1990年代には始まったとみられており、今や日本経済の慢性疾患とも言えるデフレ。さらには、2008年に起こったリーマン・ショックという金融危機を経て、「世界経済そのものが混迷の度を深めている」。そんな認識が一般にも専門家にも広がっている様子だ。

ただ、経済の不透明感を作り出した原因についても、判然としない。金融や国際協調に関する「政策」の一時的失敗という見方、コンドラチェフの波動説で説明できるような長期間で見た時の景気の振幅だとする見方もあるが、「資本主義衰亡論」とも読める、全般的な構造的な危機だとする意見が近年、目につく。

より詳細に見れば、21世紀の資本主義はそのシステム自体が抱える不可逆的、累積的な歪みの拡大を通じて、存亡の危機をいずれは迎えるという主張だ。資本主義衰亡論にも複数のバリエーションもあるので、その中から幾つかを吟味してみよう。

資本主義の土台を掘り崩す格差の累積的拡大

最初に取り上げるのはフランス人経済学者のピケティ氏の著作『21世紀の資本』だ。ピケティ氏は、過去200年にわたる長期間の資産や所得の膨大なデータの分析し、高い評価を受けており、その成果が同書で展開される主張となっている。簡潔にまとめると次の通りだ。

「資産の収益率が所得の増加を上回る結果、資産集中が加速し、不平等の拡大は社会の崩壊につながるレベルに達する。これを防ぐには資産への課税を通じた再分配が不可欠。しかし、その効果を担保する国際的租税回避の仕組みはほとんど実現困難だ」

識者もピケティ氏の研究を好意的に受け止めており、著名な経済学者であるスティグリッツ氏やクルーグマン氏もピケティ氏の研究を高く評価する発言をしている。さらには、米国の労働長官をかつて務め、現在は米国カリフォルニア大学バークレイ校で教授を務めるロバート・ライシュ氏は、「所得と富がトップ層に集中するのと歩調を合わせて、政治的権力もまた上層へと集中」すると警鐘を鳴らす。

ピケティ氏には、賞賛や賛意を示す声が聞こえてくる一方で、同氏の見解に対する批判があるのも事実だ。「資本家が払うさまざなリスクを無視」していると言われるだけでなく、「資本収益の多くが再投資に回るとは限らない」との反論も出されており、不安になる読者も中にはいるのかもしれない。

ただ、ピケティ氏の主張が浮き彫りにする問題提起の本質は、同氏への批判とは異なるように見える。それを端的に表しているのがピケティ氏の師匠にあたるアンソニー・アトキンソン氏の言葉で、同氏は「結果の平等より機会の平等が重視される傾向にある。結果の『不』平等が機会の『不』平等につながりかねないことを考慮すると、現状の格差は社会的正義という観点から許容できない」と指摘する。

資産格差にとどまらず、若年失業や非正規労働の増加など所得面での格差問題も含め、アトキンソンに共感する向きは内外を問わず少なくないかもしれない。さらに、全米各地で進んでいる米国大統領予備選で、民主党のバーニー・サンダース上院議員が予想外の支持を集めているのも、格差に対する不満と軌を一にしているとの見方もある。

中華マネーが世界経済の悪循環を作り出す?

21世紀に入って顕著になったのが、いわゆるマネー経済の肥大化だ。その要因の一つだとみられるのが、中国のWTOへの加盟(2001年)だが、実体経済に必要な貨幣の総量を大幅に上回っているともみられている。2005年にはすでに、世界の年間貨幣取引量は300兆ドルに達していたにもかかわらず、実体経済に必要なのはその40分の1程度に過ぎないと言われているのだ。

巨大な「世界の工場」が稼ぎ出すこの輸出売上が、米国債やさまざまな金融派生商品(デリバティブ)、さらには原油をはじめとしたグローバル資源市場へと流れ込んだという。その結果、世界経済全体の相互関係がより深まったとみられるのだ。転じて、リーマン・ショックが象徴するようなバブルの連鎖的崩壊だったことは今なお、生々しい記憶だろう。

バブル後の不況対策として打ち出された金融緩和が世界各地で「超」や「異次元」などと冠せられる規模にまで強化される中、サマーズ氏の「長期にわたる低金利政策に頼った成長戦略は、大規模なバブルの発生と危険なレバレッジの累積を招く」との警告も無視できず、ボラティリティも過度に大きくなっているとの意見もある。

不安定な市場が実体経済を振り回してしまうような、マネー経済の在りようを批判する声は強く、「グローバリゼーション批判」の形をとることも多い。例えば、コロンビア大学で経済学教授を務めるスティグリッツ氏の『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』で展開された主張などがそれだ。

「欲望の飽和」と「投資機会枯渇」が長期的停滞をもたらす

昨年末以来、米国のサマーズ元財務長官とFRB前議長バーナンキ氏の間に「長期停滞仮説」を巡る興味深い論争が進行中だ。サマーズ氏は先進国経済に慢性的需要不足がビルトインされているとするのに対し、バーナンキ氏は一時的貯蓄過剰が起きているに過ぎないと反論しているのだ。

教科書的に理解しようとすれば、貯蓄投資(IS)バランスがマイナスの実質金利でしか実現できないような状態(いわゆる「流動性の罠」)にあるのかないのかという短期から、中期の総需要政策論争にも見える。

しかし、需要不足の「恒常化」がもたらす「長期停滞」という懸念は、古典派経済学の祖であるアダム・スミスのころから、残されてきた宿題と言っても過言ではない。

また、経済学の歴史はこの「宿題」への解決策の提出を何度も試みてもきた。例えば、マルクスは「生産手段の公有化(社会・共産主義化)」を構想し、ケインズは「政府の財政支出による有効需要の創出」の必要性を指摘した。さらに、シュンペーターによれば、「企業家精神の発揮と投資機会の掘り起こし」で資本主義が稼働し続けるという姿が示された。

いずれにせよ「資本主義」はこれまでのところ、一方で総需要管理・福祉国家体制といった政府の介入、他方でグローバリゼーションと技術革新という市場原理の活用を通じて命脈を保ってきた。それが今や、限界に達しそうだとみる向きもあるということだ。

世界的な過剰生産力に加えて、多くの先進国には少子化・人口減少の圧力も強まっている。格差とマネーの悪循環もこれに輪をかける。そうした中で大きな財政赤字を抱えながらデフレとの戦いに明け暮れている国々の状況を見ると、「長期停滞論」にも一理を認めざるをえないだろう。(岡本流萬)

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