はじめに~介護の「科学化」は可能か~

介護,科学化
(画像=PIXTA)

政府では現在、「科学的介護」の導入に向けた議論が進んでいる。これは高齢者介護に関するデータやエビデンスの収集を通じて、リハビリテーションの強化など効果的な介護予防を進めることに力点を置いており、政府は全国的なデータベースを2020年度に構築するとしている。確かに介護分野ではデータやエビデンスの収集が医療分野と比べて遅れていたため、科学的介護の意味は決して小さくない。

しかし、介護とは要介護状態となった高齢者の生活を支えることに主眼を置いており、高齢者に限らず、人の生活は主観的な満足度を含めて、数字で表しにくい複雑さを有している。こうした介護や生活について、客観的な分析を行う「科学」の適用はどこまで可能なのだろうか。本稿は科学的介護に関する経緯などを考察するとともに、対人援助の技術を組み合わせるなど、分野横断的な議論が必要な点を論じる。

未来投資会議で浮上

データ分析を通じた科学に裏付けられた介護に変えていきたい――。2016年11月、未来投資会議(議長:安倍晋三首相)における塩崎恭久厚生労働相(当時)の発言が科学的介護の始まりだった[1]。その後は表1の通り、厚生労働省が2017年10月、有識者で構成する「科学的裏付けに基づく介護に係る検討会」(以下、検討会)を発足させ、検討会は2018年3月に中間取りまとめを公表した。

介護,科学化
(画像=ニッセイ基礎研究所)

ここでは、デイサービスやリハビリテーションを中心に、高齢者の健康状態や認知機能、食事の摂取量、リハビリテーションの内容、活動や意欲の評価項目などを集める考えを提示し、(1)市町村や介護サービス事業所から「介護保険総合データベース」に集められる要介護認定の情報やレセプト(報酬支払明細書)の情報[2]、(2)通所リハビリテーションや訪問リハビリテーションの事業所からリハビリテーション計画書などの情報を2017年度から収集している「VISIT(monitoring & evaluation for rehabilitation services for long-term care)と呼ばれる既存のデータベースの情報[3]――も活用しつつ、エビデンスに基づく介護の実現に向けたデータベースの構築が必要と訴えた。

その後、2018年度予算では「CHASE(Care, Health Status & Events)」というデータベース構築に向けた経費として約3億円、2019年度予算には約5億円が計上され、現在は2020年度の稼働を目指した具体的な議論が検討会で進んでいる。例えば、収集するデータの選定基準として、(1)信頼性・妥当性があり、科学的測定が可能、(2)収集に負荷がかからない、(3)国際的な比較が可能――などの考え方が示されており、265項目のデータを収集するとしている。

さらに2021年度の介護保険制度改正でも焦点となっている。介護保険は3年に1回、制度改正しており、現に今年2月から社会保障審議会(厚生労働相の諮問機関)介護保険部会でスタートした2021年度の制度改正論議では、「科学的介護の推進」が見直し項目の一つに盛り込まれている。

では、科学的介護が取り沙汰されるようになったのは何故だろうか。その背景には介護給付費の増加による財源の逼迫という事情がある。

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[1]2016年11月10日未来投資会議「開催要領・議事概要」を参照。
[2]レセプト情報は2009年度、要介護認定情報は2012年度から情報収集を開始しており、2018年度には介護保険法に基づきデータ提供が事業者に義務付けられた。
[3]2018年度介護報酬改定では、データ提出を評価するリハビリマネジメント加算(Ⅳ)が新設され、そのデータも活用されている。2018年12月末時点で565事業所が参加しているという。

科学的介護の背景

介護保険の費用は増加し続けている。例えば、自己負担を含む総費用を見ると、制度創設時の2000年度に3.6兆円だったが、高齢化の進展とともに2016年度に9.9兆円まで増加した。これに伴い、高齢者が毎月支払う全国平均の保険料は制度創設時の2,911円から5,869円に大きく上昇している。その上、人口的にボリュームが大きい「団塊の世代」が2025年以降に75歳以上になると、介護保険の費用は一層増えることが予想されており、保険給付の対象を縮小したり、国民の負担を増やしたりする選択肢が求められている。

ただ、いずれの選択肢も国民の反発を招きやすいため、政府は費用抑制を図る方策として、介護予防に力点を置く「自立支援介護」を重視している。具体的には、要介護認定率の引き下げに成功した埼玉県和光市や大分県の事例を引き合いに出しつつ、介護予防に力を入れる市町村を財政支援する「保険者機能強化推進交付金」を2018年度予算(200億円)に計上した。この予算は2019年度も継続しており、2020年度には充実させる案が浮上している[4]。さらに、2018年度の介護報酬改定に際して、リハビリテーションなどADL(日常生活動作)の向上に取り組む通所介護事業所に対する加算措置を創設した。

以上のようなスタンスを分かりやすく説明すると、「リハビリテーションの充実など介護予防の強化→要介護度の維持・改善→介護費用の抑制」という経路を期待していることになり、その方策として科学的介護が位置付けられている[5]。

この点は幾つかの資料で裏付けられる。例えば、先に触れた2016年11月の未来投資会議で、塩崎厚生労働相が提出した資料6には「良くなるための介護のケア内容のデータがなく科学的分析がなされていない」という文言が盛り込まれており、この時には安倍首相も「本人が望む限り、介護は要らない状態までの回復をできる限り目指していきます」と議論を締め括った[6]。さらに、検討会の開催趣旨にも「自立支援等の効果が裏付けられた介護サービスの方法論を確立」と掲げており、ここで言う「自立」は要介護状態の改善・維持を意味する。こうした経緯を見ると、科学的介護の議論は介護保険財源の逼迫に対応するため、政治主導で始まったと言えるだろう。

では、どんな効果が科学的介護について期待され、どんなことが論点になるのだろうか。具体的な議論が固まっていない中で、将来を予測するのは難しいが、「介護とは何か」といった点を加味しつつ、その効果と疑問を考えてみる。

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[4]2019年6月に閣議決定された「成長戦略実行計画」では、高齢者が体操などで気軽に外出できる「通い」の場など、高齢者の社会参加が介護予防に繋がるとして、こうした市町村の取り組みを評価する方向で保険者機能強化推進交付金の「抜本的強化」を図る方針が盛り込まれた。
[5]介護予防に力点を置く「自立支援介護」の論点は2017年12月20日拙稿レポート「『治る』介護、介護保険の『卒業』は可能か」を参照。
[6]2016年11月10日未来投資会議「厚生労働大臣提出資料」を参照。
[7]2016年11月10日未来投資会議「開催要領・議事概要」を参照。

科学的介護による効果と疑問

●介護予防の充実、重症化予防への期待

こうしたデータの収集・分析は医療分野で先行し、現在はAI(人工知能)を用いた画像診断や医薬品開発を目指す動きも始まっているが、医療分野に比べると、介護分野におけるデータ整備・活用は手付かずであり、科学的介護の意義は決して小さくない。一例を挙げると、半身がマヒして自力で歩けなくなった高齢者に対し、「どういったリハビリテーションを提供すれば、高齢者の身体機能が回復する確率が高いか」といった点を検証できるようになる可能性がある。実際、科学的介護に関連した動きは民間企業にも広がっており、パナソニックは介護事業者と提携しつつ、AIを用いて要介護度の維持・改善を図るサービスを始めている[8]。

このほか、ケアの実践に科学的なデータを取り込むことで、利用者の現状の可視化と職員間の情報共有に努めている事例[9]に加えて、認知症の人が暴言や興奮などのBPSD(行動・心理症状)を起こす際の周囲の環境や共通点、特徴を把握し、効率的で効果的なケアの実践に役立てる動きもある[10]。諸外国を見ても長期療養に関する質の評価を強化する動き[11]があり、介護に関するデータベース構築は介護の質を高める上で重要なツールの一つになるし、事業所に関する利用者の選択を支える一つの基盤となり得る可能性がある。

だが、費用抑制にどこまで繋がるかは疑問である。人間は年を取ると、心身に不具合が生じることは避けられず、科学的介護を含めた介護予防が介護給付費を大幅に抑制できるとは想定しにくい。

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[8]2018年2月21日付のパナソニックプレスリリース。
https://news.panasonic.com/jp/press/data/2018/02/jn180221-1/jn180221-1.html
[9]2018年4月5日の『西日本新聞』電子版を参照。https://www.nishinippon.co.jp/item/n/406246/
[10]2019年1月10日のNHK『クローズアップ現代』を参照。https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4230/
[11]Vincent Mor et.al(2014)“Regulating Long-Term Care Quality”〔今野広紀訳(2018)『長期療養ケアに対する質の規制』現代図書〕によると、アメリカ、カナダ、フィンランド、ニュージーランドが「データ測定・結果公表による規制制度」を導入しているという。

●生活を「科学」する限界と医療化の懸念

さらに「複雑な生活をカバーする介護がどこまで科学できるのか」という疑問も払拭できない。手元の辞書を読むと、科学とは「一定領域の対象を客観的な方法で系統的に研究する活動」としている。これを援用すると、科学的介護とは「介護を客観的な方法で系統的に研究する活動」となる。実際、科学的介護は数字で客観的に測定できる身体機能の改善を中心に、医学的な点を重視している。

しかし、介護保険は要介護者の生活支援を目的としており、生活とは本来、数字では表しにくい複雑さを有している。このため、生活の質を数字だけで客観的に測定することは難しく、専らADLの維持・向上のためのリハビリテーションに力点を置く政府の科学的介護には限界があると言わざるを得ない。

介護の「医療化」(medicalization)も懸念される。医療化とは医療社会学の用語であり、福祉的なニーズなど医学で解決すべきではない問題が医療の文脈で語られることを指す[12]。介護保険の淵源を辿ると、劣悪な環境に置かれた老人病院など医療化した高齢者ケアの改革が志向された経緯があり、制度自体が「脱医療化」の一つと位置付けることも可能である。

しかし、政府の科学的介護のように数字やデータだけで介護を語ろうとすると、その人の経験や価値観、人生観など数字に表しにくい部分よりも医学的な視点に偏ってしまうリスクがある[13]。

つまり、政府が進めようとしている科学的介護で議論できる範囲とは、数字で測定しやすい介護予防など医学的な視点にとどまり、複雑な生活のごく一部分を切り取っているに過ぎない。こうした数字やデータを生活に当てはめる上では、認知症の人を対象とした「ユマニュチュードケア」[14]やケアマネジメント、ソーシャルワークなど対人援助技術との組み合わせが欠かせない。

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[12]例えば、アメリカの社会学者、イヴァン・イリイチは「専門家が医療をコントロールすることの破壊的影響はいまや、流行病の規模にまでいたっている」などと批判した。Ivan Illich(1976)“Limits to Medicine”[金子嗣郎訳(1979)『脱病院化社会』晶文社p11]。
[13]科学的介護とは別に、疾患別に標準化したケアプラン(介護サービス計画)の議論が進んでいる。例えば、日本総合研究所(2018)「ケアマネジメントにおけるアセスメント/モニタリング標準化」など。これらは医療・介護連携を図る上では必要な手立てだが、生活を支えるケアマネジメントの全てとは言いにくい
[14]ユマニチュードケアとは、知覚や感情、言語を使った包括的コミュニケーションに基づくケアの技法。ユマニチュードはフランス語で、人間らしさを意味する。

おわりに

医者は統計的知識をもとに、「あなたの病気は今までに〇〇例の症例があり、5年生存率は○○パーセントで、治療法は〇〇がいいとされています」といった説明をしがちですが、患者にとっては自分は統計の中の一例ではないことを、医者は理解するべきです。(中略)患者1人1人にあった治療法を考えなければいけません――。人間や社会にとっての科学の価値を問うた科学史家、村上陽一郎氏の書籍には、こんな一節がある[15]。上記の指摘は医療に関する言及だが、医療に比べてデータで質を把握しにくい介護について、より一層当てはまる指摘であろう。介護で支えられる利用者の生活は統計の一例ではない。科学的介護のデータを活用する上では、ケアマネジメントなど既存の対人技術援助のノウハウや知見を加味する必要がある。

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[15]村上陽一郎(2010)『人間にとって科学とは何か』新潮選書pp62-63。

三原岳(みはら たかし)
ニッセイ基礎研究所 保険研究部 准主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター兼任

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