アントニン・スカリア(享年79)。1980年代初頭から、米連邦最高裁判所の判事として、米財界に有利な数々の判断の形成に貢献してきた大物保守派の法律家が、テキサス州での休暇中、2月13日に急逝した。

政治献金規制の形骸化、大企業に対する集団訴訟権の制限、労働組合の力の削減、環境保護規制の緩和など、レーガン政権以降の米国の新自由主義的な経済政策に、絶対的拘束力のある法律的な裏付けを与える役割を果たしてきた中心人物だ。彼がいなくなったことで、米財界は後任に誰が指名されるのかを、注意深く見守っている。

スカリア死去前の全9名の連邦最高裁判事は、「保守派5人衆」が投票数で優位に立ち、たびたび5対4の僅差で大企業に優しい判断をすることが多かった。その5人とは、スカリア氏をはじめ、ジョン・ロバーツ最高裁長官、サミュエル・アリート最高裁判事、クラレンス・トーマス判事、そして保守寄りの穏健派と目されるアンソニー・ケネディ判事である。

ミネソタ大学法科大学院の紀要『ミネソタ・ロー・レビュー』は、「現在の最高裁では、企業対非企業の訴訟で企業が勝訴し、企業対企業の訴訟で大企業が中小企業に勝つ傾向が強まっている」と分析している。ところが、スカリア判事の死去で、保守派とリベラル派のバランスが4対4と拮抗してしまい、これからの米財界のあり方を米国最高の司法権威がいかに決めていくのか、不透明な状態だ。

すでに、米化学大手ダウ・ケミカルが米連邦最高裁まで争った訴訟で、大企業寄りだったスカリア氏の後ろ盾なしには勝ち目なしとみて、同社は2月27日に和解を選択した。

具体的には、ダウ・ケミカルが商品の価格操作の疑いでカンザス州の裁判所に10億6千万ドル(約1210億円)の支払いを命じられ、米連邦最高裁にその判決の破棄を求めて控訴したのだが、スカリア後の保革拮抗の米連邦最高裁では確実にその全額の支払いを命じられると悟り、それよりも少額の8億3千5百億ドル(約952億円)で和解した。約258億円の支払いを節約したことになる。

また、スカリア判事は死の直前の2月9日、オバマ大統領の気候変動法案「クリーン・パワー・プラン」を一時的に凍結する判断に賛成票を投じていた。各州の発電で出る二酸化炭素を2030年までに3分の1減らすよう義務付けた法案だ。保守派優勢の米連邦最高裁が「待った」をかけたことにより、パリ協定(COP21)で合意された、米国におけるCO2排出量を2025年までに26~28%の削減する目標達成が絶望視されていた。

ところが、スカリア氏亡き後に、オバマ大統領、あるいはその後継大統領が指名した新判事が環境保護派やリベラル派であった場合、「クリーン・パワー・プラン」が合憲との判決が下され、電力をはじめ米企業に多大な環境関連の出費を強いる可能性がある。一方で、パリ協定で合意された排出量削減目標を米国が達成できる可能性が高まる。

このように、たった一人の連邦最高裁判事の死が、米企業にとっては死活的な意味を持つのである。

さらに、企業を訴える集団訴訟の面でも変化が予想される。例えば、世界最大の米小売企業ウォルマートを相手に、給与や昇進の面で女性差別があったと従業員が訴えた際、米連邦最高裁は原告側に対し、争点の集団訴訟は起こせないとの判断を2011年に下した。

集団訴訟は、個別に裁判を起こす経済力のない被害者の集団に広く救済をもたらす法的手段の一つだが、その一方で取るに足らない理由で提訴されることがあり、大企業からは「制度が濫用されている」との批判が出ている。さらに米連邦最高裁は、下級審が差別を審理するに当たって、原告側に実行不可能なレベルの立証責任を負わせ、事実上ウォルマートを勝訴に導いた。

また、同年、米国の大手携帯電話会社「AT&Tモービリティ」に対する判決で、米連邦最高裁は、原告の消費者が企業の虚偽広告に対し集団訴訟を起こす道を閉ざした。判決によると、企業側は集団訴訟から保護され、訴える消費者には個人レベルの仲裁による和解しか救済が与えられない。

カリフォルニア大学アーバイン校法科大学院のアーウィン・チェメリンスキー学部長は、こうした企業勝訴の傾向が続いているとし、「米連邦最高裁は、大企業によって重大な損害を被った従業員・消費者・中小企業に対する補償への道を閉ざす判決を連発した」と指摘する。こうした判例が、新判事の任命後に覆される可能性は否定できない。

一方、保守かリベラルかのイデオロギーは判決に影響していないとの見方もある。米シンクタンク、ヘリテージ財団のエリザベス・スラッタリー上席司法政策アナリストは取材に対し、「米連邦最高裁の保守派判事は、大企業寄りではない」と反論。「2012年に企業絡みで審理された33件の訴訟の55%は、民主党のオバマ大統領が指名した2人を含む全判事が一致した判決を出した。イデオロギーが判決に影響することはなかった。米連邦最高裁の判決が保守寄りかリベラル寄りかという問題の捉え方は、正確さを欠く」という。

民主党大統領が指名した判事も、企業寄りの判断をすることがある。しかし、ダウ・ケミカルの和解にみられるように、米財界はこれからの逆風を覚悟し始めたようだ。(在米ジャーナリスト 岩田太郎)

【編集部のオススメ記事】
「信用経済」という新たな尺度 あなたの信用力はどれくらい?(PR)
資産2億円超の億り人が明かす「伸びない投資家」の特徴とは?
会社で「食事」を手間なく、おいしく出す方法(PR)
年収で選ぶ「住まい」 気をつけたい5つのポイント
元野村證券「伝説の営業マン」が明かす 「富裕層開拓」3つの極意(PR)