ストレス,教育
(写真= pathdoc /Shutterstock.com)

豊洲市場の移転問題、東芝の経営難、タレントの出家騒動……何かしら問題が起きた時、「批判」の声があがるのが常だ。「あのやり方は間違っている」「こうしておくべきだった」……。

こうした声はTVのワイドショーでも聞かれるし、職場でもある光景だろう。仕事の失敗などで批判されたことは誰にでもあるはずだ。

三省堂国語辞典第七版によれば、批判は「(悪いところを)根本的に批評すること」とある。また“非難”は「相手の言ったことやしたことを、悪いと言ってとがめること」となっている。

この2つの違いとして、批判には「相手の改善を望んでいる」という点があるように思う。批判をする人には(それが求められているかどうかはともかく)どこかに「世のため人のため」といった貢献意識や、相手への期待があるように私は思うのだ。

批判が嫌われる理由と受け入れられる工夫

批判されて気分の良いものではない。批判が相手の正しさを否定するコミュニケーションだからであるが、これはゲシュタルト心理学の「図と地」という概念でみると分かりやすい。

「図と地」とは簡単に言えば、一つの出来事のうち、注意の向いている部分を図、注意が向かず認識されていない部分を地といい、図と地を合わせたものが出来事の全体像であるということだ。

部下が仕事でミスを犯し、上司が部下を「もっと集中して取り組むべき」と批判するケースで考えてみよう。図にあたるのは、部下のミスと、仕事へ取り組む姿勢の甘さである。一方、地にあたるのは、部下がその仕事をどう考え、何故ミスをしたかだろう。

だが同じ出来事も、部下から見たらどうだろうか。おそらく図と地が入れ替わるはずだ。部下からすれば、分かっているのは自分が何をどう考えその仕事を行なったか、見えていないのは上司が何を考え批判するのかである。

このように、同じ出来事でも立場が変わればまったく違って見えるものなのだ。しかし批判は地、つまり相手の言い分に目を向けず、一方的に自分の考えを押し付けることになる。批判された相手からすれば、自分の正当性を踏みにじり勝手に侵略されたも同然である。

当然、否定されていると感じるのでいい気分はせず反発する。仮に反発せず聞き入れたとしても、侵略されて喜ぶ人間などいない。勝ち目がないから不服でも我慢しているだけだ。人間関係は崩れてしまう。

これでは批判の目的である「相手のため」は中々理解されない。本来の目的を叶えるには、「図と地の反転」を意識すべきである。自分の見えているものが出来事のすべてだと思わず、一度相手の立場に立ってみる。

部下がミスをしたケースで言えば、部下は何を考えどう取り組み、失敗をどうとらえているのか。ここに目を向けること。

そしてなるべくなら、部下本人にこの部分について話させる機会を先に与える。それがどれだけ考えが甘く腹立たしい内容だとしても、グッと堪えて怒りを表情に出さず、聞き役に徹する。

このワンステップを踏むことで、批判はアドバイスへと変わり、部下も納得して受け入れるようになる。

有効な批判の方法

相手の変容にはあまり効果的とは言えない批判だが、ある目的で使うと、大変有用なコミュニケーションスキルに変貌する。それは仲間を作る場合である。類似性の法則という、似た者同士が惹かれあい仲良くなるという習性がある。

外見やファッション、趣味、食の好みなど、何かしら共通点があると人は仲良くなりやすいのだが、批判は価値観において自分と似たものを持つ人間を集める手段としては非常に協力なのだ。

会社で部下を批判した場合、その部下に対して自分と同様に考えている人からの印象は良くなる。価値観や仕事観の近い者同士だ。飲みにでも行けば、意気投合し大いに盛り上がるだろう。

言い分の正当性など問わず似ていれば仲良くなれる。上司の悪口で職場に連帯感が生まれることがあるが、それも類似性の法則ゆえである。政治家のように数の力が欲しい場合、すればするほど仲間が集まり、関係も強固になるので、批判は実に効果的な手段となる。

結局のところ、批判はコミュニケーション方法の1つに過ぎない。それ自体に良し悪しがあるわけではなく、どう使うかが重要になる。対立する相手を変えるには向かないが、自分と共通点を持つ仲間を集めるには有効という性質をよく理解し、明確な意図を持って使ってみてはどうだろうか。(藤田大介、DF心理相談所 代表心理カウンセラー)

【オススメ記事 PR】
「従業員からの支持率が高いCEOランキング」
世界の15歳調査、お金のリテラシーが一番あるのは「中国」
トップ企業は時給7000円超 「上場企業の時給ランキング2017」
「長く快適に働ける」企業トップ20 1位の企業「転職は厳しい」の声も
お金を稼ぐには地理を学べ 代ゼミの名物地理講師が説く「経済を地理から学ぶべき」理由