2016年11月の公開以来、異例のロングランを記録した映画「この世界の片隅に」(原作:こうの史代、監督:片渕須直)をご覧になった方も多いだろう。この12月には新たなシーンを加えて「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」として公開される。
昨年、上記と同様の書き出しで本稿を書いた。結局、“この12月” は1年遅れての12月となったわけであるが、映画の別バージョンの公開は、被爆者の体験を綴った書籍「この世界の片隅で」(山代 巴 編、初版1965年7月、岩波新書)に再び光をあてることになるだろう。繰り返しになるが同書を再度紹介させていただく。
「今では “原爆を売りものにする” とさえいわれている被爆者の訴え、、、」と山代氏がまえがきに記した “今” とは原爆投下から20年後、すなわち、54年前の日本である。
そして、彼らの “訴え” が表面化するまでに「無視され、抑圧された長い時期があった」という。
当時、原爆の被害を訴えることは “占領政策への批判” とみなされ、そうした者は “沖縄に送られて重労働の徒役になる” との噂さえあった。広島の “個” の声は、復興を急ぐ広島の “公” によって封じられていたということだ。一方、その沖縄は、流球列島米国民政府が統治するThe Government of Ryukyu Islands(=琉球政府)であって、日本国とは切り離されていた。
8月3日、米露の中距離核戦力(INF)廃棄条約が失効した。2011年3月に発令された「原子力緊急事態宣言」は、今も解除の見通しが立たない。沖縄も基地が県民を分断し続ける。
同書の中に「ともかく問題は将来に残ります」という一節があった。新たに発生した問題も加え、残念ながらそれが現実である。
6月26日、EUのトゥスク大統領はG20大阪サミットを前に長崎と広島を訪問、「行動を起こす決意と勇気をもって欲しい。決して遅すぎることはない」と声明した。次の世代に何をつなぐのか、目先の “ディール ”とは異なる次元で世界は、そして、私たちはあらためて考える必要がある。
今週の“ひらめき”視点 8.4 – 8.8
代表取締役社長 水越 孝