はじめに

暦年
(画像=PIXTA)

これまで、日本や諸外国における事業年度や会計年度や学校年度は、1月や4月や9月等から、スタートすると述べてきた。それでは、そもそも現在の暦年の1年はなぜ真冬の時期の1月からスタートするのだろうか。

今は、我々は現在の暦年の概念に慣れてしまっているので、いまさら暦年の概念を変更するということは考えられないが、別に現在の4月や9月から1年がスタートしていたとしてもよかったはずではないかと思わないだろうか。今回はこうした点について調べてみた。

ローマ時代の暦の変遷(その1)と1年が現在の1月からスタートすることになった理由

なぜ、現在の真冬の時期の1月から1年がスタートするようになったかを知るには、暦(暦法)の歴史を紐解いてみる必要がある。ここでは、ローマ時代の暦の変遷について、簡単に説明する。以下の説明は、「暦と占いの科学」(永田久 新潮選書)等を参考に記述している。

●古代ローマの初めての暦-ロムルス暦-

古代ローマにおいて、初めて暦が作られたのは紀元前8世紀で、ローマ建国の租と呼ばれるロムルス(Romulus)の手によるものとされている。この「ロムルス暦」は10ケ月しかなく1年が304日であった。

これは、先の永田氏の著書によれば、「当時のローマ人たちの生活というのは、今日のように食料も防寒具も潤沢ではなかったので、農耕面でも軍事面でも、活動を始めるのは、そろそろ暖かくなる季節、すなわち現在の三月ごろからであったらしい。それ以前の寒さも厳しく、塩漬肉や穀物で辛うじて生きる期間は、まさに「冬籠り期」で、名づける価値もない名無し月の日々だった」ようであり、「農作業も戦さもできない、生活のすべてが凍結してしまう時期の約60日間が過ぎてはじめて、日付としての意味もあると考えられた」ことによると説明されている。

●ヌマ暦

ところが、このロムルス暦では、冬に全く目盛りのない時期があることになり、いかにも不便だということもあって、ロムルスの後を継いだローマ皇帝ヌマが、ロムルス暦の後に、2ヶ月を加えて、1年12ヶ月とした。さらに、月が地球の周りを1回転する日数を基準にしつつ、奇数を尊ぶ考え方から、1年を355日と設定した。これを、ロムルス暦での30日の月を全て29日とするという振り分けに従いつつ、新たな11月と12月に残りの日をそれぞれ29日、28日と振り分ける「ヌマ暦」が作成された。12月(現在の2月)が28日となったのは、355日を振り分けていったときに、最後に28日しか残らなかったことによる。

●ヌマ暦の改革

このヌマ暦がしばらく使用されていたが、紀元前153年に、「ヌマ暦の改革」が行われて、ヌマ暦の11月を1月とする順序変更が行われた。この理由について、永田氏は、11月のJanuariusという名前は、ローマの門神Janus(ヤヌス)を称えて命名されたものであったが、Janusは行動のはじめをつかさどる神であったため、このJanusの月が年初としてもっとも相応しいとされたのであろう、と述べている。

この、「ヌマ暦の改革」による12ヶ月の順序が現在に引き継がれた形になっている。

暦年
(画像=ニッセイ基礎研究所)

以上、まとめると、「そもそもの暦の概念のスタート時点では、農作業等を始めることができる、春の時期が1年の始まりと考えられていたことになる。ところが、新たに加わった月の名前に使用された神の位置付けから、この月が1年の始まりに相応しいということで、現在の1月が年初になった」いうことになる。

これを聞いて、多くの人が何ともいわく言い難い気持ちを感じるのではないかと思われる。また、こうした経緯によれば、農耕文化が発達した強大な帝国が南半球にあったら、現在とは異なる時期が1月1日になっていたかもしれないということになる。

現在の月の名前の由来(その1)

ロムルス暦において、使用されていた月の名前の多くは、現在使用されている月の名前に引き継がれているので、ここでは、これらの月の名前の由来について述べておく。

●ロムルス暦での月の名前の由来

ロムルス暦での1月から4月までは、ローマ神話の神々の名前に因んでいる。具体的には、1月は軍神Mars(マルス)、2月は春と美の女神Aphrodite(アフロディーテ)、3月は豊穣の神Maia(マイア)、4月は結婚の神Juno(ユノー)からきている。

一方で、5月以降は、ラテン語の数詞から、「第○番目の月」という意味で、5月はQuitilis、6月はSextilis、7月はSeptember、8月はOctober、9月はNovember、10月はDecemberと名づけられた。

●ヌマ暦で追加された新たな月の名前の由来

ヌマ暦で追加された新たな月のうち、11月については、先に述べたように、ローマの門神Janusを称えて命名されたものであった。また、12月については、死者をつかさどる神であり、贖罪の神であるFebruus(フェブルウス)からきている。

ローマ時代の暦の変遷(その2)と現在の月の名前の由来(その2)

ここでは、ヌマ暦の改革以降の暦の変遷について述べる。

●ユリウス暦

ローマ帝国を築いたJulius Caesar (ユリウス・カエサル又はジュリアス・シーザー)も暦に関心があり、紀元前46年に1年365日の暦である「ユリウス暦」をつくった。

ヌマ暦の改革によって、Januariusが年初となっていたが、一般的には十分には定着しておらず、正式にJanuariusが年初となったのは、ユリウス暦であった。さらに、カエサルは1年を365.25日と定め、平年を1年365日としつつ、4年に1回、1年366日の閏年を設けた。また、奇数月を31日とし、偶数月を30日とした。ただし、元々日数の少なかった2月は日数が少ない月として据え置かれ、29日と定められた。こうして、現在の暦に近いものが誕生した。

なお、カエサルは自らの功績や名声を後世に残すために、自分の誕生月である7月を自分の名前に因んで、Juliusと改名した。

●アウグストゥスの改暦

カエサルの妹の孫の初代ローマ皇帝Augustus(アウグストゥス)は、戦勝記念という大義名分の下に、8月をAugustusに改名する。合わせて、自分の月が他の月よりも日数が少ないのは皇帝の権威にかかわるということで、8月を31日にして、その代わりに2月を28日にした。これにより、7月、8月、9月と31日の大の月が3ヶ月続くことになったことから、カエサルと自分の月の7月と8月の日数はそのままにして、8月以降、大の月と小の月が交互になるように、月の日数を増減させてしまった。これにより、元々の奇数月が大の月、偶数月が小の月というシンプルなルールが壊されて、現在のような月ごとの日数構成になってしまった。

暦年
(画像=ニッセイ基礎研究所)

●その後の改暦

永田氏の著書によれば、その後のローマ帝国の皇帝も、自分の名前を残すために、改暦をしようとしたり、実際に改暦したようである。例えば、悪名高い第5代ローマ皇帝Nero(ネロ)も、4月をNeroneusと改めたが、Neroの死後直ちに元に戻されたということである。

そして、結局現代まで生き残ったのは、カエサルのJulius(7月)とアウグストゥスのAugustus(8月)だけということになっている。

グレゴリオ暦

現在、世界中で一般的に使用されている暦は、「グレゴリオ暦」と呼ばれるものである。これは、16世紀にローマ法王グレゴリウス13世によって定められたものである。

●グレゴリオ暦への改暦

グレゴリオ暦への改暦が行われるまで、ユリウス暦(含むアウグストゥスの改暦)が幅広く使用されていたが、ユリウス暦では実際の太陽の運行よりも1年間で約11分14秒ずつ、暦日の方が長くなっていた。これによって、昼夜の長さが等しくなる日である春分として定められていた3月21日が、実際の春分とずれてくるようになっていた。これを是正するために、グレゴリウス13世は、それまでのずれの累積である10日間を調整するために、1582年10月4日の翌日を10月15日と定めた。併せて、今後のずれを定期的に調整するために、閏年の決まりを「西暦年が4で割り切れる年を閏年とする。ただし、西暦年が100で割り切れても400で割り切れない年は、平年とする。」と改め、まさに現在使用されているルールを構築した。

●各国におけるグレゴリオ暦への改暦

グレゴリオ暦への改暦が行われる前においては、世界各国では各国独自の暦が採用されていた。

グレゴリオ暦への改暦については、まずはカトリック諸国やカトリック諸都市から順次行われていき、その後プロテスタントの国々やアジア諸国へと拡がっていった。

例えば、フランス、イタリア、スペイン等では1582年に改暦が行われたが、ドイツのプロテスタント諸都市が改暦したのは1700年であり、英国やその当時の植民地である米国等は1752年、ギリシアでは1924年である等、欧米諸国でも改暦時期は異なっている。

日本がグレゴリオ暦を採用したのは、以前の基礎研レターでも述べたように1873年である。韓国が1896年、中国が1912年であり、アジア諸国の採用は欧米諸国より、かなり後になってからである。