(本記事は、ZUU online『「大富豪物語」ジム・ロジャーズはこうしてお金持ちになった』の記事の一部を再編集してお届けしております)

「商品投資の天才」「金融界のインディアナ・ジョーンズ」「冒険資本家」などと呼ばれ、家族とともにシンガポールに住み、米投資企業のロジャーズ・ホールディングス会長を務めている。第2次世界大戦中の1942年に米南部アラバマ州のデモポリスという田舎町に、5人の男兄弟の長子として生まれたロジャーズ氏は、どのようにしてお金持ちになったのだろうか。

彼の人生を見ると、すべてのことがお互いに益となって働いているようだ。田舎育ちゆえの外部の世界への好奇心と冒険心、母校の米エール大学や英オックスフォード大学で身につけた歴史や政治や哲学の教養に基づく投資観、そしてウォール街で培った動物的な投資のセンス。それらの要素を結び付けたのがたゆまぬ努力であり、ロジャーズ氏の投資を結実させ、お金を呼び寄せている。

大学時代に「マネーを生む文明観や歴史観」を身につけた

ジム・ロジャーズ
(撮影=村越将浩)

ロジャーズ氏は、綿花栽培の不況に苦しむ南部で、地域再生のために化学工場を経営する父と専業主婦の母の元に生を受けた。子育てに忙殺される母を助けて、弟たちの面倒をよく見たという。

この頃から、努力家の萌芽が見られたようだ。がんばり屋のロジャーズ少年は幼少時から優等生であり、高校時代もクラスで首席の成績を収めていた。やがてその優秀さは、南部各地を回る名門エール大学のスカウトの目にとまる。人間関係の狭い故郷を抜け出し、広い世界を見たいと願っていた彼は「渡りに船」と、全世界の秀才が集うアイビーリーグ校に進むことになる。

大学では歴史を専攻し、「マネーを生む文明観や歴史観」を身に着けた。これが、経済急成長期の日本や現在の中国への投資の大きな収益性を鋭く見抜く教養として役立つことになる。同時に、ウォール街で夏休みのアルバイトをするなかで投資に興味を持つようになってゆく。

エール大学を1964年に卒業後、英名門オックスフォード大学院の修士課程に進み、哲学と政治と経済を同時に学んだ。のちの投資家としての成功は、この時期に学んだ専門的な知識とグローバル体験から得た投資観抜きには語れない。そしてベトナム戦争が激化して米国内に反戦ムードが高まっていた1968年、軍務を終えて20代後半になっていたロジャーズ氏は見習いアナリストとしてウォール街で働き始める。その後、投資銀行に勤めるなどしたが、お金を増やす仕事が面白すぎて「休みも取らず毎日働いていたい」と思ったほどだという。それほど、投資の世界は彼を魅了した。

ロジャーズ氏の投資センスの良さは、やがてソロス氏の目にとまり、2人は1973年にヘッジファンドを共同設立して、伝説を作り上げてゆくことになる。

伝説の投資手法は「楽しみ」が出発点

なぜ、ロジャーズ氏は有名になったのだろうか。彼が特異であることが大きい。ロジャーズ氏はワーカホリックを自認する一方、37歳で引退して以降、2回の世界一周旅行でさらに見聞を広げており、世界一周走破のギネス世界記録を2個も持つ猛者でもある。

世の中には様々な背景や投資手法を持つ投資家たちがいるが、このように「変わった」ライフスタイルを実践する人は、今の時代に他には見当たらない。実はこの好奇心と冒険心は実用的なもので、ロジャーズ氏の「グローバル・マクロ」の投資に関する考えを現地で確かめるためでもあった。

そもそも、クォンタム・ファンドにおける大規模なヘッジファンド運用でロジャーズ氏らが採用した手法は、国際情勢を分析して大胆なポジションをとるものである。象牙の塔で丸暗記した知識や机上の空論だけで投資できるほど相場は甘くない。そのためには、各地の状況を把握する必要がある。

また、この「グローバル・マクロ」と呼ばれる方式では、米国内だけでなく世界中で起こっている出来事の分析を楽しめなければ、成立するものではない。その意味で、好奇心の旺盛さから歴史・政治・哲学・経済を総合的に学び、融合させて投資観を作り上げたロジャーズ氏には最適の仕事であり、実際に驚異的なリターンを叩き出せたのだ。加えて、顧客の信託による巨額の資金を運用するわけだから、並大抵の度胸ではつとまらない。そこでもロジャーズ氏は必要な資質を持ち合わせていた。

ロジャーズ氏は、1999年から改造ベンツで116か国を回るギネス記録を樹立した世界一周旅行で、15の戦地をも避けずに潜り抜けたという。投資においても、マクロ経済、金融政策、社会のトレンドなどが引き起こす需給の変化を綿密かつ慎重に調査するが、いったん価格の大きな上昇または下落を予想してポジションを取ると決意すれば、弾が飛び交う「投資の戦地」に逆張りで斬り込みをかける。

この攻撃的な冒険心がなければ、彼がお金持ちになることはなかったのである。いみじくも米『タイム』誌がロジャーズ氏を「金融界のインディアナ・ジョーンズ」と言い表したように、好奇心に満ちた冒険を楽しむからこそ転がり込んだ幸運というものがある。(執筆=在米ジャーナリスト 岩田太郎)

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