カンブリア宮殿,時之栖
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伝説の経営者が登場!~極楽のような施設とは?

登山客が列を作る人気の富士山。日常を忘れる眺めをたっぷり味わった後は、雲海を横目に下界へ。だが富士登山をする人たちの中では、まだ定番のお楽しみが残っている。

それが富士登山の玄関口、富士宮市にある温泉施設「富嶽温泉花の湯」(入湯料1500円~)。時之栖(ときのすみか)が運営する施設だ。汗を流した後の楽しみといえばビール。あまり見かけない地ビールも、作ったのは時之栖だ。

一方、時之栖が御殿場市にある東名高速の足柄サービスエリアに作ったのは、宿泊施設「レストイン時之栖」(1泊5200円~/2名利用)。高速から降りずに泊まることができる。時之栖はこの他にもレストランやボウリング場、果樹園や地ビール園など、静岡県内を中心に44もの施設を展開する一大リゾート企業なのだ。

その時之栖の象徴であり、最大の施設が富士山の裾野にある「御殿場高原 時之栖」。駐車場には大きな観光バスが次々と乗り付けてくる。ツアーなどにも組み込まれている人気施設だ。来場者数は年間およそ180万人で、これは豊島園の2倍に当たる。

「御殿場高原 時之栖」は、東京ドーム7個分という土地に作られた複合型リゾート施設。ここにはスポーツセンターやレジャー施設、さらに様々な特徴を持つレストランや宿、温泉などがそろい、思いのままの時を過ごすことができるのだ。

客のお目当ての一つはバイキングスタイルの「バイキングレストラン麦畑」。静岡だけに海の幸は大盤振る舞い。地元で上がった活きのいい魚でお好みの海鮮丼が楽しめる。レストランの一番人気はベーコンステーキ。通常のベーコンの熟成期間は1週間ほどだが、1カ月をかけたこだわりの自社商品だ。6種類の「御殿場高原地ビール」も飲み放題で3240円(80分)。

温泉施設も充実している。18歳以下は入れない大人の温泉は「茶目湯殿」(入湯料1500円~)。展望露天風呂からは富士山の絶景が真正面に広がる。風呂上がりは、築200年の古民家を移築した建物で緑の庭をゆったりと眺めれば、客も思わず「とても癒やされる」「リラックスできます」。

富士山を望む高台にあるのは座禅などを行う施設「禅堂」。ここでは女性客二人が集中して写経を行っていた。

時之栖の創業者、庄司清和(79)はスタジオで村上龍に「極楽をご覧になったことはありますか」と語りかけた。

「できれば極楽のような施設を作りたいと思っています」

カンブリア宮殿,時之栖
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79歳が手がける理想郷~幸せを呼ぶテーマパーク

カンブリア宮殿,時之栖
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庄司が時之栖を作ったのは、今から24年前のこと。もともと赤字だった牧場とホテルを買収して再建した。

「楽しかった。何も大変じゃなかった。お客さんが喜んでくれることが一番楽しいですね」

お客が喜ぶことを考え抜き、毎年のように何かしら作っていると言う庄司。去年作ったのは富士山がちょうどバックに入る太鼓橋。縁起のいい撮影スポットになっている。「アクアリウム」(入場料1000円)も庄司のアイデア。館内に入ると、出迎えてくれるのは200種類、4500匹の金魚。ジャンボオランダ獅子頭は1匹100万円もするという。

時之栖の本社は敷地内の「御殿場高原ホテル」の中にある。社員は179人、パートなど全従業員を合わせると1000人近い規模になる。

組織は年齢や性別に関係のない実力主義が貫かれている。水口雅代は35歳で取締役に就任した。一方で、お好み焼き屋さんの店長・森川陽子は70歳。「自分が頑張ろうと思えば受け止めてくれる会社」だという。

宿泊施設のフロントにいた杉山妙子(71)は、常連客一人一人のことを覚えている名物コンシェルジュだ。「日々、お客様と接することでエネルギーをいただけます」と言う。

時之栖では、本人が希望すれば定年の65歳を過ぎても働くことができる。園内の修理仕事を一手に担う山本春雄、山本一一(かずいち)兄弟は、なんと80歳と83歳だ。

「会社のために仕事をするだけでなく、一生懸命自分のためにやっている。おそらく会社に来るのが楽しみだと思うんですよね」(庄司)

楽しいことを考え抜き、お客も従業員も「この世の極楽」と感じる施設に。2017年の売り上げは約120億円。94年の創業以来、右肩上がりで成長を続けている。

カンブリア宮殿,時之栖
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人がやらないことをやる~異色の経営者、成功の流儀

現在、庄司は「御殿場高原 時之栖」の富士山の絶景ポイントに納骨堂を建設している。

「お客さんから市長さんに『御殿場市は樹木葬をやる気があるのか』と質問があったんです。『ない』と言うので私がやろうと」(庄司)

「他人がやらないことをやる」。その生き方は、若き日の体験から生まれたという。

1939年、庄司は静岡県の山あいにある貧しい農家に生まれた。小さな頃から「両親に楽をさせてあげたい」と考えて育ったという。将来は事業を起こす。そんな思いを胸に、東京農大の畜産科に進学した。食の西洋化が進み、食肉関連のビジネスが伸びると考えたのだ。

大学を卒業すると、食肉販売会社に就職。そこでの給料のおよそ半分を貯金にあて、8畳ほどの物置小屋を借り、26歳にして食肉加工の会社「米久食品」を立ち上げた。

だが、町の精肉店に取引を頼んでも、どこも相手にしてくれない。既にライバルがしっかり食い込んでいたのだ。そこで庄司は考えた。

「焼き豚ですよ。当時は肉屋さんが自分の店で焼いていた。うちは大量に肉を買って焼いて、朝、焼きたてを車に積んで卸したんです。肉屋さんは自分で焼かなくてすむ」(庄司)

誰もやっていなかった焼き豚作戦は大成功。2人のパートと毎晩夜中まで豚肉を焼き、取引先を一気に増やした。社屋や工場も新設。創業10年で売上高は80億円になった。

しかしその後、時代は変わり、小売は個人店からスーパーへと移っていく。庄司の商売には逆風だった。

「スーパーさんに行くと、『お前の所の商品は他よりいくら安くする?』と言われる。これはつらいし、安売りするのは悔しいしね」(庄司)

そこで庄司は「価格競争をしないですむ商品を作れないか?」と考えた。1981年、食肉加工の視察で訪ねたイタリアで運命の出会いが。それが、日本には出回っていなかった生ハムだ。

生まれて初めて食べてみると、そのおいしさに「これならいける」とひらめいた。そして、なんとその場で生ハムの製造機械を買い付けた。かかった費用は総額およそ2億円。米久の経常利益が1億円の時代のことだ。

「潰れるのを覚悟で生ハムの設備を導入しました。生ハム以外は日本にいくらでもある。生きる道はここだと思って」(庄司)

これで安売り競争から抜け出せると、意気揚々と帰国した庄司だが、すぐ青ざめることになる。この時代、食品衛生法の関係で、日本では生ハムを作ることができなかったのだ。

「自分は思いついたらもうすぐ始めてしまう。でもよく調べたら、まだ許可されていなかった。でもそれぐらいしないと、業界の中に割り込んでいけないんです」(庄司)

そこに神風が吹く。1982年、食品衛生法が改正。いち早く準備を始めていた庄司は生ハムを売り出し、大ヒットを手にするのだ。

製造業からサービス業へ~驚きと笑顔の再生術

カンブリア宮殿,時之栖
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大手に先行したメリットは大きく、「米久」の生ハムは国内シェア60%を獲得。1996年には東証一部に上場。「米久」は 売上高700億円、社員~、社員1500人の大企業となった。

しかし、長年の付き合いだった大手スーパー、ヤオハンが経営破綻。庄司は独断で9億円を貸していたのだが、それが不良債権となってしまった。

「自分は『米久』を創業した時、お金も人も非常に苦労した。そのことを考えると、相手が困っている顔をしていると、手を差し伸べないと気がすまないというか……」(庄司)

結局、自分の持つ「米久」の株を売って賠償。さらに責任を取る形で、半生をかけて育てた会社から退いた。この時、60歳。この先は自分らしく働こうと身を投じたのがリゾート事業、時之栖だったのだ。

その一方で庄司は、経営に苦しむホテルや温泉施設から依頼を受け、再生事業も行っている。

これまで手がけた施設は23。中でも最近、力を注いでいるのが浜松市の果物のテーマパーク、「はままつフルーツパーク 時之栖」だ。かつては浜松市の財団法人が運営していたが、5年前に赤字で休館。そこで庄司が再生を託され、来園者数を大幅に伸ばした。

以前は見るだけだった施設を体験型に変え、季節ごとに様々な果物狩りを用意した。「フルーツパークでグランピング」も庄司のアイデアだ。泊まるのは園内に張られたテント。中は広々していて、ベッドまで置いてあり、手ぶらで豪華なキャンプが楽しめる。料金はバーベキューなど1泊2食付きで大人8000円~。

「このフルーツパークが採算ベースに乗って黒字になれば、誰かに譲ってもいい。再生できれば、結局は地域のためになると思う」(庄司)

カンブリア宮殿,時之栖
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サッカー日本代表も合宿~世界へ羽ばたく選手を応援

時之栖にはもうひとつの顔がある。マイクロバスでやってきたのは、そろいのユニフォームを着た日本航空高校(山梨県)の生徒たち。向かった先にあったのはサッカー場だ。

時之栖には全国からサッカー強豪校が、わざわざやってくる。その理由は、ピッチをはじめ、施設が充実して練習がしやすいから。6月のワールドカップでゴールを決めた若き日の原口元気選手をはじめ、日本代表の選手たちも利用している。時之栖はこうしたサッカー場を23面も持っており、全国から、年間15万人もの選手がやってくる。

全国からサッカーチームがやって来る理由がもう一つ。「時之栖スポーツセンター」という合宿専用の宿舎まであるからだ。

合宿といえば楽しみは食事。250人が一度に利用できる食堂も完備している。栄養士が作ったバランスのいい献立が用意され、1泊2食付きの合宿プランは6480円~。

生徒たちが夕食を食べている頃、日本航空高校蹴球部の部長、竹内嘉浩さんは、フロントに来ていた。スポーツセンター長・阿山恭弘に、今日の明日で「試合相手はいないか」という相談をするためだった。

さっそくスタッフがパソコンを打ち始めた。そこには今まで時之栖のサッカー場を利用した500以上のチームのデータが入っていて、一発で検索できると言う。サッカー通のスタッフが、実力にあった学校を選び、問い合わせをする。

すると翌日には、試合を承諾した飛龍高校が来ていた。飛龍高校は、サッカー王国の静岡県で3位になった強豪校。日本航空高校にとってはまたとない機会となった。これも時之栖だからできることだ。

試合中に庄司が現れた。庄司は若者たちの応援をするのが大好き。だからエールを送らずには、いられなくなる。

「私は学生時代にサッカーをやらなかったことを非常に後悔しています。若い皆さん、頑張ってください」

この世の極楽には気持ちのいい光景が溢れている。

カンブリア宮殿,時之栖
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~村上龍の編集後記~

収録冒頭、「極楽ってあると思いますか」、そう聞かれて返答に困った。「この世の極楽という意味ですね」という結論に落ち着いた。

ただ、地獄にはさまざまな恐ろしいイメージがあるが、極楽を想像するのはむずかしい。

庄司さんは、年少時、自分を転ばせた石を金槌で割るような負けず嫌いだった。

生ハム、地ビール、サッカー場、そして納骨堂、誰も考えつかないことを実現してきた。

ひょっとしたら「極楽」とは場所ではなく、「生きる姿勢」かも知れない。「時之栖」は、人々がそれに気づくために作られたのかも知れない。

<出演者略歴>
庄司清和(しょうじ・きよかず)1939年、静岡県生まれ。東京農業大学卒業後、食肉卸の会社に入社。1965年、米久設立。1996年、東証一部上場。60歳で米久を退き、時之栖のリゾート事業に本腰を入れる。

放送はテレビ東京ビジネスオンデマンドで視聴できます。

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