公的年金だけで期待できる生活水準を客観的に俯瞰する
「公的年金だけでは生活できないってことですか?」これは、2か月前に公表した退職前の生活水準を維持するための必要資産額を年収別に試算した筆者のレポート(1)に対し、数多く寄せられた質問である。筆者が推計した必要資産額は、退職前の生活水準を維持することを前提としているので、生活水準を下げれば年金だけでも生活できるのではないかと思う。極論を言えば、日本国憲法によりすべての国民は健康的で文化的な最低限度の生活を営む権利が保障されているのだから、年金を受給できなくても生活保護制度などもあるため、生活できないことはない。重要なのは、老後にどの程度の生活水準を求めるかだと考える。筆者の根底には、このような考えがあるので、「年金だけで生活できるかどうかや、必要資産額も、世帯の置かれている状況や考え方によって異なりますよ」と答えると、たいがい白黒はっきりして欲しいという反応が返ってくる。
そのような反応が返ってくるのは、私が明確に説明しきれていないからだろうと少し反省している。筆者は老後にどの程度の生活水準を望むのかが重要なポイントだと考えているため、冒頭の質問に対しはっきり肯定も否定もできないのだが、公的年金だけで期待できる生活水準をもう少し客観的に説明できれば、少しは満足して頂けたのではないかと思う。そこで、平成28年国民生活基礎調査の概要と、平成26年財政検証を基に、公的年金だけで期待できる生活水準を客観的に俯瞰したい。
貧困には、必要最低限の生活水準が満たされていない状態の「絶対的貧困」、これに対して、ある地域社会の大多数よりも貧しい状態の「相対的貧困」という見方がある(2)。平成28年国民生活基礎調査の概要によると、相対的貧困状態にある人の割合(以下、相対的貧困率)は15.7%に及ぶ。相対的貧困状態にあるか否かは世帯の等価可処分所得によって判断する。等価可処分所得とは、可処分所得をベースに、世帯人員数を考慮し世帯の生活水準を表すよう調整したものである。具体的には、世帯人員数による生活コストの違いを考慮し、可処分所得を世帯人員数の平方根で割ることで得られる。なお、相対的貧困状態にあると判断されるか否かの分岐点である貧困線(等価可処分所得の中央値の半分)は、年額122万円である。
これに対し、平成26年財政検証によると、モデル世帯(3)が受け取る年金は月額21.8万円(年額261.6万円、2014年時点)だから、等価可処分所得は年額185.0万円(261.6万円÷√2)で、貧困線を大きく上回るが、年額185.0万円だと等価可処分所得の中央値(年額244万円)つまり、日本の中間層の等価可処分所得をはるかに下回る。現役世代とは異なり貯蓄に回す必要性が低下するとはいえ、年金だけで日本の中間層と同程度の生活水準を維持することは難しい。退職後も日本の中間層と同程度の生活水準を維持したければ、やはり老後に2~3千万円の資産を各世帯で用意する必要がある。しかしながら、これを理由に、貧困線を大きく上回る生活水準を維持できるモデル世帯が「公的年金だけでは生活できない」と公的年金制度に不平を言ったら、相対的貧困状態にある15.7%の人たちはどう思うだろう。
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(1)基礎研レポート「50代の半数はもう手遅れか-生活水準を維持可能な資産水準を年収別に推計する」
(2)ユニセフT・NET通信45号(2010.4)参照
(3)40年間厚生年金に加入し、その間の平均収入が厚生年金(男子)の平均収入と同額の夫と、40年間専業主婦の妻がいる世帯
恵まれているのはモデル世帯だけなのだろうか?
「モデル世帯は恵まれている、モデル世帯と同程度の年金を受給できる世帯は少ない」という意見がある。確かに、モデル世帯の夫の厚生年金加入期間(40年間)における平均収入が、厚生年金(男子)の平均収入と同額であるという設定は恵まれているように見える。確かに、平成29年度厚生年金保険・国民年金事業年報によると、平成29年度末時点の標準報酬月額(男子)の平均は約35万円であるものの、標準報酬月額が34万円以下の人がおよそ56%を占める。これは、一部の高所得者によって平均が引き上げられているからである(図表1)。
しかし、仮にモデル世帯の設定を、夫の厚生年金加入期間における平均収入が、厚生年金(男子)の中央値の32万円に変更しても、等価可処分所得は年額178万円程度であり、貧困線を大きく上回ることに変わりない。更に夫の厚生年金加入期間における平均収入を9.8万円まで下げても、等価可処分所得は年額130万円程度で貧困線を若干上回る(4)。
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(4)老齢厚生年金は標準報酬月額だけでなく標準賞与額の影響も受けるが、ここでは標準賞与額は標準報酬月額と概ね比例関係にあることを前提に計算している
中長期的にはどうだろう?
2014年におけるモデル世帯の公的年金受給額の所得代替率は62.7%だが、2050年には50%程度になる見通しである。2050年における貧困線は分からないので、物価水準や世帯構成の変化など貧困線に影響する要素は変わらず、公的年金のみが一律80%(50%÷62.7%)減額された場合を考える。一律80%減額されても、モデル世帯の等価可処分所得は年額148万円程度で、やはり現時点での貧困線を上回る。等価可処分所得が貧困線とほぼ等しくなるのは、夫の厚生年金加入期間における平均収入が20万円(厚生年金に加入する男子の内、収入の少ない方から12.5%目の人に相当)の世帯で、およそ121万円である。つまり、老齢厚生年金を受給可能な世帯の大多数が、公的年金だけでも相対的貧困状態にあるとは判断されない生活水準を維持できるということだ。自営業者など基礎年金のみを受給する夫婦世帯など、公的年金だけでは相対的貧困状態に陥る世帯は存在する。しかし、このような世帯への支援も必要だろうが、現役世代でも子供がいる世帯に限れば、相対的貧困率は12.9%にも及ぶのだから、現役世代の相対的貧困世帯へも支援が必要ではないだろうか。
多くの場合、夫婦世帯もいずれは一方の単身世帯になる
「相対的貧困率等に関する調査分析結果について」(平成27年12月18日、内閣府、総務省、厚生労働省)によると、単身世帯の相対的貧困率は高い。夫婦が同時に死亡することは稀で、多くの場合、最後はいずれか一方の単身世帯になる。夫婦の一方がなくなった後も、公的年金だけで貧困線を上回る等価可処分所得を期待できる人の割合は大きく低下する。将来、公的年金の所得代替率が50%程度になった場合、妻に先立たれた男性ならば、厚生年金加入期間における平均収入が24万円(厚生年金に加入する男子の内、収入の少ない方から25%目の人に相当)の場合で、等価可処分所得は120万円となり貧困線を下回る。夫に先立たれた妻(専業主婦)に至っては、夫の厚生年金加入期間における平均収入が32万円(厚生年金に加入する男子の内、収入の少ない方から50%目の人に相当)であっても、等価可処分所得は120万円となり、貧困線を下回る。これは、世帯人員低下により生活コストが割高になるので、公的年金受給額が減少するほどには生活にかかる費用が減少しないからだ。夫婦である必要はなく友達でもよいのだが、共に生き助け合えるパートナーの存在は、少なくとも経済的にはとても大切ということになる。
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高岡和佳子(たかおか わかこ)
ニッセイ基礎研究所 金融研究部 主任研究員・年金総合リサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任
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