どん底での社長就任
この時点では株式会社アペックの社長がそのまま同社の初代社長に就任。親会社の戸田建設が出した目標は、平成23年(2011年)までの3年間で売上100億円に到達することだったが、結果は目標の6割弱に止まってしまう。これを受けて平成24年(2012年)に社長交替が行われ、白羽の矢が立ったのが「経営の経験も実績も無い」同氏だった。「社長になった途端に会社は畳まれ、自分はクビになると思った」と振り返る。しかし、同社には猶予期間が与えられることになる。同氏は「38年の間に、良い人間関係を沢山築いていたために、あいつを助けてやろうと動いてくれる諸先輩が戸田建設の中にいた。これに救われました。本当に感謝しています」と語る。
社員を「乗せる」社内改革
延命措置が施された同社だったが、危機的状況に変わりはない。社長として単身で危機に臨む覚悟を決めた同氏だが、改革の具体的な内容は前向きで明るいものだった。社長就任前の同社は、業績悪化の影響が残っていたため暗い雰囲気で、何れ倒産するかも知れないという淀んだ雰囲気が充満していた。
同氏はこれを変えるべく、とにかく社内を明るくすることに努めたのだ。社員が喜ぶ様々なイベントを企画し、実行することで、社員のモチベーション向上を図った。同氏は、「どうすれば社員が乗ってくるか、社内が明るくなるかを考えました」と語る。戸田建設時代から、周囲を明るくするキャラクターで愛された同氏ならではの発想だ。
V字回復に成功
こうして社員の結束も強まり、明るい職場に生まれ変わった同社。変わったのは雰囲気ばかりではない。平成26年(2014年)には、売上高が3年前の30%以上増加し、平成24年(2012年)に大幅な赤字であった経常利益は黒字に転換した。絵に描いたようなV字回復を成し遂げたのだ。今期も既に営業利益率は8%。営業利益率2%を目指すのが一般的という設備業界にあって、奇跡のような数字だ。
「外部受注を増やし、大手ゼネコンからも受注」親会社からの仕事は1割を切る
息を吹き返した同社に特徴的なのは、戸田建設の100%子会社でありながら、親会社の戸田建設の仕事が1割にも満たないという事実だ。さらに、同社の顧客には戸田建設のいわばライバルにあたる大手ゼネコンも並んでいる。
これは極めて異例なことだ。通常、100%子会社であれば親会社からの仕事をメインに手がける上に、発注する側も、情報漏れなどのリスクから他のゼネコン関連会社とは取引しないからだ。
これについて同氏は「当社は戸田建設グループではあっても、気持ちは独立した会社です。この気持ちをもって、同じ金額ならどうか当社にやらせてください、いい仕事をします、情報も流しません、信用してくださいと営業を続けてきて、こうして仕事をいただけるようになりました。全くお付き合いのなかった一流企業までもが、戸田建設の100%子会社である当社を使っていただいている。この状況作りこそが、どん底時代に我々が打ち込んできたことなのです」と語る。