この記事は2024年2月29日に「テレ東BIZ」で公開された「銀座・浅草の顔!?「松屋」 逆風下のサバイバル術:読んで分かる「カンブリア宮殿」」を一部編集し、転載したものです。
目次
百貨店大閉店時代でも盛況~「東京にある地方百貨店」
今年1月3日、東京・銀座の百貨店、松屋銀座には開店2時間前に500人以上の行列ができていた。先頭は朝7時から並んでいる母娘で「目当ては食品のガチャ」と言う。
食品売り場で行われたその「福ガチャ」。3,000円でコイン1枚を購入し、それをガチャに入れてハンドルを回すとカプセルが。中には「ローマイヤ」の「ハム・ソーセージ詰め合わせ」(約5,400円相当)や、肉の名店「日本橋日山」の「国内産黒毛和牛すき焼用」(約4,500円相当)の引き換え券が入っている。
▽「福ガチャ」先着100人、5分で完売した
先頭に並んでいた母娘が当たった「バラエティ福袋」には高級冷凍食品ブランドのシーフードグラタンやロールキャベツの詰め合わせセット(約6,300円相当)が。「福ガチャ」は先着100人、5分で完売した。
今、松屋はこうした楽しい企画を次々と打ち出し多くの客を集めている。創業は1869年。銀座と浅草の2店舗しかないが、独自の戦略で生き延びてきた老舗だ。
バブル崩壊以降、百貨店人気は下がり続け、2023年9月にはセブン&アイが「そごう・西武」をアメリカの投資会社に売却。全国的に見ても、百貨店業界全体の売り上げはピーク時の半分近くまで落ち、今やイオングループ1社に全く歯がたたない状況だ。
そんな中、松屋は去年上半期に銀座店で過去最高売り上げを達成。年間を通してもコロナ前を追い抜いた。
松屋といえば、外壁すべてを使った広告が有名だ。シャネルをはじめとする世界的な高級ブランドを中心に、お洒落でハイセンスなビジュアルは銀座の名物となっている。
▽お洒落でハイセンスなビジュアルは銀座の名物となっている
「銀座でこれだけの広い壁面を持っている建物は他にはない。それが我々の強みですし、広告としても使っている」と言うのは社長・古屋毅彦(50)だ。
創業家の5代目でもある古屋は、2023年3月社長に就任。厳しい百貨店業界の中で、松屋はライバルの大手とは違う店だという。「松屋は東京にある地方百貨店」と言うのだ。
「全国各地にたくさん店舗を置かずに銀座と浅草を中心にして、他の百貨店がやらないことに積極的に取り組んで差別化していかないと、松屋が存在している意義がない」(古屋)
逆風にも強い独自戦略~ミッションは「幸せになれる場」
松屋の独自戦略1~地域を生かした売り場作り
この日古屋が向かった「全銀座会」は、銀座の商店会や町内会などを束ね、街を盛り上げていく組織だ。
「銀座の街がダメになったら全部の店が沈んでしまう。松屋は銀座の指標というか、引っ張っていただける存在だと思います」(全銀座会 事務局長・竹沢えり子さん)
銀座といえば、古くからの飲食の名店が立ち並ぶ美食の街。そうした店がコロナ禍でピンチになった1年半前、松屋は冷凍食品売り場「ギンザ フローズン グルメ」を作った。
そこには創業100年、肉の名店として名高い「銀座 吉澤」の「松阪牛シルクハンバーグステーキ」(1,620円)が。松阪牛を使った贅沢でジューシーな逸品だ。
▽「松阪牛シルクハンバーグステーキ」松阪牛を使った贅沢でジューシーな逸品
洋食の老舗「銀座みかわや」の「国産和牛タンシチュー」(1万1,880円)も昔から変わらない銀座の味だ。さらに「銀座アスター」の中華など、約55の名店の350種類の冷凍食品を揃えている。この売り場をオープンすると売り上げは前年の約6倍に。銀座の店とウィンウィンの関係を築いた。
「松屋が銀座に貢献してくれているという認識が強いし、松屋が何かしようと思った時には、自分たちも『一緒にやりましょう』という思いになれます」(「銀座 みかわや」4代目店主・渡仲晋平さん)
銀座店食品部の今井克俊は新たな店とタッグを組もうとしている。「はち巻岡田」は1916年創業の和食の名店だ。看板メニューの「鮟鱇鍋」や鶏スープ「岡田茶わん」を求めて、橋本龍太郎元総理や作家の山口瞳など、多くの著名人に愛されてきた。
「なかなか和食の商品ができていなかったので、伝統的江戸料理が冷凍食品で表現できたら」と言う今井に対して、3代目店主の岡田幸造さんは「今まで冷凍食品には抵抗がありましたが、『冷凍の概念を変えたい』と言っていたので」と応じた。
松屋が商品化を狙うのは「軍鶏鍋」。冷凍を受け持つのは銀座の洋食店「銀座日東コーナー1948」だ。自社で持つ急速冷凍機を使い肉や野菜の細胞、繊維を極力壊さずスープまで冷凍できるという。まさに銀座にあるからこそできるプロジェクトだ。
松屋の独自戦略2~メンズとレディースが合体
2023年に古屋は5階の紳士フロアをリニューアルし、新たな売り方を始めた。
「メンズとレディースを1つの区画の中で展開するコンバインという売り方です」(ショップMD部・木村麻里)
通常、百貨店では同じブランドでもメンズとレディースは別のフロアで展開する。それを松屋の5階では大半の店をコンバインにした。
▽松屋の5階では大半の店をコンバインにした
「これまでは待ち合わせは◯◯でねと、男女が別々で買い物して戻ってくることが多かったのですが、このフロアだったら、2人で試着して隣に並んで鏡に映したりもできます」(木村)
夫婦でパーティーや子どもの入学式の服を選ぶ場合、「例えば女性がこの服を選んだ時には男性はスーツのネクタイにピンクをさしてみたり……」(木村)ということができる。 このリニューアルで、売り上げは1.7倍にアップした。
松屋の独自戦略3~レアな店を誘致
スイーツ売り場で人気の「ナーディル・ギュル」。2022年11月、トルコで180年続く人気の店を初の海外店舗として呼び込んだ。看板商品は「バクラヴァ」というお菓子。薄い生地を何層にも重ねたトルコの伝統菓子で、今や松屋のスイーツ売り場の人気ベスト5に入る(「ピスタチオバクラヴァ」4個入1,944円)。
▽薄い生地を何層にも重ねたトルコの伝統菓子「バクラヴァ」
4年前、世田谷・九品仏にオープンした気鋭の店「アンフィニ」も本店以外は松屋にしか出店していない。その味に惚れ込んだ松屋のバイヤーが引き入れた。1番人気はベルガモットという柑橘類がメインのムースに果汁でつやがけを施した「パルファン」(767円)。バラの花びらをあしらったムースの中にジャスミンなどを使ったブリュレやイチゴのコンポートが入っている。
▽「パルファン」バラの花びらをあしらったムースの中にコンポートが入っている
松屋に出店した理由は「決まったマニュアル通りではなく柔軟に対応していただける。小さい店のブランドのことも理解してくださる」(オーナーシェフパティシエ・金井史章さん)だという。
2月、松屋銀座最大のスイーツイベント「GINZAバレンタインワールド」が開催された。世界82ブランドのチョコが集結。約2週間のイベントに10万人が来場した。
特設バーでは酒の種類ごとに合わせて作られたBAR専用チョコを提供していた。
BAR専用チョコを作っている「アトリエAirgead」ショコラティエの須藤銀雅さんは、「一般販売はしないで日本全国の正統派のBARにだけ卸している。お酒とチョコレート両方が揃わないと出したくない」と言う。
そこで松屋は会場にBARカウンターを作り、BAR専用チョコレートの出品を実現させた。
「『幸せになれる場』を作っていくことをミッションにしているので、今そこに一生懸命取り組み、投資をしていかないと負けてしまうと思っています」(古屋)
自宅でのご用聞きだけじゃない~令和の外商はここまでやる
銀座2丁目の交差点に立つと世界でも類を見ないブランドショップが立ち並ぶ。「シャネル」「カルティエ」「ブルガリ」……そして銀座松屋に入っているのが「ルイ・ヴィトン」だ。
▽フランスのラグジュアリーブランド「ルイ・ヴィトン」は2000年に松屋銀座に出店
フランスのラグジュアリーブランド「ルイ・ヴィトン」は2000年に松屋銀座に出店。以来、最高級の品質と洗練されたデザインのバッグやスーツケースをはじめ、アクセサリー、ウエア、シューズなど、3フロアに及ぶ国内最大級の売り場で展開。セレブたちから熱烈な支持を得ている。
銀座に店を構える松屋はセレブな顧客を多く抱えている。
外商とは富裕層など上顧客の自宅に出向き、商品を提案したり届けたりする百貨店独自の販売スタイル。松屋では自宅を訪問するだけでなく、銀座で買い物をする顧客のためにラグジュアリーブランドの路面店と提携し、アテンドまで行っている。
この日の女性顧客は2児の母親。ご主人は経営コンサルタントで自らも仕事をしている。外商部の藤原和幸が彼女を案内したのは「ティファニー」銀座本店。ニューヨークを本拠地とし、世界中で300以上の店を展開。銀座本店は1996年にオープン以来、多くの顧客に愛され続けてきた。
藤原は顧客のために特別なVIPルームを予約していた。ここなら気兼ねなくさまざまなジュエリーを実際に身につけることができる。
▽ラグジュアリーブランドの路面店と提携しアテンドまで行っている
女性は新作で35万7,500円の「ティファニー ハードウェア」リングを購入した。
「感無量です。明日から仕事に家事に育児に頑張ります」と、客は藤原に感謝する。こうして顧客との信頼関係を結んでいく。
創業家5代目が変革に挑む~老舗百貨店のサバイバル術
東京・浅草に松屋のもう一つの店舗「松屋浅草」がある。店内は銀座とは違ってアットホームな雰囲気。客のほとんどが地元の常連さん。「庶民的で、下町の感じは他の百貨店とは違う」と言う。
▽東京・浅草に松屋のもう一つの店舗「松屋浅草」がある
明治2年、山梨から上京してきた古屋徳兵衛が横浜に呉服店を開業したのが松屋の始まり。関東大震災後の1925年に銀座で百貨店を開店する。1931年には浅草で初めての百貨店をオープン。屋上遊園地を作り、家族で楽しめる場所として人気を呼んだ。
松屋の跡取りとして古屋が生まれたのは1973年。幼い頃から後継者への意識はあったという。
「家族には言われなかったのですが、周りには言われて育った。松屋に入らなくてはいけない雰囲気が常にありました」(古屋)
学習院大学を卒業後、経済の動きを知るため東京三菱銀行に入行。27歳で松屋に入社し、研修でアメリカに渡る。そこで古屋は自分の人生に疑問を抱き始める。
「日本にいると、松屋と跡継ぎの自分がセットで言われることが多かった。背番号がついていた感じがあるわけです」(古屋)
後継ぎとして与えられたレールの上を、ただ歩むことに疑問を感じたのだ。
そんな中、アメリカの友人のひと言が後継ぎの呪縛から解き放つ。それは「将来は百貨店の経営者か。いろんなことにチャレンジできるじゃないか!」という一言だった。
「アメリカに行くと松屋なんて誰も知らない。変に意識する必要もなく、自分は何がしたいのか、自分は何を持っているのか、僕にしかできないことが必ずあると感じ始めたんです」(古屋)
日本に戻った古屋は2013年、松屋銀座の本店長に就任。テナントとして入っている「ルイ・ヴィトン」の売り場面積の拡大を実現し、収益と集客を大きく伸ばした。
そして去年3月、社長に就任すると百貨店の常識破りに動き出した。9月には開店を1時間遅らせ11時に。他の大手と比べても最も遅いオープンだ。
「朝を活用していろいろなことをしている社員も多いので、それが『幸せな場を創造する』ことにつながっていると思います」(松屋銀座・河野新平)
休みは元日だけという百貨店の常識も破り、1月2日も休業にした。それまでの古い体質から脱し、風通しのよい職場作りに力を入れている。
「デザインの松屋」が支援~地方百貨店を元気づける
銀座本店の7階に松屋を特徴づける売り場がある。「デザインコレクション」は1955年に始まったセレクトショップの先駆けだ。良質なデザインを世に送り出そうと発足したクリエイティブ集団「日本デザインコミッティー」。丹下健三、岡本太郎ら名だたるメンバーがセレクトした商品を、この売り場で発信し続けてきた。
▽「デザインコレクション」は1955年に始まったセレクトショップの先駆けだ
1958年に生まれた「G型しょうゆさし」、15世紀にデンマークで生まれた作業用の三本脚の椅子「Shoemaker Chair NO.59」……。こうしたデザインと実用性の高い品々を置くことで、「デザインの松屋」と呼ばれるように。現在も、第一線で活躍するクリエイターがこの売り場で良質な商品を発信し続けている。
「メンバーにはいろいろな分野のデザイナーがいて、それぞれの見方が違う。その意見を聞いて自分たちの勉強になるんです」(グラフィックデザイナー・佐藤卓さん)
「松屋さんもいっしょにやりたいと言ってくれて強い絆がある。これからももっと積極的に挑戦するべきだと思います」(建築家/プロダクトデザイナー・黒川雅之さん)
そんな「デザイン力」を武器に、松屋はいま、ある取り組みに動いている。
共創事業部・柴田享一郎が向かったのは、岩手県盛岡市で1866年創業の百貨店「パルクアベニュー・カワトク」。松屋がプロデュースしたショーウィンドーのディスプレーには「南部鉄器」の鍋敷きが使われている。「南部鉄器」は主に鉄瓶や鍋といった岩手を代表する伝統工芸品だ。柴田は「自分の町に誇りを持てることが重要だと思うんです」と言う。
「敷物をディスプレーのツールにするアイデアは私たちには思い浮かばないです」(カワトク店長・藤澤ゆみ子さん)
▽松屋がプロデュースしたショーウィンドーのディスプレー
松屋側はプロデュース料を得ることでお互いがウィンウィンの関係を築いているのだ。
「百貨店を絶やさないように守っていかなければいけないと思っています」(藤澤さん)
2024年の初め、島根県で唯一の百貨店「一畑百貨店」が65年余りの歴史に幕を閉じ、全国で百貨店ゼロの県が3つになった。だからこそ、松屋はそのデザイン力で地方百貨店の生き残りを手助けしているのだ。
富山県唯一の百貨店「富山大和」(1923年創業)では、地域の伝統工芸「井波彫刻」で作った獅子頭をディスプレーしている。
「松屋のデザイン力はすごい。百貨店の売り上げは大変ですけど、このディスプレーを客に見てもらって、百貨店って楽しい場所だと思ってもらうのが一番いいなと」(販売促進部・山本潤子さん)
※価格は放送時の金額です。
~村上龍の編集後記~
百貨店の業界は厳しい。右肩下がりが続いている。だが「松屋」ほど、百貨店という名前がしっくりくるところも珍しい。
百貨店という名前の強みは、長い歴史で培ってきた安心・安全と信用・信頼だ。そもそも「銀座と浅草に館を構える店」というイメージを大事にしている。
白亜のルイ・ヴィトンもどことなく、つつましい。長い時間をかけてブランドを大事にし、ブランドからも信頼を勝ち取った証しだ。銀座に路面店を構える店と連携し、外商顧客を送客するサービスも、そのすべてがつつましい魅力に溢れている。