マーライオン
(画像=N_Sakarin / Shutterstock.com)

はじめに

我が国の富裕層にとって未だに人気な移住先がシンガポールである。我が国から地理的に近く南国で気候面でも過ごしやすい上、時差もほとんどない。国土も非常に小さく天然資源が在るわけでもないため、金融・税制上の優遇策を取ったり、教育制度を充実させたりすることで国家として発展してきた。

しかし、そうしたシンガポールも、マレーシアがマハティール政権に替わってから大きな“角逐”を生じており、国家としての基盤が揺らぎつつある。そもそも同国が大英帝国の中で担ってきた役割を考えると、シンガポールの未来は明るいと素直に言うことは困難だというのが卑見である。本稿はそのようなシンガポールの現状を整理すると共に将来の展開可能性を考える。

シンガポールのこれまで ~何が起こってきたのか~

シンガポールの将来を考えるに当たり、まずはその創設から話を進めることとしたい。現在の国家に連なる意味でのシンガポールが生じたのは、1826年の英国による海峡植民地化である。元来、ジョホール・スルタン帝国の一領土であったシンガポール周辺地域を英国が植民地化したというわけだ。1811年当時のシンガポールは人口数百人のさびれた漁村に過ぎなかったことが知られている。

(図表 シンガポール周辺の世界地図)

図表 シンガポール周辺の世界地図
(画像=国土地理院)

このさびれた漁村を一大都市に発展させる礎を築いたのがウィリアムズ・ラッフルズである。ラッフルズは統治業務に加え、シンガポールの地誌的な調査を自ら行ってきた。それ以前にもジャワ島の探検など、東南アジア地域の調査を永年行ってきたことが知られている。

こうしたラッフルズの活動の背景には、大英帝国の建設があったことは言うまでもない。白石隆「海の帝国」(第8頁)はその典型として、1811年6月10日付に東インド総督ミントー卿にあてた書簡を挙げている:

“当時、ミントー卿はすでにマラッカにあり、数週間のうちにジャワ占領に出発する予定だった。イギリスはペナン、マラッカに拠ってマラッカ海峡を掌握し、またこのときまでにはモルッカ諸島もその支配下にあった。これでジャワを占領すれば、ベンガル湾からマラッカ海峡、スマトラ、ジャワ、バリ、セレベスを経由してモルッカ諸島、ニュー・ホランド(オーストラリア)に至る島々が事実上イギリスの影響下におかれることになる。いまこそ東インドのオランダ海上帝国を解体し、新しい海の帝国を建設する好機である。これがラッフルズの書簡の基本的趣旨だった”

当時の東南アジアは、元来あったイスラム商人(アラブ人)ネットワークや17世紀から18世紀にかけてインドネシア周辺を支配してきたブギス人ネットワークを駆逐する形であったポルトガル・スペインネットワークにオランダが挑戦し、更にそこへ英国が進出しようとせんタイミングであった。ここに中国人(華人・華僑)ネットワークが連なっているのは言うまでもない。

ブギス人についてはあまり知らないという読者も多いだろう。前掲書(第13頁)はブギス人についてこう説明する:

“ブギス人はセレベス(スラウェシ)の南西半島に居住する人々で、半島南端に住むマカッサル人とは言語、文化とも類似点が多く、ブギス・マカッサル人と一括されることも多い。かれらは東南アジア海域世界において海賊、傭兵、商人などとして知られ、とくに十七、十八世紀にはマレー半島のジョホール、スランゴールからオーストラリア北岸、ニューギニアまできわめて広範な地域で活動した”

そもそも東アジアから東南アジアまでを中心にした地域は「銀経済圏」であったことを忘れてはならない。元来、我が国の銀山(たとえば石見銀山が有名)が生産・輸出を拡大し、東アジアから東南アジアにかけて銀を決済手段に使っていた中で、南米ポトシ銀山からスペイン銀が流入したことでそれは加速化した。

他方で、欧州やアラブ圏との結節点であった東南アジアは、そうした東アジア圏からの銀と欧州人やアラブ人らがもたらす金との交換点であったわけだ。それだけではなく、東南アジア自体も金の供給地であったことも特筆に値する。

上でブギス人について敢えて注目したのは、インドネシアが著名な金生産国であった(し、今でもそうである)ことを述べるためである。インドネシアは現在、アジアでは中国に次ぐ金生産国であり、世界規模でも第7位の地位にある。とくにグラスベルグ鉱山は世界最大級の規模を誇り、米国企業による所有の下、金生産を続けている。

このように、華僑・華人による中国との冊封関係やこれに連なる我が国といった東アジア・ネットワーク、マレー人やブギス人ら現地人によるネットワーク、イスラムを通じたアラブ商人のネットワークが複雑に絡まってきたのが東南アジアであった。これに大航海時代以来侵入してきたのが欧州だったわけである。シンガポールはそのネットワークに大英帝国ネットワークをリンクさせるべく構築されたというのが長期的な歴史から見たシンガポールの役割なのだ。

前掲書(第13-15頁)を三度引用することととなるが、ラッフルズが考えた大英帝国による統治構想では、ブギス人に対して注目してきたことを指摘したい:

“ラッフルズは、これらブギス人、マカッサル人について、かれらはこれまでオランダ人の醸成した内乱と奴隷貿易によって分裂し疲弊してきた、しかし、我々はオランダ人とは正反対の政策をとるべきである、と主張する。ブギス人、マカッサル人を保護し、かれらがわれわれと共同の利益をもつようにする、そして当方諸島の中心、セレベスに「強力で」活動的な国民を創出する」、これがラッフルズのブギス・マカッサル人との同盟論だった。  では「新帝国」建設の敵はだれか。  ラッフルズはまず「中国人」に対する警戒を呼びかける。(・・・中略・・・)ラッフルズはまた「アラブ人」「アメリカ人」にも警戒を呼びかける”

 現実には、英国は中国人との提携を行い、シンガポールは東南アジアの華僑センターとなったものの、ブギス人との提携という道があったことは留意すべきである。また元来東南アジアに存在した経済・人的ネットワークから見れば、シンガポールは添木の如く人工的に移植されたものであり、その意味ではもともと不必要のものであったという点にも併せて留意すべきである。逆にだからこそ、金融や貿易面での特恵を導入しているとも言えるのだ。

このように英国が統治してきたシンガポールは、第二次世界大戦が終わると李家(=華僑)が直接的に統治する新たな国家となった。少数精鋭国家として、一方では独裁的な政治を行いつつ、他方では経済的な優遇措置を行うことで、富裕個人やグローバルな法人を引き付けてきた。

暗雲が立ち込めるようになったのが、昨年10月に返り咲いたマハティール・マレーシア首相である。マハティール政権は突如としてジョホール州の港の境界線拡張を発表したのである。マレーシアは同時期に政府の船舶をシンガポールが自国の領海内と主張する海域に派遣し、反発したシンガポールも港の境界線の拡張方針を決め、対立が鮮明になっていた

これに加えて両国で問題になっているのが、マレーシアによるシンガポールへの水供給問題である。シンガポールは独立以来、水消費量の半分をマレーシアからの輸入でまかなってきた。この売却価格があまりに安すぎるとして、マレーシア側が価格再交渉をシンガポール側に求めているのである。都市国家であるために供給元が殆どない中で、マレーシアが水供給を絞ることとなれば、シンガポールが危機に陥るのは言うまでもない。

そうした中で、シンガポールで2013年より海水の淡水化事業を大々的に行ってきたハイフラックス社を巡り、大きな問題が生じている。重債務に苦しむ同社がリストラを進める中で、シンガポール政府は同社への財政支援を拒否したのだ。「2013年9月の華々しい開所式にはリー・シェンロン首相をはじめとして閣僚や公益事業庁(PUB)トップらが参列。首相は『シンガポールの水の循環における最新の画期的出来事』だと述べた」、と報道されており、同政府の活動は想定外であったとされている。政府はこの施設を接収する可能性も併せて取り沙汰されている。

本稿執筆時点(3月14日時点)では、このマレーシアとシンガポールによる対立は一旦矛を収めつつある。しかし、シンガポールが2017年時点でドイツからの戦車購入台数を例年より増大させてきたことが先月リークされている。また上述したハイフラックス社を巡るシンガポール政府の振る舞いを考えると、マレーシアとの対立が長期化することを想定していることと言わざるを得ない。

おわりに ~シンガポールは生まれ変わるのか?~

このようにマレーシアがシンガポールへ圧力を掛けている一方で、マレーシアにおいてブギス人が俄かに存在感を高めつつあることを指摘したい。実は第二代首相であるラザク首相およびその息子である第六代(であり前)首相であるナジブ首相はブギス人貴族の末裔なのである。

ナジブ前首相は現在、1MDB事件を巡り係争の最中にありマハティール首相と対立関係にあるかのように“演出”されている。しかし、マハティール現首相は元々ナジブ前首相とは良好な関係を築いてきた。

英国、特にその金融の中心を成すロンドン・シティ(City of London)が現在、上海や香港と直接的に金融リンクを形成する今、もともとシンガポールを形成した英国にとって同地は最早意味があるとは言い難い。また注目すべきは現在のシンガポールの中核にある華僑・華人がどのように動くかである。

マレーシアとの係争を経て、最悪のケースとしてはシンガポールがマレーシアに接収されるという可能性が存在するということは想定に入れておくべきである。少なくとも、何も起きないということは決して無いとして、この行く末を見て行きたい。

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)
元キャリア外交官である原田武夫が2007年に設立登記(本社:東京・丸の内)。グローバル・マクロ(国際的な資金循環)と地政学リスクの分析をベースとした予測分析シナリオを定量分析と定性分析による独自の手法で作成・公表している。それに基づく調査分析レポートはトムソン・ロイターで配信され、国内外の有力機関投資家等から定評を得ている。「パックス・ジャポニカ」の実現を掲げた独立系シンクタンクとしての活動の他、国内外有力企業に対する経営コンサルティングや社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。

大和田克 (おおわだ・すぐる)
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所グローバル・インテリジェンス・ユニット リサーチャー。2014年早稲田大学基幹理工学研究科数学応用数理専攻修士課程修了。同年4月に2017年3月まで株式会社みずほフィナンシャルグループにて勤務。同期間中、みずほ第一フィナンシャルテクノロジーに出向。2017年より現職。