を成功させ、宝島社が発行する雑誌の部数を伸ばしてきたのも彼だ。80歳だった。