(本記事は、小林昌裕氏の著書『年収350万円のサラリーマンから年収1億円になった小林さんのお金の増やし方』SBクリエイティブ、2017年3月25日刊の中から一部を抜粋・編集しています)

「家賃」を手に入れるというカルチャーショック

小林さんのお金の増やし方
(画像=KPG_Payless/Shutterstock.com)

僕がどのようにして43室、月100万円のキャッシュフローを得るに至ったかを説明していきますので、そこから、不動産投資の要点をつかんでもらえれば幸いです。

僕が最初の物件を購入したのは2009年の春で、都心に近いといってもあまり華やかなところではなくて、上野からほど近い、入谷のワンルームマンションでした。

バブル期に建てられた物件で、リーマンショックの翌年ということもあり、450万円と比較的に安いタイミングで買えました。

自己資金なしでも区分マンション投資を始める方法はあるので、今なら絶対にやらないのですが、僕はこれ、現金で買っています。

というのも、その年の1月に転職したばかりで、勤続期間が少ないためにローンが引けなかったのです。

勤めていたのはたまたま上場企業でしたし、融資には勤務先も含めた属性が評価されるものの、一方で、金融機関というのは勤続年数をすごく気にします。

勤めて1年くらい経過していればローンを受けられる可能性も高まりましたが転職したばかりの私には厳しかったわけです。

それでも、当時はもうサラリーマンを続けていくことにすごく危機感を抱いていて、とにかく不動産投資を始めてみたい一心でしたから、貯金をはたいて買ってしまいました。

幸いなことに、それまで激務の職場で3年半以上働いて、毎月80?100時間の残業代がもらえていました。

それに実家から通っていて、忙しくて遊ぶ暇もなかったので、貯金が600万円くらいあったのです。

なので、現金で買ってしまっても150万円は残るからなんとか大丈夫かな、くらいの気持ちでした。

僕が購入した物件の家賃は約6万5000円。

管理費や修繕積立金を払っても月に5万円は残るので、諸経費を引いた年間収入は60万円、利回り13%以上は出ました。

立地がよくて、ずっと入居者が見つかり、今でも不動産業者から「売ってくれ」とたびたび電話がかかってくるような物件です。

●毎月5万円の家賃収入に大きな衝撃を受ける

住空間を提供して家賃を得るというビジネスを「ワンルーム」という最小規模ながらも始めたことで、僕の中でマインドが変わりました。

それまでは本業にしても、学生時代のバイトにしても、1日中働いた労働の対価として給料を得ていたわけで、何もしなくても毎月5万円が口座に振り込まれてくるという経験は、実際に体験してみないとわからない感動と大きな衝撃がありました(まったく異なる文化に触れたようなカルチャーショックと言っても過言ではありません)。

よく言われることかもしれませんが、「1」と「2」の間にはそれほど大きな違いはないのに、「0」と「1」となると、これはもう大きく違います。

どんなに本を読んだり、セミナーに出たり、勉強したりしても、実際に始めない限りはゼロなわけです。

現金買いというのは今考えれば悪手だったかもしれませんが、ともかく一歩を踏み出したことで、僕の価値観は確実に変わり、それが今につながっています。

さて、とはいえ手持ち資金の大半を吐き出してしまったので、次を買うには多少の時間が必要にはなりました。

横浜市に2部屋目を買ったのが2010年の秋ですから、1年半以上かかったことになります。

そのときにはもう勤続1年以上経っていましたし、しっかりローンを組んで買って、さらにその半年後、2011年の春に池袋に3部屋目を、これもローンで買いました。

上場企業に勤めている属性と、1部屋目からきちんと家賃収入の実績が出ていたこともあって、ローンが組みやすかったのは間違いないです。

ただし、都心部のワンルームなので利回りはそれほど出なくて、ローンや固定資産税、都市計画税を払ったあとのキャッシュフローは、その時点で3部屋合わせて月に10万円といったところでした。

とはいえ、月に10万円というのは、僕にとっては1つの区切りとなりました。

それを超えたことで、僕の中で再びマインドセット......価値観や投資基準の変化が起こりました。

●働いているところ以外で収入が発生している

この不動産投資、すなわち住空間提供ビジネスの有効性が確信に変わって、もっと拡大していきたいと思うようになったのです。

それまでは「社畜」と言ってもいいようなサラリーマンだったのが、「もっとこのビジネスを大きくしていけば、会社に依存しなくても済むのかな」という気持ちに変化していきました。

また、こういうことは人生のタイミングというのもあるようです。

当時つき合っていた彼女と入籍したのが2部屋目を買った直後で、翌年に3部屋目を買ったところで、カミングアウトしたのです。

「実は僕、副業でこんなビジネスをやってるんだ」と。

もし不動産投資を結婚してから始めていたら、きっと彼女からは反対されていたでしょう。

でも、もう3部屋を持っていて、毎月10万円のキャッシュフローが出ている事実を、銀行通帳ごと見せることができました。

僕の奥さんは学校の先生をしていて、働いてお金を得ることの大変さをわかっている人でしたから、「すごいね。あなたと私が働いているところ以外で、収入が発生しているのね」と感激してくれました。

結果、「不動産投資、住空間提供ビジネスっておもしろいね」と、奥さんも理解を示してくれ、それどころかとても協力的になって、そこから夫婦で収入を合算してローンを組むというフェーズが訪れました。

僕ひとりだけだと難しい大きなローンでも、公務員の奥さんの属性も合わせれば組めるようになったのです。

僕のマインドが変わって、もっと大きな物件を手掛けたいという気持ちになっていたこともあって、それで次はもう一棟もの、それも新築でアパートを建てることに挑戦しました。

2011年の当時はまだ僕の中で「地方の一棟ものは空室リスクがコワいな」という気持ちがあって、1都3県(東京・神奈川・千葉・埼玉)の、ちょっと利回りが低くても長期的に入居者が見つかりやすくて、修繕する必要がない新築をやりたいと思ったのです。

2011年に土地から探し始めて、神奈川県横須賀市に土地を見つけました。

翌年の引っ越し時期に合わせて2月竣工で進めていたものの、工期に遅れが出て4月竣工になってしまいましたが、それでも何とかゴールデンウィークまでには満室にできました。

●地方の中古物件に挑戦

そうして一棟もので手ごたえを得たことで、収入が増えるとともに、僕のマインドもより大胆になりました。

ワンルームや新築アパートもしっかり稼働していましたし、「何かあっても大丈夫かな」と冒険できる余裕が生まれたのです。

そこで、それまでコワいなと思っていた地方の中古物件にも挑戦するようになり、2013年に埼玉県内に中古アパートを2棟一括で買って、さらに群馬に中古の一棟マンションを買いました。

地方の中古一棟ものは、空室リスクはもちろんありますが、利回りの面では都心の物件よりもかなり見込めます。

合算すると計室で、家賃収入でのキャッシュフローがついに100万円を超えました。

ここでまた、キャッシュフローが10万円を超えたときのように、マインドセットが起こりました。

そう、ついに、「サラリーマンを辞めよう」と決心したのです。

ちょうど2012年の夏から物販を始めたり、不動産投資のコンサルティングを始めたりで、そこからも収入が上がっていて、忙しくなっていた頃でもありました。

サラリーを時給に換算するとすごくパフォーマンスが悪いことに気づき、その時間がいよいよもったいないというか、やりたいことが増えて時間が足りなくなってきたわけです。

毎月100万円を超える収入を副業で得て、経済的な成長があった分、視点が高くなって見える景色が変わった部分もあります。

そうして2014年の8月にサラリーマンを卒業しました。

小林さんのお金の増やし方
小林昌裕(こばやし・まさひろ)
1982年生まれ。大学卒業後、建築材料メーカーに就職。営業職としてガムシャラに働くも、祖母の葬式で、社用の電話をかけながら集合写真に撮られた自身の姿を見て、社畜のような人生を見つめ直す。2009年1月に転職。同年7月、不動産投資用に区分マンションを購入。以降、26~30歳の間に、3戸の区分マンション、4棟のアパートやマンションを購入し、合計43戸のオーナーになる。2014年に会社を退職し、現在は、20余りのキャッシュポイント(民泊ビジネス、太陽光発電など)を持つ。 ※画像をクリックするとAmazonに飛びます