1989年に誕生した養鰻場「泰正養鰻(たいせいようまん)」。鹿児島県大隅半島にあるこの小さな養鰻場に、今、日本中の料理人から熱い視線が注がれている。創業70年の歴史を誇るうなぎ専門店『鰻はし本』、池袋の超人気店『かぶと』、さらにイタリアンの『SIO(旧グリ)』、フレンチの『ラシーヌ』、中華の『茶禅華(サゼンカ)』など、錚々たる名店が泰正養鰻のうなぎにほれ込み、自慢の一品として用いているというのだ。
今年3月には全国の飲食店関係者が集まり、一泊二日で泰正養鰻を訪問。うなぎについて学ぶ勉強会が行われた。そして7月にも多くの料理人、さらに作家・実業家の本田直之さんらが視察に訪れている。泰正養鰻に注目が集まる理由とは何だろうか。生産者の横山桂一さんに話を伺った。
家業を継ぐ気は1ミリもなかった
泰正養鰻は、横山桂一さんの父親が始めた事業である。敷地内の池から豊富な湧き水を引いた養鰻場で、数万匹のうなぎを育てている。2代目である桂一さんは、学生時代はうなぎの養殖にはまったく興味がなかったそうだ。
「僕は子どもの頃はうなぎが嫌で、家業を継ぐ気は1ミリもありませんでした(笑)。両親の働く姿を見て、『朝早くから大変そうだな』と思っていましたし、当時はプロゴルファーになることしか考えていなかったんです。高校卒業後、アメリカに2年間留学し、研修生として26歳でテストを受けました。そこで挫折し、ゴルフで生計を立てることを諦めたんです。結局家業を継いで、今年で15年目。恥ずかしい話ですが、最初の12年間はまったく熱が入りませんでした。というのは、流通のシステムにも理由があるんです。通常の養鰻は、生け簀からうなぎを出荷して、そのまま問屋さんや組合に渡すだけ。その後のことは何もわかりません。ただ薄々と、『うちのうなぎって、最後はどうなっているんだろう』ということが気にはなっていました」。
通常、養鰻場から出荷された活鰻は、問屋が大きさをそろえて、全国の専門店や卸売業者へ供給する。そのため、養鰻家は料理人とコミュニケーションをとる機会がない。また、いくら高品質なうなぎを育てても、市場に卸すときの値段は一律で決まっており、他の池のうなぎも「鹿児島産」と一括りにして出荷される。横山さんはそんな状況を変えたいと願い、うなぎを育てる様子をSNSで発信し始めた。するとうなぎ専門店から反響があった。
「3年前、ツイッターを通して八重洲『鰻はし本』の橋本正平君とつながりました。これが僕にとっては運命的な出会いだったんです。彼に、『親父がうちのうなぎは最高だと言っているんだけど、本当かどうかわからない。職人の率直な意見を聞かせてほしい』と言って、うなぎを送りつけたんです(笑)。橋本君は『美味しいから店で使いたい』と言ってくれたけど、問屋を通さずに発送する仕組みがありません。そこで、問屋機能を備えた『泰斗商店』を作り、一部のうなぎは飲食店に直送するようになったんです。『鰻はし本』で取り扱ってもらうようになって、1年くらいは手応えを感じなかったんですけど、2年目くらいから少しずつ理解者やファンが増えてきました。橋本君の紹介で、浦和の『食と燗 くら川』の蔵川さんのところにも行きました。そうしたら、『これからは天然うなぎをやめて、横山さんのうなぎ一本に絞ります』と言ってくれたんです。そういう声が直接聞けるのはうれしいし、やりがいにもつながりましたね」。
その後、『泰正養鰻』の名は口コミでさまざまな料理人に広がっていき、「横山さんの鰻」という愛称で親しまれるようになった。もともとは「泰正オーガニック鰻」としていた名称も、「横山さんの鰻」に変更し、商標登録申請中だという。
泰正養鰻のうなぎはどのように育てられているのか?
『泰正養鰻』の敷地内には、シラス台地の火山灰でろ過された豊富な湧き水がある。その水質を飲料メーカーの研究機関に調査してもらったところ、「天然水として売れるレベル」と太鼓判を押されたそうだ。水深170cm、100坪ある外池から、一度に350トンの地下水をくみ上げ、養殖池に流し込む。水温や水質は監視盤で常にチェックし、養鰻に最適な温度、適正なPH(ペーハー)に保っているという。PHと亜硝酸の数値により、うなぎが餌を食べやすい水質にもできるが、一つ間違うと一晩で全滅するおそれもあるため、過去のデータを元に慎重に管理しているそうだ。餌にも大変気を配っている。
「僕が思う『美味しいうなぎ』は、雑味や臭みがまったくなくて、色に例えると『白』のイメージなんです。泥臭い感じのするうなぎは、タレの味を濃くしても鼻にフッと抜ける香りがあるので欠点を隠しきれません。僕はそれが嫌で、『うなぎが一番長く接しているものは何かな』と考えました。それが餌だったんです。それから餌の品質を追求するようになりました」。
うなぎの餌は魚粉がベースで、スケトウダラをベースにした「ホワイト」と、イワシなどの青魚をベースにした「ブラウン」という種類がある。泰正養鰻では魚粉にしたときに匂いの少ない「ホワイト」をメインに配合し、乳酸菌やビール酵母などをブレンドしている。メーカーに頼んで、餌の粉砕密度や練り上がりの状態をマイナーチェンジした「泰正ロッド」を作ってもらっているそうだ。
「餌は普通、機械で1回粉砕するのですが、うちは2回砕いてもらっています。餌の密度によって、うなぎの食べ方が変わるんです。例えば、餌がぎゅっと締まっているとうなぎが食べづらそうにしているんです。フワッとスフレ状になっているときは、うなぎが餌をとりやすく、効率よく食べている気がします。うなぎのことは、365日見ているので、微妙な変化もわかるんです。餌はロッドが変わるたびにメーカーに袋を持ってきてもらって、袋を開けた瞬間の匂いや練り上がりの質感をチェックしています。もしダメだったら全部送り返して、納得いくまで作り直してもらいます」。
餌の時間は早朝3時半と夕方の15時の2回。シラスのときは朝2時に餌やりをするという。そのときにうなぎの健康チェックもするそうだ。
「うなぎは夜行性なので、明け方のほうが元気なんですよ。毎朝扉を開けた瞬間、うなぎの体調をチェックしています。うなぎが餌カゴに寄ってくるかどうかで、その日の健康状態がわかるんです。調子が悪いうなぎは餌カゴに寄って来ません。人間と同じで胃もたれして餌を食べられない状態なんです。無理に食べさせず、自然におなかが空くまで休ませています」。
うなぎの気持ちに寄り添い、24時間体制で愛情深く見守ることで、完全無投薬でも病気にならない、健康的なうなぎが育つのだ。
養鰻の価値を向上させることで、天然資源を守る
泰正養鰻がシラスを組合から仕入れ、池入れするのは2月から3月頃。早いものだと8か月後から出荷が始まり、成長が遅い個体は1年半の夏頃に出回る。
「人間と一緒で一気に大きくなるうなぎと、少しずつ成長するうなぎがいるので、毎月大きさをはかって選別作業をしています。うなぎが底に潜る習性を利用し、選別台の中にすのこをつけて、うなぎのサイズを揃えているんです。成長がとびきり早くて8か月で出荷するうなぎのことを、業界では『とび』と言います。『とび』は皮が柔らかくて身の脂もライトです。それから徐々に皮が固くなり、味乗りが良くなって滋養が出てきます。うちはその日の気候や、水質、水温、餌などのデータに加え、料理人からフィードバックを受けて育成日数ごとのうなぎの特徴を記録しているので、後から何が良かったのか検証できます。他の養鰻家は料理人に感想を聞く機会がないのでほとんどわからないと思うんです」。
日々試行錯誤を重ねた結果をデータとして蓄積し、養鰻に生かす横山さん。それが安定して高い品質のうなぎを出荷することに役立っているのだろう。彼は、養鰻の価値を向上させることは、天然の資源であるうなぎを守ることにもつながると考えている。
「和食は天然至上主義で、養鰻は天然より下に見られているところがあります。橋本さんのような有名な料理人にうちのうなぎを使ってもらうことで、『養鰻もイケるじゃん!』という風潮を作りたいんです。養鰻が使われる機会が増えれば、結果的に天然資源を守ることにつながると考えています。僕の場合は橋本くんに出会ってから、いろんなことが動き出しました。『SIO(シオ)』の鳥羽さんもそうです。熱い志を持った料理人が『横山さんのためなら』と言って他の料理人を紹介してくれたり、応援してくれたりするので、自分は日本一幸せな養鰻家だと感じています。僕がモデルを作ることで、他の養鰻家にも、『横山ができるなら、自分にもできるんじゃないか』と思ってもらいたい。業界全体で気運が高まってきたときに、養殖のレベルがもう一段階上がるのではないでしょうか。先例を作れるのは僕しかいないと思っています」。
横山さんの、生産者として本当に良いものを作るために妥協しない姿勢や、天然資源を守るために発信する労を惜しまないところが、同じように熱い志を持って食と向き合う料理人を引き寄せているのだろう。近い将来、彼に影響された養鰻家と料理人のネットワークはどんどん広がっていくかもしれない。