逆選択とモラルハザード、アドバンテージャス・セレクション

保険加入,健康管理
(画像=PIXTA)

医療保険に加入する人は自分の健康状態が分かるけれど、保険会社にはその人の健康状態はわからない。このような、保険に加入する人と保険会社の間の「情報の非対称性」によってもたらされる現象に、逆選択やモラルハザードがある。

逆選択は、保険契約前の「情報の非対称性」によって起こる現象である。健康で病気になるリスクが低いと考えられる人と、健康に不安があり病気になるリスクが高いと考えられる人を保険会社が見分けることができない状況で、保険会社が両者をまとめて平均的に病気になる確率を計算し保険料を定めれば、その保険料は健康で病気になるリスクが低いと考えられる人にとっては割高なものになる。その結果、健康で病気になる確率が低い人はその保険に加入せず、健康に不安があり病気になるリスクが高い人の加入傾向が高まる。そうすると、保険加入者のグループの病気になる確率が高まり、保険会社は保険料の引き上げを行わなければいけなくなる。すると保険の加入者はさらに病気になるリスクが高い人ばかりになってしまう。保険市場におけるこのような現象を逆選択という。

モラルハザードは、保険契約後の「情報の非対称性」によって起こる現象である。例えば、医療保険加入後には医療保険で病気やけがをした時のリスクの一部がカバーされることから健康管理の努力を怠る、ということが挙げられる。他にも、病気やけがをした際に、医療保険でカバーされるからといって、医療サービスを必要以上に受ける行為もモラルハザードと言われる。前者は、病気やけがをする前に起こるモラルハザードであることから、ex ante(事前) モラルハザードと呼ばれ、後者は、病気やけがをした後に起こるモラルハザードであることからex post (事後)モラルハザードと呼ばれる。

逆選択やモラルハザードは保険市場における中心的な課題であるが、実社会ではその現象が常に確認されてきたわけではない。例えば、モラルハザードについて、人々が医療保険加入後に健康管理を怠るようになるという現象は、これまでの研究ではほとんど確認されていない。このようなモラルハザードが確認されない理由には、不健康になると金銭面以外の不利益が発生することなどが考えられる(1)。逆選択についても、その存在を確認する研究が存在する(2)一方で、影響は限定的であると報告する研究もある(3)。

アドバンテージャス・セレクションと呼ばれる、より病気やけがをするリスクの低い人が保険に加入する傾向が強いという「逆選択の逆」の現象もいくつかの保険市場で確認されている。アドバンテージャス・セレクションが起こる要因には、病気やけがをするリスクが低い人はリスク回避度が高いからであるという説がある(4)。ただ、リスク回避度だけではリスクと保険加入の関係を説明できていないという研究(5)もあり、その要因の解明には実証研究の積み重ねが必要である。

そこで本稿では、2018年8月にニッセイ基礎研究所が実施したWEBアンケート調査(6)をもとに、日本の医療保険市場ではアドバンテージャス・セレクションが起こっている可能性があり、その要因には時間割引率と曖昧さ回避傾向が見られるという分析結果を紹介する。

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(1)Einav, L. & A. Finkelstein, 2018. "Moral hazard in health insurance: what we know and how we know it," Journal of the European Economic Association, 16, 957-982.
(2)Cutler, D. M. & R. J. Zeckhauser, 2000. "The anatomy of health insurance," Handbook of Health Economics, in: A. J. Culyer & J. P. Newhouse (ed.), Handbook of Health Economics, edition 1, volume 1, chapter 11, 563-643 Elsevier.
(3)Resende, M. & R. Zeidan, 2010. “Adverse selection in the health insurance market: some empirical evidence,” The European Journal of Health Economics, 11, 413-418.
(4)Hemenway, D., 1990. “Propitious selection,” The Quarterly Journal of Economics, 105, 1063-1069.
(5)DeDonder, P. & J. Hindriks, 2006. “Does propitious selection explain why riskier people by less insurance?” CEPR Working Paper DP5640; Karagyozova, T. & P. Siegelman, 2012. “Can propitious selection stabilize insurance markets?” Journal of Insurance Issues, 35, 121-158.
(6)アンケート調査の対象は、2年以内に手術・入院をした者と現在自宅療養中の者を除く、18歳~69歳の男女(N=2723)

健康のために行動している人ほど医療保険加入している

病気になるリスクが高い人の方が医療保険に加入するのか(逆選択)、それとも病気になるリスクが低い人の方が医療保険に加入するのか(アドバンテージャス・セレクション)。これを確認するために、病気になるリスクが高いと考えられる人と病気になるリスクが低いと考えられる人の医療保険の加入率を比較したのが図1である。普段から健康のための行動をしている人は病気になるリスクが低いと考えられることから、普段から健康のための行動をしているかどうかを病気になるリスクの高低を定める指標として利用している。

保険加入,健康管理
(画像=ニッセイ基礎研究所)

図1に示されるように、普段から健康のための行動をしている人のグループでは医療保険に加入している人の割合が約4割なのに対し、健康のための行動は何もしていない人のグループでは医療保険に加入している人の割合は約2割である。健康のための行動をしている人の方が、医療保険に加入している確率が2倍高いことがわかる。健康状態が悪く健康リスクが高いために健康のための行動をしているといった可能性の影響を除く(コントロールする)ために行った、現在の健康状態(主観的健康感)や年齢、性別、収入を考慮した重回帰分析でも、健康のための行動をしている人の方が医療保険に加入している確率が統計的に有意に高いことが確認された(7)。このことから、本調査では日本の医療保険市場では、健康のための行動を行っている、つまり病気になるリスクが低いと考えられる人の方が医療保険に加入しているというアドバンテージャス・セレクションの現象が起こっている可能性が示唆された。(8)

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(7)保険会社による謝絶や保険料の高騰の分析への最小限にとどめるため、2年以内に入院や手術を経験していない人、また、現在入院中・自宅療養中の方は、本調査対象者には含まれていない。
(8)健康リスクが高い人には、普段から健康を意識した行動を全く行っていない人以外にも、喫煙者や飲酒量が多い人なども挙げられるが、本調査結果からは、喫煙者や飲酒量が多い人が、主観的健康感や属性等をコントロールした上で統計的に有意に高い/低い確率で医療保険に加入している傾向は確認されなかった。

健康行動を行う人と医療保険に入る人の共通点:低い時間割引率と曖昧さ回避傾向

逆選択の現象が見られない、または、アドバンテージャス・セレクションの現象が見られる要因として、先行研究では、病気やけがをするリスクが高い人はもともとリスク回避度が低く、その結果保険に加入しないという影響が注目されてきた。しかし、本当にリスク回避度が要因であるのかはまだ明らかになっていない。そこで本稿では、リスク回避度(9)に加えて、時間割引率と曖昧さ回避度の影響を検証した。

人間には、将来の価値を割り引いて感じる傾向があり、時間割引率は、その人が将来の価値を割り引いて考える傾向の程度を示す(10)。時間割引率が大きい人は、将来病気になるリスクをより割り引いて考えることで、健康行動を行わなかったり、医療保険に入らなかったりする可能性があり、それがアドバンテージャス・セレクションの要因となるかもしれない(11)。

また、曖昧さ回避度とは、確率が分からない事象を回避しようとする傾向の大きさである。自分が将来けがや病気をする確率や蒙る被害の大きさは曖昧である。曖昧さ回避度が高い人は、健康のための行動や医療保険への加入によって、病気やけがによる確率の分からないリスクを回避しようとする可能性が考えられ、このことも、アドバンテージャス・セレクションの要因となると考えられる(12)。

リスク回避度、時間割引率、曖昧さ回避度と医療保険加入、健康行動の関係を分析した結果が、表1である。リスク回避度、時間割引率、曖昧さ回避度の他、性別、年齢、収入、主観的健康感を含めた重回帰分析の結果、統計的に有意(13)にプラスの関係があることが確認された場合は「+」、統計的に有意にマイナスの関係があることが確認された場合は「-」、統計的に有意にはプラスもしくはマイナスの関係が確認されていない場合は「0」が記載されている。

保険加入,健康管理
(画像=ニッセイ基礎研究所)

まず、リスク回避度は、医療保険加入にも健康行動の実施にも統計的に有意にはプラスもしくはマイナスの影響が認められなかった。時間割引率は、医療保険加入とも、健康のための行動ともマイナスの関係があることが確認された。これは、時間割引率の大きい人は、医療保険にも入らず、健康のための行動もしていない傾向を示す。さらに、曖昧さ回避度は、医療保険加入ともプラスの関係が確認された。これは、曖昧さ回避度が大きい人は、医療保険に加入し、健康のための行動も行う傾向があることを示唆する。つまり、アドバンテージャス・セレクションの要因は、これまでの研究で注目されてきたリスク回避度ではなく、時間割引率と曖昧さ回避度があることが示唆された(14)。

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(9)本調査で使われたリスク回避度の質問は以下の通り。
 「50%の確率で10000 円が当たり、残りの50%の確率で2000円当たるくじがあります。 このくじに参加するか、参加せずに5000円を貰うか選べる場合、どちらを選びますか」くじに参加した時にもらえる金額の期待値は6000円であることから、この質問で、くじに参加しないで5000円を貰うと回答した人はリスク回避的であるとした。
(10)時間割引率の説明は以下ご参照 「3分で分かる新社会人のための経済学コラム後回し傾向で、貯蓄額は211万円減少・肥満確率は2.8ポイント上昇?!」( https://www.nissay.co.jp/enjoy/keizai/110.html 2019/7/25 アクセス)
(11)本調査で使われた時間割引率の変数は以下のように作成。1「あなたは、ある金額をもらえることになりました。今日(A)か1 ヶ月後(B)にもらえますが、金額が異なります。どちらを選びますか。」と2「あなたは、ある金額をもらえることになりました。6ヶ月(A)か7ヶ月後にもらえますが、金額が異なります。どちらを選びますか。」の質問それぞれに対して6つの枝問を示してそれぞれAかBを選択してもらい、AからBに移るタイミングの時間割引率の1と2の平均を時間割引率の変数とした。AからBに移るタイミングが遅い人ほど時間割引率が大きいと考えられる。
(12)本調査で使われた曖昧さ回避度の質問は以下の通り。
「AとBの箱にはそれぞれ、赤と青の玉、合計10個が入っています。赤い玉を引いたら、10000 円もらえるとします。AとBどちらの箱のくじ引きを引きますか?」Aの箱(赤4 つ、青6 つ)Bの箱(赤と青の内訳不明)Aの箱を選んだ人を曖昧さ回避度が高い人とした。
(13)有意水準1%、以下同。
(14)この他にも、属性では、女性は医療保険に加入している傾向も健康のために行動する傾向もどちらも高く、収入が高くなるほど医療保険に加入している傾向も健康行動も高くなることが確認された。

おわりに

本稿では、ニッセイ基礎研究所が行ったWEB調査の分析結果から、健康のための行動をしている人ほど医療保険に加入している傾向があるという医療保険市場におけるアドバンテージャス・セレクションの現象が確認されたことと、その要因はこれまで注目されてきたリスク回避度ではなく時間割引率と曖昧さ回避度である可能性があることとを、紹介した。

近年は、健康増進型医療保険のように保険加入後の健康行動を推進する商品が登場している。本調査の結果の頑健性については今後より厳密に検証していく必要があるが、今回の分析結果からは、例えば、健康増進型医療保険のような健康のための行動に注目した保険商品の拡大は、健康のための行動と医療保険加入の関係から見ると自然な流れと考えられる。一方で、これまで健康増進に気を配ってこなかった人にも、このような保険への加入を、健康増進に向けたコミットメントの機会にしてもらうことで、社会的厚生(社会全体の幸せ)を高める可能性があることが示唆されるかもしれない。

岩﨑敬子(いわさき けいこ)
ニッセイ基礎研究所 保険研究部 研究員

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