日本M&Aセンター

最後の質問を終えて取材のお礼を伝えると、朗らかにこう切り返された。
「何か追加で聞きたいことがあったらメールをください」

日本M&Aセンター設立から33年、同社は押しも押されぬM&A業界のトップとして長きにわたり先頭を走っている。もっとも、ここに至るまで様々なことがあった。今では考えられないが、創業から最初の10年は社員が10数名規模だったという。そこから飛躍的な成長を遂げたものの、組織が、業界が大きくなるにつれてトラブルも頻出した。特に今はマスコミから厳しい目を向けられている。

それでも、包み隠さず、真剣な表情で、時に笑顔をまじえて、自身の想いを語った。

印象的な言葉がある。
「やはり面白くて楽しいからです」
相好を崩して力強く言いきった。

そこにはM&A業界をリードする三宅卓氏の根幹となる想いが凝縮されている。ビジネスパーソンであれば誰しもこうありたい。

三宅 卓(みやけ・すぐる)
1952年兵庫県神戸市生まれ。大阪工業大学工学部を経て1977年に日本オリベッティ株式会社に入社。1991年に株式会社日本M&Aセンターの設立に参画。中小企業M&Aの第一人者として、創業者である分林保弘(現・名誉会長)とともに同社を牽引。2008年に同社代表取締役社長に就任、2024年4月より同社代表取締役会長を務める。

1991年に分林保弘名誉会長とご一緒に日本M&Aセンターを設立されました。どのような想いから創業に至ったのでしょうか。

もともと分林も私も、今で言うIT企業(日本オリベッティ/現NTTデータルウィーブ)に勤めていまして、上司である分林と一緒に、税理士を対象に様々なシステムを販売していました。その後、私は金融機関の担当となったんですが、分林のお客様である会計事務所の先生方から「後継者がいない会社が増えてきた。そういう会社をM&Aで救ってほしい」というニーズが出てきて、それで作ったのが日本M&Aセンターなんです。

今でこそ後継者不足、後継者不在が社会的な問題になっていますが、当時から問題視されていたのでしょうか。

今の「後継者不足」とは違った理由からですね。当時はバブル真っただ中で、地方の中小企業のご子息が東京の大学に通われて、そこからテレビ局や商社、広告代理店など給料が高い、華やかな会社に就職されるんです。そのまま地元に帰ってこなくて、会社を継いでくれないと。そういうケースが多かったですね。

なるほど。会社設立にあたっては、スムーズにスタートを切ることができたのでしょうか。

「M&A」という言葉がまだ知られていなかった時でしたが、約200名の税理士の先生方が出資してくださって、会社を設立することができました。

でも、最初は大変でしたね。M&Aとは何かと聞かれ、「会社を売ったり買ったりすることです」とお伝えすると、「乗っ取り屋か」と悪いイメージを持たれる。ひどい時は『M&M's(エムアンドエムズ)』というチョコレートブランドと間違われることもありました(笑)。その頃、M&A仲介をしていたのは我々を入れて数社で、M&Aに対する認知はほとんどなかったんです。

そのM&Aを世の中に浸透させていくのは大変だったと思います。

ひたすら啓発活動を続けました。

その頃は新聞が特に大きな影響力を持っていたので、創業1年目に日経新聞に全面広告を出しました。後継者の「者」を会社の「社」と変えて、「後継社を探します」というメッセージと、我々を応援してくれている全国の会計事務所をすべて記載しました。その反響がものすごく大きくて、1週間、電話が鳴り止みませんでした。

それと、創業期からセミナーも実施していました。おそらく年間50回ほどお話させていただいていたと思います。セミナーはずっと継続しているので、最近お会いした社長さんから「10年前に聞きましたよ」とか、「5年前にセミナーに参加しました」とかお声がけいただくこともあります。

ただセミナーも最初は大変でしたね。お客さんが1人ということもありました。それで応援してくれている会計事務所にダイレクトメールを出してもらったり、お付き合いのある商工会議所に案内を出してもらったりして、地道に集客していました。

それが今は大きなイベントを実施すると、東京で700名、大阪で300名も集まってくださいます。以前、九州縦断のような形で14ヶ所でセミナーを行ったのですが、計3,000名弱にお越しいただいて。また、創業30周年のイベントとして「M&Aカンファレンス2021」を開催したのですが、会場参加の方々に加えて、オンラインでは15万人の方々を集めることができました。

もともとM&Aの認知が低かった中で、そうした活動によって広めていくことができました。その成果として、M&Aに対するイメージも変わってきたと思います。

もともとM&Aに関心を持つのは、大きな病気をして本当に困っている経営者や、M&Aを勉強している人などに限られていたんです。それが認知が広まることによって大衆化してきて、気軽に検討できるようになってきました。これまでの蓄積の賜物ですね。

ここ最近になって「M&A業界」という言葉が定着しつつあって、「業界」ができたことに感動しているんですよ。もともとは我々を含めて数社しかいなくて、とても業界とは言えなかった。それがだんだんとM&Aのニーズが広がってきて、M&Aブティックが増えてきて、中小企業庁がガイドラインを発表して、それから業界の自主規制団体も設立しました。そして東洋経済さんの『会社四季報 業界地図』にM&A業界を載せていただいた。もう感無量ですよ。

三宅 卓氏

認知拡大と同時に、日本M&Aセンターは右肩上がりの成長を遂げています。その要因はどんなところにあるのでしょうか。

1つは業務のスタンダード化にあると思います。私はIT系の企業にいたのでスタンダード化、モジュール化というのを当たり前にやらされてきました。逆に、そこで忌み嫌われていたのが職人芸でした。

当時で言うコンピューター業界、今で言うIT業界ももともとは職人芸から始まりました。でもそのうち無理が生じてきて、誰もが理解できるプログラムにしようとなり、スタンダード化が進められてきました。私はそうした過渡期にコンピューター業界に入り、実際にスタンダード化、モジュール化していくところを経験してきました。

そうした中、M&Aの世界に入って驚いたのが、職人芸が中心となっていたことでした。大手の投資銀行でも担当者それぞれが独自の手法を持っており、その部下たちが受け継いでいくという感じで、手法も情報も共有化されていなかったんです。

大企業のM&Aであればそれでいいかもしれません。大きな取引となり、1件1件を手作りしていくような形なので。しかし、中小企業ですと困っている会社がたくさんありますから、皆で情報を共有しながらマッチングさせていく、支援していく必要があります。

その時に会社の紹介資料の書式がバラバラ、企業評価の考え方もバラバラではうまくいきません。どんな業種でもどんな会社でも標準的な方法で評価しないと、買い手と売り手双方の多くの企業がいる中で、的確にマッチングさせることができないんです。それで、すべての業務のスタンダード化を進めていきました。

コンピューター業界ではデファクトスタンダード(事実上の業界標準)を設定した企業が成功を収めています。マイクロソフトはすべてをオープンにして業界のスタンダードを作っていきました。我々もそれにならい、多くの出向者を受け入れ、また他社に向けてもすべてのノウハウを公開しています。

そうして業界のスタンダード化を進めていき、全国の地銀、会計事務所、さらには他のM&Aブティックとも情報共有、情報交換して、多くの企業をマッチングさせていく。そうやって当社は現在の強固な体制を築くことができました。

その成長過程を見ると、会社設立10年目から20年目にかけて飛躍的に拡大しています。転機などがあったのでしょうか。

創業から10年間はあまり成長していなくて、社員数10数名のファミリー的な会社でした。その良さももちろんあったんですけど、一方で疑問も感じていました。個人の収入もオリベッティ時代よりも低く、「これでいいのかな」と。そこで考えました。このまま少人数で続けていくのか、それとももっとスケールさせていくのか。

10年間の仕事を振り返ってみると、お客さんからすごく感謝されていました。「会社を残してくれてありがとう」、「雇用を守ってくれてありがとう」と言ってもらえ、本当に良い仕事かもしれない、社会に役立つ仕事かもしれない、そう思った時にもっと貢献すべき、貢献しなければいけないと思うようになりました。

10件、20件のM&Aをお手伝いするのではなく、100件、いや1,000件のM&Aの支援をするべきだと。そこで10年目に「M&Aセンターは変わる」というメッセージを社内外に発信しました。心構えとして、24時間365日営業、火の玉集団で行くぞ、と意気込んで数年後の上場を目指しました。

これまで会社を存続させて喜んでもらった、会社の成長につながって喜んでもらった。そうした経験から、現在、企業理念として掲げる『M&Aを通じて企業の「存続と発展」に貢献する』という想いを旗印として進んでいきました。

その意思統一が成長の後押しとなったんですね。

そうですね。それまではビジョンがあまり明確ではありませんでした。商売の域を超えていなかった。

私は商売とビジネスは別物だと思っていて、商売は「最高においしい団子を作ろう」、「最高にくつろげる場所を提供しよう」といった目標を掲げ、対してビジネスはそれを事業として成長させないといけません。そして、事業には「会社がどこを目指すのか」というビジョンが必要だと考えています。

我々は10年目を機に“商売”から“ビジネス”へと切り替えました。ビジョンも掲げました。それともう1つ、短期間で成長していくために「ワンビジネスモデル・ワンリーダーシップ」を掲げました。全社員が一丸となってベクトルをそろえ、その結果、2006年に上場を果たすことができました。

三宅 卓氏

20年目からの10年間も加速度的な成長を遂げています。

20周年を迎えて「ネクスト10」という新たなビジョンを打ち出しました。これまでの「ワンビジネスモデル・ワンリーダーシップ」から、次の10年は「マルチビジネスモデル、マルチリーダーシップ」と掲げ、M&Aに関連するすべての業務を手がける、M&Aの総合企業を目指しました。

インターネットメディアや教育、資格、ファンド、海外展開など手広く行うようになり、零細企業を救うためのインターネットマッチングプラットフォームも手がけています。

そして30周年の時には「第二創業」と銘打ち、全社員が創業者としてイノベーションを推進していく、というメッセージを出しました。

この「第二創業」には2つの意味があります。1つはM&Aのマーケットが大きく変化したことに対応するための変革であり、もう1つは私自身が70歳を迎え、次世代へのサクセッションプランを進めることです。

第二創業がスタートしてから数年が経ちましたが、全体としてはうまくいっていると思います。ただし、大きな不祥事が起きたことは非常に残念でした。先ほどお伝えした30周年イベントの直後に発覚した不正会計は、勢いをつけすぎた反動として起きたものでした。

もっとも、これを機にコンプライアンスやガバナンスの強化を図り、社員が声をあげるようになり、経営会議でも積極的な発言が増えました。不祥事は残念でしたが、結果的にそれが、真の意味での第二創業のトリガーになったと考えています。

第二創業を機にサクセッションプランを進めている、というお話がありました。それでも三宅さんは今なお、積極的にセミナー等にご出演されており、第一線でご活躍されているように思います。止まることなく、走り続ける理由を教えてください。

2つあります。1つは、やはりこの仕事が面白くて楽しいからです。私は楽しくない仕事はできません、好きな仕事しかできないんです。ずっと好きな仕事を追い求めてきて、今もM&Aの仕事が面白くて楽しいですし、経営に関わることも同様に面白くて楽しいと感じています。

もう1つは、社会的な使命感です。私はM&Aが日本を救うと信じています。日本には多くの問題がありますが、その中でも経済は最も重要だと考えています。経済が崩れたら、安全も文化も教育もすべて失われてしまう。そして、その経済を支えるのが中小企業ですが、今ものすごい勢いで廃業する企業が増えています。

この状況から日本を救えるのはM&Aしかありません。ただし今、M&A業界はできたばかりで多くの問題を抱えています。この状況を正して健全に発展していくように業界を引っ張っていくことが私の使命だと思っていますし、そのためにチャレンジを続けていく。

M&Aの仕事が面白くて楽しいこと、それとM&A業界を健全に発展させること、この2つが私のモチベーションになっています。