経済的問題は無くならず

しかし現実には、経済的問題は無くなっていないし、日本の法定労働時間は一日8時間だ。生活に必要なものを購入するのに一日3時間働けば良いという世界は実現しそうにもない。ケインズの予想が実現しなかったことには、所得の上昇によって我々が考える「生活に必要なもの」の水準も高まったことや、最低限の生活をするためのコストが上昇したことなど、様々な原因が考えられる。

人々が最低限と考える医療や公共サービスの水準は、現在では1930年当時に比べてはるかに高くなっており、当然それを賄うコストも高くなっている。また、物価統計ではテレビの価格は大幅に低下しているが、昔売っていたようなテレビが非常に安い値段で買えるわけではない。

テレビ番組を見ようとすると、アナログ式の白黒のブラウン管テレビではなく、地デジ対応のカラーテレビを買うしかない。テレビといえばカラーなのは当たり前で、カラーテレビという言葉自体ほとんど使われなくなってしまった。「最低限の生活」をしようと思ったとしても、「高級なもの」を購入せざるを得ないということも起こる。

ケインズだけでなくマルクスやシュンペーターらも、経済成長の終わりという問題を論じているが、働く必要が無くなり日々やることがなくて困ってしまうということは当分無さそうだ。需要が飽和してしまうという心配をする必要も無いが、一方、生活の不安が無くなるという日も、まだ遠い先のことだろう。

高学歴化で人々が働き始める時期が遅くなったことや、平均寿命が延びて退職後に働かずに生活する期間が延びていることを考えると、国民一人当たりの一日の平均労働時間は見かけ以上に低下している。これから日本の人口構造はさらに高齢化が進むので、短時間ではあっても高齢者も働いて所得を得て社会を支えるということを目指すのが自然な方向ではないだろうか。

櫨(はじ)浩一
ニッセイ基礎研究所 経済研究部 専務理事

【関連記事】
年金に代えて給与を払う社会~初夢は正夢になるか~
マイナス貯蓄率の時代
消費税増税後の日本経済
日本の格差問題を考える-ピケティ著『21世紀の資本』からの示唆
企業のSNS活用状況は-企業間に拡がる潜在的なSNSの経験較差-