(本記事は、Nami Barden氏、河合克仁氏の著書『世界中の億万長者がたどりつく「心」の授業』すばる舎、2018年12月13日刊の中から一部を抜粋・編集しています)
幸福は足し算で手に入るものではないということに気づく
●「どんな目標を達成しても、なぜか満たされない」成功者の孤独とは
仕事がある、家庭がある、別段経済的に困っているわけでもない、プライベートもそれなりに充実しているなど、特別不満のある環境ではないはずなのに、なぜか「空虚感」に襲われている。
そんなケースに出会うこともよくあります。
思い悩むとまではいかないまでも、何となく人生の目的を失くしているような、「自分が本当は何をしたいのか」がわからない、という人は実に多いのです。
たとえば「何が何でも資産10億円を築く」と目標を立て、がむしゃらに仕事に精を出してきた人が、実際に10億円を手に入れたとき何が起きるでしょうか。
達成した瞬間は、自分の努力が報われたと喜びに浸ることができます。「これまでの努力はムダではなかったのだ!」と、その余韻はまさに夢のような心地です。
ところが、その感覚は長くはもちません。時間が経つにつれて、徐々に喜びや快感が薄れ出すのです。
次第に、「私が手に入れたかったのは、こんなものだったのか?」という空虚感や、数字が減っていくことへの恐怖感が生まれてきます。
すると、その空虚感を埋めようと、恐怖感から逃れようとして、さらなる目標設定をしていくのです。目標はどんどん上がり続け、数字やステータスに追われながら人生のサイクルが続いていきます。
息をつく暇もなく仕事に勤しみ、目標を達成し続け、さまざまなものを犠牲にしながらも努力を続ける。
その姿はまわりからすると「すごい。圧倒的な努力である」と尊敬されることもあるでしょうが、残念ながら本人には一切満足感がありません。「なぜかわからないけれど、むなしい感じがする」のです。
そのサイクルに疲れてしまうと、病気に陥ってしまったり、自分が築いてきたものを失う恐怖に苛まれるようになります。
最終的に「自分の人生とは何だったのか?」と、ぬぐいきれない孤独感やむなしさに襲われている人は少なくありません。
成功を追い求め、達成したらさらなる成功を追い求め……というサイクルにはまっているときは、幸福を後回しにして生きている状態です。
では、なぜ幸福感や満足感が得られないのかというと、「今を生きていないから」です。生きている時間のほとんどを未来に費やしているので、今を生きている時間が少ないのです。
●苦悩の状態から「MORE」を求めてはいけない
人間は、「MORE(もっと)」を追求し続けるものです。もっとほしい。もっと快適に。もっと効率的に。そのこと自体は否定すべきことではありません。
しかし問題なのは、「もっと何かがほしい」という願いが「苦悩の状態」から生まれたのか、「美しい心の状態」で生まれたのか、ということです。
苦悩の状態で生まれた願いは、達成されるにしろ、達成されないにしろ、あとで必ず自分を苦しめることになります。
たとえば、「自分は成功者であらねばならない」という理想像に縛られている人は、このように考えるかもしれません。
「もっとお金があれば高級車が買える。そうすればまわりから“成功してるんだ”って思われるだろう」
このような考えのもとに目標を追求してしまうと、先ほど挙げた例のように「せっかく目標を達成したのに心が満たされない」という状態になります。なぜならば、その人が本当に求めているものはお金でも高級車でもなく、成功者としてのイメージを固めることだからです。
また、その目標が達成されない場合も「なぜ目標が達成できないのか?そんな自分には価値がないのではないか?」と、苦しむことになってしまいます。
●足りないものを増やすことが幸福の本質ではない
「成功者でなければならない」という理想像以外にも、「人を助けられるヒーローになりたい」、「父親/母親のような存在になりたい」など、理想像の種類はさまざまです。
しかし、ほとんどの理想像は深層意識の中に根づいており、
「それ(理想像)を追求するのがあたりまえ」
「それが自分の本来の姿である(そうでなければ自分でない)」
と刷り込まれています。日常の行動の多くは、そんな理想像にもとづいて無意識的に行われているのです。
そして、理想どおりでない状況に出会った途端、ネガティブな感情が湧いてきます。
苦悩から「MORE」を求めるのは、まさにそんなときです。
「自分に足りない何か(=理想のイメージを固めるための要素)」を埋めるために、お金、社会的地位、贅沢、ブランド品などの外部要因を求めてしまいます。より高い目標を設定し続け、終わることのない「MORE」を求めるサイクルが始まるのです。
●心が美しい状態で求めれば、落ち込むことはない
では反対に、美しい心の状態で目標を掲げるとどうなるでしょうか?
美しい心の状態で立てる目標は、「あとこれくらいお金があると便利になる」など、非常に素直で現実的なものになります。
たとえば、「お金をもっと稼いで車を買いたい。そうすれば通勤がラクになり、空いた時間で家族と過ごせる」という目標設定の場合、心はまったく苦しみません。その先に何をしたいかがはっきりとわかっている状態だからです。
この場合、もしも目標が達成されなかった場合でも「通勤はちょっと不便なままだけれど、別に何が減るわけでもないし、いつかまた機会がくるだろう!」と、否定的に捉えることもないので落ち込んだりしません。
他にも、「今取りかかっているプロジェクトを成功させたい。なぜならその結果、より多くの人の生活がラクになるから」という目標設定も、自分中心の意識ではなく、相手(世の中)を意識したインスピレーションにもとづくものなので、心が美しい状態のまま仕事に臨むことができるでしょう。
真の幸福や満足感は、手に入れようとして入るものではないのです。今足りない何かを増やすことで幸せになるのではなく、美しい心の状態になったとき、自然と心の底から湧き上がってくるものだと気づかねばなりません。
自分の掲げている理想像に気づくことが、何よりも最初にすべきことです。
●ウォール街の大物投資家の苦悩
私がワンワールドアカデミーで生徒としてクラスを受講していたとき、ウォール街の大手投資企業でトップを務めるリチャード(仮名)と知り合いました。
彼はメディアで引っ張りだこの有名人なのですが、彼が心の授業に参加した理由は、「事業に失敗し、数億ドル単位の損失を出してしまい、その責任を問われて会社に退任を強要されたことから、妻のすすめでここに来た」というものでした。
彼がクラスを受講していたその日も、メディアは彼の失敗の記事で埋め尽くされていました。
相当にシビアな戦いを勝ち抜いてきたビジネスマンですから、「苦しんでいる」とは表面には出さず、食事のときにもビジネスの話で盛り上がっていました。
また、クラスを受け始めた頃は、自分と対等だと思える人とだけ話し、自分よりも下のレベルだと思う人は完全に無視していました。そのようにしてビジネスの世界でも勝ち続けてきたのでしょう。
授業には必ず遅れて来ましたし、授業に出席しなかったときもありました。授業中でも寝そべりながら受ける、という様子です。
ところが、クラスが始まって3日目くらいだったでしょうか。先生はリチャードに優しいながらも、ピシャリと言いました。
「リチャード、背筋を伸ばして座りなさい」
先生からそう諭された瞬間、彼は飛び起き、「イエス、イエス!」と背筋を伸ばして座り、少しずつ積極的になっていきました。
リチャードはある授業の中で、先生にこう質問しました。
「先生、僕の頭の中のヘビ(思考)を鎮めるにはどうしたらいいんでしょうか?僕の頭の中にはヘビがいっぱいいて、うねうねとうごめいていて、どうしようもないんです」
彼が初めて、自分の苦悩を漏らした瞬間でした。
その後、リチャードは真剣に授業に参加するようになり、いかに自分中心の意識にとらわれていたか。
また、すべての苦悩は、「自分は成功者であるべき」という理想像にしがみついてきたからこそ、生まれたものだったことに心底気づきました。
その気づきを得た日、リチャードはキャンパス内のテラスで仰向けになり、朝方になるまで起きてこなかったと言います。キャンパス内で働いているスタッフは心配しましたが、先生たちは彼をそのままにしておくように伝えたそうです。
その後、彼は大きく変わりました。
リチャードがビジネスで、また自分の人生で戦ってきた相手は、人ではなく自分の「私は成功者(であるはず)」という理想像だったと確信したからです。
まわりの批判が(気にしていないふりをしていても)気になり、過去の栄光との比較で頭の中はいっぱいになり、やらなければならないことも見えない。苦しみの中でまわりも見えない。そんな状態で長年戦い続けてきたことに気づいたのです。
心の授業を経験して帰国したあと、彼は家族をつれて再びインドを訪れたと言います。そして、家族全員で美しい心のあり方を学んだそうです。
現在、リチャードは新たに会社を立ち上げ、再び投資ビジネスで活躍することを目指しています。SNSなどでその様子を見ていると、生き生きとしている様子が伝わってくるようです。
美しい心の状態であれば、目標達成するために一生懸命努力をしている中でも、満ち足りた気持ちで過ごすことができます。
豊かな心を持つことと、経済的な豊かさを求めることはまったく矛盾しないのです。
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