●「もしジェフ・ベゾスが銀行業をやるとすれば、何をする?」
DBS銀行は、DXに際して、「もしアマゾンのジェフ・ベゾスが銀行業を行うとしたら、何をする?」という視点で考えた。そして、導き出された答えこそ、先の三つの標語である。特に、「自らをカスタマージャーニーへ組み入れる」はアマゾンのビジネスモデルへ通じている。
DBS銀行の「顧客を獲得する→顧客と取引する→顧客との関係を強化する」という一連の業務プロセスは、「顧客データ+エコシステム」を基盤に成り立っている。エコシステムにおいては、クラウド上で顧客データを蓄積・管理・処理する銀行システム、および銀行内部向けAPI・銀行外部向けAPI(オープンAPI)を通して、金融サービスに限らずカスタマージャーニーに沿った様々な生活サービスが提供される仕組みが整っている。「顧客データ+エコシステム」が拡充されれば、「顧客を獲得するコストを下げる」「顧客と取引するコストを下げる」「顧客当たりの売上高を上げる」ことが可能となる。
エコシステムにおけるサービスの品揃えが増えれば顧客満足度は上がり、それだけ顧客の経験価値が蓄積される。するとトラフィックが増加、エコシステムに加わる事業者も増える。顧客が享受できる生活サービスの品揃えや選択肢がより増えることで、顧客満足度はいっそう上がり、顧客の経験価値はより蓄積される。「ビッグデータ×AI」によって「察する」サービスも提供される。トラフィックがいっそう増加する─。こうして、カスタマーエクスペリエンスが向上し、DBS銀行の「顧客との継続的で良好な関係性」が築かれていく。
DBS銀行は、カスタマージャーニーに組み込まれ、「目に見えない銀行」となることを選択した。ここでDBS銀行が第一に大切にしているのは顧客であり、エコシステムを構成する第三者・事業者である。DBS銀行はカスタマーエクスペリエンス重視の経営にたどり着いたと言えよう。
JPモルガン・チェースとゴールドマン・サックスと決断
●大手金融機関がフィンテック領域へ
次世代金融産業の覇権を巡る戦いとは「既存金融機関 VS. テクノロジー企業」の戦いであり、米国こそその「発火点」である。
リーマンショックを契機に米国金融システムが危機に陥り、既存金融機関には米国政府から公的資金が投入され、救済が図られた。その際米国金融機関に対する多くの批判が噴き出たが、これがテクノロジー企業による金融サービス、すなわちフィンテックの登場の機運を高めたと言われている。フィンテックは、既存金融機関から流出した金融産業を熟知する人材を受け入れながら、文字通りテクノロジーと金融の両輪で発展した。
しかし、それは、必ずしも新興企業が独占するものではなかった。既存金融機関も、リーマンショックの痛手から回復する過程で、新しい金融の姿を模索し始めた。なかでも、JPモルガン・チェースとゴールドマン・サックスは、既存金融機関でありながらいち早くDXに着手し、フィンテック領域で成果をあげている企業である。
●「Silicon Valley is coming.」
JPモルガン・チェースのジェイミー・ダイモンCEOによる「Silicon Valley is coming(シリコンバレーが近づいている)」という発言は、まさにテクノロジー企業の台頭を受ける既存金融産業の危機感を示すものであった。経営統合で生き残りを図ったJPモルガン・チェースも今では米国トップの金融機関として復活したが、それは彼が進めた「テクノロジー企業への脱皮」によるところが大きいと言ってよい。
JPモルガン・チェースは、フィンテックに年1兆円を投じる方針を打ち出すなど、強化部門には大胆に投資する。テクノロジー企業との連携にも積極的であり、2016年からはフィンテック企業を自社オフィス内に招き入れ事業開発をサポートする「イン・レジデンス」プログラムをスタートさせた。フィンテックへの投資額1兆円のうち30億ドルは、ベンチャーへの出資など新規投資に充てる構えである。2018年にはアマゾン、投資会社バークシャー・ハザウェイと組み、医薬品・ヘルスケアの合弁事業を展開することが発表された。さらに、シリコンバレーに1000人以上が勤務するフィンテック拠点を2020年に設置するとも報じられている。
●顧客の「日常生活」そのものをデジタル化
JPモルガン・チェースで特に注目すべきは、既存の銀行業務を超えて、顧客の「日常生活」そのものをデジタル化しようとしている点である。その目玉が、モバイルバンキングアプリ「Finn」である。金融サービスの中核から周辺まで取り込もうとしている点に、その特異性がある。
これまで米国や日本では、中国のアリペイやウィーチャットペイのようにアプリを入り口として金融サービス全域の覇権を握ろうとする既存金融機関は存在しなかった。しかし、JPモルガン・チェースはAPIを通じてオープンプラットフォームを構築し、自社でも新たな金融商品の開発を進めている。Finnを起点に、いずれは株式や投資信託などへも手を広げることが予想される。
さらに、2019年2月、独自の仮想通貨「JPMコイン」計画を発表した。米国の銀行では初の試みであり、ブロックチェーンの実用化が米国やグレーターアメリカで本格的にスタートしたものとも見ることができる。
●「500人から3人へ」、AI化で中核業務を大改革
ゴールドマン・サックスは、中核であったトレーディング業務を縮小するとともに、そのAI化を大胆に進めた。デービット・ソロモンCEOは、『われわれは15~20年前にはマーケットメーク(値付け業務)で500人を抱えていたが、今では3人だ』と語り、『マシンラーニングと、市場がどのように機能するかを巡る過去の経験に基づく予測に莫大な投資』をするなかで、スピードが『資本よりはるかに重要』になっているとの認識を示した(ブルームバーグ、2018年5月1日)。かつてのメイン業務をここまで大胆に変革するというのは、ゴールドマン・サックスの「本気度」を示すものと言えよう。
しかし、トレーディング部門のAI化は、ゴールドマン・サックスの取組みの先行例にしか過ぎない。そのデジタル戦略は「金融機関全体」にわたり、生命線であるリスク管理にも及ぶ。テクノロジーへの投資額は膨大で、2015年には25億~35億ドルを支出している。フィンテック企業への投資のほか自社でのIT開発にも積極的であり、トレーディングをはじめ既存サービスの自動化・高度化・効率化を図るとともに、新ビジネス創出にも余念がない。テクノロジー人材の割合も顕著に高まっている。
●一般個人向けデジタル銀行「マーカス」の衝撃
ゴールドマン・サックスのデジタル戦略の象徴として「マーカス」を取り上げる。ゴールドマン・サックスは2016年からリテール向けデジタル銀行事業として「GS Bank」をスタートさせたが、これをより強力なモバイル戦略のもとで再編成したのが一般向けのオンライン金融プラットフォーム「マーカス」である。マーカスがターゲットにするのは一般消費者で、彼らに対する無担保個人融資と貯蓄口座が主なサービス内容である。機関投資家向けの金融機関であり、オリジネーション業務ではグローバルな大企業ばかりを相手にしてきたゴールドマン・サックスが、「リテール銀行に参入」したのは大きな驚きであろう。
マーカスは従来型の金融サービスに対する市民の不満の声に応えるものである。固定金利、手数料ゼロ、返済日を自由に設定できる。また全プロセスをオンラインで行える簡潔さから、「消費者にやさしい」「返済しやすい」と評判を集めた。一方、1ドルで開設できる貯蓄口座の金利は全米平均の0.06%を大きく上回る2.25%である(2019年6月17日時点)。
まさに、「傲慢だったゴールドマン・サックス」から、「消費者に優しいゴールドマン・サックス」への変革を見ることができる。既存の銀行業務をオンラインに移管しただけのサービスではない。マーカスは、顧客第1主義、カスタマーエクスペリエンスの追求といった、次世代金融産業の条件を十分に備えている。
●「ゴールドマン・サックス×アップル」によるクレジット事業が意味するもの
2019年3月、アップルは、iPhone連動のクレジットカード「アップルカード」をゴールドマン・サックスを発行会社として発行する計画を発表した。ゴールドマン・サックスにとっては、アップルの優良個人顧客層にアクセスできる大きなチャンスであり、マーカスの事業展開上も大きなプラスとなるであろう。特に、このことは、次の三つの意味を持つ。
一つ目は、金融分野での消費者市場において最強のブランドが生まれることである。今なお金融業界で随一のブランド力を持つゴールドマン・サックスが、やはり突出したブランド力を持つテクノロジー企業アップルと組むことによって生まれるブランド力や信用力は絶大であろう。二つ目は、お互いにとっての変化の象徴である。大企業のみを相手にしていた投資銀行が、リテールへ参入し一般消費者をターゲットにする。クレジットカード事業はその典型である。さらに、三つ目は、投資銀行が自らを「破壊」し始めたということである。ゴールドマン・サックスの「デジタル・コンシューマー・プラットフォーム」を創設するというビジョンのもと、クレジットカード事業はその端緒に過ぎず、今後さらなるリテール戦略の展開が予想される。
中国では、「アリババやテンセントのようなメガテック企業が金融産業を凌駕する」構図となってきた。その一方で、米国では、続々と新たなフィンテック企業が新たな価値やサービスを生み出している中、ゴールドマン・サックスやJPモルガン・チェースに代表される有力な既存金融機関がDXを進めながら、金融の周辺領域で生まれるフィンテックを垂直統合し発展していく可能性が高いと考えられる。
欧州金融機関とフィンテックの連携:INGの取組み事例
●欧州金融を変えるPSD2、GDPR
次世代の金融サービスはDXによってカスタマーエクスペリエンスが向上し、金融取引へのアクセスや選択の可能性もより多くの人々へ開かれる。そうした動きはBaaS(Banking as a Service)やオープンバンキングとして具体化され、既存金融機関とフィンテック企業との連携が加速している。その最先端が欧州である。
EUの次世代金融産業にとって大きなインパクトを持つ法基盤が、2018年施行の「PSD2(EU決済サービス指令)」(15年採択)と「GDPR(一般データ保護規則)」(16年採択)である。
PSD2では、「PISP(決済指図伝達サービスプロバイダー)」と「AISP(口座情報サービスプロバイダー)」というフィンテック企業の2業態が定められた。PISPは、利用者の依頼により、金融機関に対して口座からの決済・資金移動を伝達するサービスを提供する。AISPは、利用者の依頼により、金融機関に開設された口座に関する情報を統合するサービスを提供する。
ここで重要なことは、誰もがPISPとAISPを利用する法的権利をもち、利用者の合意があれば金融機関はPISPとAISPからのアクセスを拒むことができないことである。PISPとAISPは金融機関が保有する金融データへのアクセスが可能となり、金融機関はオープンバンキングに取組むことが義務付けられる。
一方、GDPRは、個人データにかかわる権利及び事業者が遵守すべき義務などを規定する。その骨子は、個人データの削除を求める「忘れられる権利」、データポータビリティの権利も保障される「データへのアクセスの容易性」、データ侵害を受けた場合に利用者が「いつハッキングされたかを知る権利」、サービスの設計段階から「プライバシー保護のデフォルト化」を組み込むことの四つである。
GDPRは二つの重要な意味を持つ。一つは、GAFAなどのプラットフォーマーへの影響である。昨今の「ビッグデータ独占」などの批判も受け、ビジネスモデルに制約がかかることになる。もう一つは、金融機関が個人データを利用者から同意のうえで預かり、フィンテック企業に提供する「情報銀行」という概念が生まれたことである。金融機関には個人データ保護という基礎的な「安心・安全」を担保することが求められる一方、個人データをビジネスへ利活用する余地が出てきた。