注目集めるMMT

現代貨幣理論
(画像=PIXTA)

現代貨幣理論(Modern Monetary Theory:以下MMT)が話題となっている。この理論の結論は「自国の通貨と中央銀行を持つ国は、財政破綻することはない」と要約されて、異端という修飾語付きで紹介されることも多い。米国では昨年の米中間選挙で最年少の女性下院議員となったアレクサンドリア・オカシオ=コルテス下院議員(民主党、ニューヨーク州)が支持していると伝えられ、一気に注目されるようになった。若者の間で支持が広がり、ノーベル経済学賞受賞者のクルーグマン教授や元財務長官のサマーズ教授も論戦に参加している。日本でも国会の質問でも取り上げられ、支持者を広げつつあるようだ。

MMTの提唱者が主張する財政赤字拡大政策を、国が増発した債券を日銀が購入して通貨供給量を増やすことでデフレから脱却するという政策と、同類の主張であると思っている人もいるようだ。しかし、MMTは通貨供給の増加でインフレになるという貨幣数量説の主張を否定しているし、黒田日銀総裁や原田審議委員は政府債務の増加を懸念しないMMTに否定的だ。

対立点はどこにあるのか

しかし、高名な経済学者がこぞって否定しているとは言っても、専門家は間違えるが、普通の人よりも間違えることがずっと少ないという相対的なものであり、MMTを間違いだと頭から決めつけるのも行き過ぎだ。自然科学は過去の常識が覆されることで進歩してきたと言っても過言ではないだろうし、社会科学の世界でも否定されていた政策が当たり前になるのは珍しいことではない。景気の大きな後退で失業者数が急増するような場合に、国債を発行して政府支出の増加や減税を行うというのは、現在では当たり前の政策だが1930年代の大恐慌の頃には異端だった。

MMTは、財政破綻することはないという主張の部分だけが取り上げられて議論されることが多いので、他の経済学の理論との対立が際立って見える。しかし、少なくとも日本ではほとんどの経済学者は財政赤字が絶対的な悪とは考えておらず、必要があれば財政赤字を活用して経済を安定化させるべきだという考え方の方が主流派だ。

筆者にはMMTは全く新しい理論というわけではないように見え、民間の貯蓄余剰を放置して財政赤字だけを削減しようとしても成功しないという点など、賛同する部分も少なくない。財政赤字をもっと拡大すべきかどうかという対立の大きな原因は、現状の評価と問題が起こった場合に対処できるかどうかという考え方の差に由来するところが大きいように見える。理論の詳細にわたる議論は長くなるので、筆者の別の連載や、提唱者の一人とされるWrayバードカレッジ教授の本(注2)を参照いただきたい。

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(注1)筆者「MMTが間違った政策提言を導き出しているワケ~『インフレは昂進しない』という前提の危うさ」、東洋経済ONLINE、2019年4月28日
(注2)Wray, L. Randall, “Modern Money Theory: A Primer on Macroeconomics for Sovereign Monetary Systems”, Palgrave Macmillan. Kindle Edition (2012)、(改訂版が2015年に出版されている)

炭鉱のカナリア

提唱者の中で意見の相違はあるものの、失業者に対して政府が直接仕事を提供する職の保証制度のように、失業者を救済することはMMTの重要な政策目標だ。しかし、現実の日本経済は人手不足が問題となる状況で、景気を刺激して失業者に仕事を提供しなくてはならない状況にはない。米国経済も好調で失業率は歴史的にみても低水準にある。もちろんリーマンショックのようなことがおきれば話は別だが、財政赤字拡大は緊急事態のために残して置くべき伝家の宝刀とでもいうべきものだろう。

政府債務が増えても大丈夫である実例としてMMTの提唱者たちが指摘しているのは、日本ではインフレになっていないし、財政破綻もしていないということだ。日本よりも政府債務残高の名目GDP比が低い国の人達には、もっと政府の財務状況が悪くても問題がおきていない国があるというのは安心材料だろう。しかし、炭鉱のカナリア扱いされている日本の住民にとっては、大した気休めにはならないのではないか。

MMTへの批判に対して、デフレの異常さや恐ろしさを理解していない、平時の先進国でインフレがコントロールできなくなるなどという事態は想定しがたいという反論が返ってくる。議論が盛り上がっている理由のひとつは、誰も負担することなく問題が解決できるという話は非常に魅力的だからであり、現実社会ではMMTの提唱者の考えをはるかに超えて乱用される恐れが大きいのではないか。上智大の竹田陽介教授は「政府の貨幣発行特権に基づく貨幣鋳造益の乱用こそ、インフレの歴史である」と述べている(注3)。

病気の治療方針について医師によって意見が違っているときに、色々調べて治療法の優劣が判断できなくても、最後は自己判断で決めなくてはならない。日本が置かれているのはこんな状況だ。保守的でジリ貧に陥ると批判されるだろうが、筆者は大きな危険を冒すような状況ではないと考えている。

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(注3)竹田陽介,「民主主義の赤字としての中央銀行を誰が掌(つかさど)るべきか」、ニッセイ基礎研レター 2018年03月15日

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櫨浩一(はじ こういち)
ニッセイ基礎研究所 経済研究部 専務理事 エグゼクティブ・フェロー

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