近年、富裕層に対する課税強化が国際的にも国内的にも進んでいる。いわゆる「パナマ文書」の公開によって、タックス・ヘイブンを使った節税が「税逃れ」として厳しい目が向けられるようになり、日本の国税庁も富裕層にターゲットを絞ったプロジェクトチームを作り、資産の海外移転などに目を光らせている。こうしたこともあり、「スイスに資産を預ける」と聞くと、何かやましいお金、運用で一儲けしようとしている人のお金というイメージを持つ人が多いのではないだろうか。
こうした見方に対し、「リスクの高い日本から海外に資産を避難させるのは当然。決して脱法行為などではない」と異を唱えるのが、T&T FPコンサルティング社長の髙島一夫氏。日本や海外の金融機関に勤めたあと、スイスのプライベートバンクの取締役となった経歴を持ち、現在は、日本の資産家とスイスのプライベートバンクの仲立ちをするエクスターナル(外部)・マネジャーをしている。また、2015年には「なぜ、富裕層はスイスにお金を預けるのか?」(髙島宏修氏との共著、総合法令出版)という本も出している。そんな髙島氏に、『「日本リスク」から資産を守る』と題して、話を聞いた。
第4回は、「プライベートバンクを生んだスイスの歴史」と「プライベートバンクの特徴」について。(聞き手:押田裕太)
スイスの歴史が生んだプライベートバンク
──スイスのプライベートバンクについて最初にお話しいただきましたが、スイスの国自体の魅力や歴史について教えてください。
プライベートバンクとスイスの歴史は、切っても切れない関係にあります。チューリッヒやバーゼルのプライベートバンクは、傭兵のお金を預かったのが始まりだと言われています。スイスは昔から強国に挟まれ、実はとても貧しい国でした。ただ、兵は強く、傭兵として契約金のような報酬をもらい生活していました。戦死する確率も高いので、「資金を運用し始めた」というのが始まりだとされています。
ただ、スイスのプライベートバンクの歴史は地域によって異なります。ジュネーブのプライベートバンクは、フランス革命のときに王侯貴族が資産を避難させたのが始まりだとされてます。また、イタリア語圏のルガーノでは、イタリアからの資産が集まったのが始まりで、それぞれ、地域によって歴史が違いますよね。
小さな国ですが、実は複雑な国です。カントンと呼ばれる、日本でいう都道府県のような行政単位が26あり、お互いになかなか連携が取れていません。言葉も4つもありますからね。
──ボーディングスクールのように、世界中の富裕層の子息が集まるイメージでした。
ボーディングスクールがあるのは、ローザンヌです。世界中のお金持ちの子息、日本人も通っていて垢抜けた街ですね。首都はベルンですが、外国人はジュネーブが一番住みやすいのではないかと思います。国連機関もあって、さまざまな国の人が住んでいるので。外国人には住みやすいと思いますよ。
── 一言でスイスを表すことはできないということですね。そうした国で、プライベートバンクが発展できたのはどういった経緯があるのでしょうか。
ジュネーブでは、フランスで迫害されたキリスト教の改革派「ユグノー」のお金を持ってきた人たちの運用を始めて、金融力を高めました。チューリッヒやバーゼルは、東欧不安によって流れてきた資金が集まってきた。
いずれにせよ、外国から流れてきた資金をスイスで運用し始めたのが始まりです。最初から金融に強かったわけではありませんが、安全に資産を確保するという部分では長けていたのではないでしょうか。不安定な国の情勢から生まれた「頑固で、何があっても大切なものを守る」という国民性が向いていたのでしょう。
運用手法が変わっても理念は不変
──第一回でお話頂いた、「リーマンショック前、スイスは運用が下手だった」と言われていた時代について、もう少し詳しく教えてください。そこからどのような変化があったのでしょうか?