(本記事は、タイラー・コーエン氏(著)、池村千秋(訳)の著書『大分断──格差と停滞を生んだ「現状満足階級」の実像』NTT出版の中から一部を抜粋・編集しています)

ジャック・マーとザッカーバーグの違い

極貧,裕福
(画像=Hyejin Kang/Shutterstock.com)

数人の人物のプロフィールを通じて、アメリカと中国で、社会のダイナミズム、階層移動の活発さ、そして現状への満足度がどのくらい違うかを見てみよう。

2014年に中国で最も裕福な人物になったジャック・マー(馬雲)は、極貧の子ども時代を送った。マーが生まれた1964年、一家はとても貧しかった。国民党政府の役人だった祖父は共産党政権下で迫害され、厳しい仕打ちは一家全体に及んだ。

マーの両親は、講談と弾き語りの伝統芸能を仕事にしていたが、1960年代、毛沢東が主導した文化大革命により、この芸能が禁止されてしまった。そもそもこの仕事では、当時の中国の水準で考えても(1960年代の中国は、一人当たりの所得が年間200ドルに満たなかった)、裕福な暮らしは不可能だった。

マーの一家は、政治的につねに危うい立場に置かれていたばかりか、物質的な面でも貧困のどん底にあったのだ。

子どもの頃、マーは懸命に努力した。朝5時に徒歩や自転車で近くのホテルまで行き、外国人観光客に話しかけて英語の練習に励んだ(この英語がのちに役立った)。しかし、苦難は続いた。中国でも人気があるケンタッキー・フライド・チキンなど、いくつもの職で不採用になり、大学入試にも数度失敗した。

それでも、最終的には大学に進学して英語を学び、大学で英語を教えるまでになった。コンピュータと出会ったのは33歳のときだった。当時、インターネットとはどういうものかを友達や家族に見せようとして、あるウェブページにはじめてアクセスしたときは、ページの半分が表示されるまでに3時間半かかったという。

やがてアメリカ人の友人たちの力を借りて、中国企業向けのウェブページ制作の仕事を始めた。電子商取引サイトの「アリババ」を創業したのは1999年。

2014年には、純資産が約300億ドルに達し、世界屈指の大富豪になった(その後、純資産は減少したが、それでも大金持ちであることに変わりはない)。

子ども時代のマーは、それ以上貧しくなりようがないくらい貧乏だった。彼ほどではなくても莫大な資産を築いた中国人は、同じように貧しい子ども時代を送った場合が多い。

理由は明白だ。1960〜70年代の中国では、ごく一握りの共産党支配層を別にすれば、ほぼすべての人が貧乏だったのだ。

劉永行も貧しい家庭に生まれ、若い頃は肥料用の人糞を運ぶ仕事をしていた。しかし、のちに中国屈指の農業関連企業「希望集団」を設立し、現在は推計で約48億ドルの資産をもつ大富豪になっている。

最初は教員の仕事に就けたことで大満足だったが、腕時計と自転車を売って金をつくり、兄弟と一緒に小さな養鶏ビジネスを始めた。そこからすべてが変わった。

王文銀の一家も文化大革命でひどい仕打ちを受け、立ち直るまでに長い年月を要した。本人の話によれば、20歳までまともな靴をもっておらず、いつも腹を空かせていた。

はじめて自分のビジネスを立ち上げたときは、土管の中で寝泊まりしていたという。のちにケーブルと銅製品をつくる「正威集団」を創業し、いまでは中国で14番目の資産家になっている。

一方、最近のアメリカでは、極貧から大金持ちになった立身出世物語をあまり見聞きしなくなった。大富豪は確かにいる。フェイスブックのマーク・ザッカーバーグはその典型だ。しかし、ザッカーバーグは貧しい家庭で育ったわけではない。

今日、子ども時代のマーのような貧困を経験するアメリカ人はほとんどいない。まったくいないと言ってもいいだろう。それ自体は悪いことではないが、裕福で快適な社会は、ダイナミズムと社会の流動性が乏しく、現状に満足する心理が広がる。

1990年代には、インターネットなどの新しいテクノロジーのおかげで所得階層の移動が活発になるとの見方が一般的だった。誰もがインターネットにアクセスできるようになれば、それまでより上の所得階層に移行して裕福になる人が増えると予想されていた。

インターネットを活用すれば、新製品を宣伝したり、新しいビジネスを立ち上げたり、斬新な方法で自分を売り込んだりするコストが大幅に下がると期待されていたのだ。

実際、インターネットはそのコストを引き下げた。しかし、予想されたほど経済的な平等は高まっていないように見える。富裕層はインターネットを用いてマーケティングをおこない、昔と同じペースで富を増やしていて、所得階層の移動はあまり活発になっていない。

これを壊滅的危機と呼ぶのは大げさだが、社会のダイナミズムが強まっているとは言い難い。少なくとも、貧しい人たちが所得階層を上昇させるペースは加速していない。

評論家たちは、所得階層の移動が不活発になった理由をいくつも挙げている。階層の固定がいっそう進んだこと、国外の安価な労働力との競争が激しくなったこと、テクノロジーの進化に伴い、働き手に求められるスキルや訓練が高度になったこと、過度の規制により経済が硬直化していること、労働組合の力が弱まったこと、裕福なエリート層の影響力が強まったことなどだ。

ここで詳細な議論に立ち入ることはしないが(詳しくは私の前著『大格差』〔邦訳・NTT出版〕を参照)、これらの要因の多くが実際に影響していることは間違いない。

しかし、ここではもっと大きな流れに注目したい。経済が成熟すると所得階層の移動が少なくなり、しまいにはほとんど変化が起きなくなる場合が多いのである。ダイナミズムがあった社会も、成功の帰結としてそのダイナミズムを失い、現状満足の状態に陥る。

階層の固定はこうして進む

社会のダイナミズムを保つためには、摩擦とトラブルが不可欠なのかもしれない。今日のアメリカ社会の状況を理解するために、戦争や自然災害、あるいは共産主義体制の統治で壊滅的な打撃を被った社会と比較してみよう。ジャック・マーが子ども時代を過ごした中国のようなきわめて貧しい社会と比べてみてもいいだろう。

そのような社会では、ほとんどの人が食うや食わずの生活を送っている。生活は、野心の強い人も弱い人も、才能の豊かな人も乏しい人も大差ない。そのような社会で経済が変革されたり改善されたりして経済成長が始まり、たくさんの経済的機会が生み出されると、どうなるか?

一世代の間に目を見張るほど多くの人たちが貧困を抜け出し、豊かな生活を送るようになる。こうして、成長著しい新興国では階層の流動性が非常に高くなり、いくつかの好ましい現象が生まれる。

裕福になる人のほとんどは、親の世代には比較的貧しかった。貧しい国から豊かな国に移行する途上にある国では、階層が固定されたままということは考えにくい。

時代が進むにつれて、そのような社会はどのように変わっていくのか?ほぼ確実に、子の世代の所得階層が親の世代と同じというケースが多くなる。

その社会がすべて正しい選択をしても、それは避けられない。知能、野心、勤勉など、高い所得をもたらす資質が遺伝したり、なんらかの形で子の世代に受け継がれたりする場合があるからだ。

研究によれば、人の知能の40〜60%は遺伝で決まる(細かい数字は研究によって異なる)。いくらなんでも、この割合は大きすぎるのではないかと感じる人もいるかもしれない。

しかし、仮に遺伝的な要因が関係しないとしても、富裕層が良好な教育環境や就労環境を子どもたちに用意できることは間違いない。経済的に成功している社会では、現状が維持されるようにできているのだ。

個人の経済的な機会を制約することがない自由な社会でも、世代が下るごとに、階層の流動性を低下させる要因が強まっていく。ジャック・マーのように立身出世を遂げて富裕層に仲間入りした第一世代が子どもをつくると、その子はほかの子どもより大きな才能と野心をもっていて、多くの機会にも恵まれている場合が多い。

その結果、次の世代の富裕層は、貧困層からのし上がった人ばかりではなくなる。そして、裕福な親の子どもとして生まれたことで経済的成功を手にする人が増える。

なかには、大富豪の子どもは甘やかされていて勤勉さが足りず、成功できないのではないかと考える人もいるかもしれない(私はそうは思わない)。しかし仮にそうだとしても、いまの中国には大富豪とは言えないまでも高所得者が大勢いる。

この人たちは、子どもをハーバード大学などの一流大学に送り込もうと躍起になっている。そうした子どもたちが次世代の大富豪になるだろう。これは中流層から富裕層への出世物語ではあるかもしれないが、極貧からの出世物語とは言えない。

世代が下るにつれて、大きな経済的成功を収める人が裕福な家庭の出身というケースが増えていく。このような現象は、腐敗や不正がなくても起きる。

戦争や大規模な災害が発生しない限り、富裕層がすべて貧困家庭出身者で占められることはなくなる。本書で指摘してきたマッチングと同類婚により、富裕層同士が結びつく結果、この傾向にいっそう拍車がかかる面もあるかもしれない。

これはきわめて自然な現象だ。19世紀後半〜20世紀前半のイタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートの表現を借りれば、社会における「支配層の循環」は、時代を経るにつれてどうしても弱まっていく。

貧困と混乱の時代に比べると、間違いなくそれが弱まる。今日の中国でも、共産党幹部の子弟が特権的地位を得ていることが大きな社会問題になっていて、人々の不満が高まっている。

豊かで、安定していて、幸福度が高い社会ほど、所得階層の流動性を保ったり、高めたりすることが難しい。流動性が乏しくなると、社会は停止状態に陥りやすくなる。

一般に、所得階層の流動性が高いのは好ましいことだと言われる。いくつかの重要な面では、確かにそのとおりだ。貧しい家庭に生まれた子どもが勤勉に努力して財を成すという物語は、誰だって嫌いではない。それがアメリカン・ドリームだからだ。

しかし、階層の流動性が著しく高いとき、その社会ではよくないことが起きている場合もある。たとえば、深刻な災害など、貧富の差をなくすような出来事が起きたケースがそうだ。

逆に、階層の流動性が低い状況は、社会と経済が安定していることの結果という場合もある。社会と経済が安定している状態には問題点もあるが、安定は多くの人が懸命に獲得しようとする貴重なものだ。

流動性が高いことの負の側面は、さまざまな国の状況を見ると理解しやすい。国が貧しかったり、混乱に陥っていたりする時期は、所得階層の流動性に関するデータが手に入りにくい場合もあるが、教育水準の流動性に関しては、たいてい質の高いデータが存在する。

そうしたデータによると、高い流動性は、その社会に問題があることの反映という場合もある。

もちろん、教育水準の流動性が著しく低い国は、貧困との戦いで非常に苦戦する。流動性が低い順に挙げると、ペルー、エクアドル、パナマ、チリ、ブラジルといった国がこれに該当する。

しかし、流動性がことのほか高い地域は、概して生活水準が低い。エチオピアの農村部、中国の農村部、キルギスタンなどがそうだ。

これらの地域で流動性が高いのは、前の世代のほぼ全員がきわめて過酷な状況から出発したからでもある。そう考えると、世代間での所得階層の流動性が高いことは、かならずしも羨むような状況とは限らない。

大分断──格差と停滞を生んだ「現状満足階級」の実像
タイラー・コーエン(Tyler Cowen)
米国ジョージ・メイソン大学経済学教授・同大学マルカタスセンター所長。ハーバード大学にて経済学博士号取得。「世界に最も影響を与える経済学者の一人」(英エコノミスト誌)。人気経済学ブログ「Marginal Revolution」、オンライン教育プロジェクト「MRUniversity」を運営するなど、最も発信力のある経済学者として知られる。
池村千秋(いけむら・ちあき)
翻訳家。訳書にコーエン『大停滞』『大格差』、ボネット『WORKDESIGN』(以上、NTT出版)、モレッティ『年収は「住むところ」で決まる』(プレジデント社)、グラットン+スコット『LIFE SHIFT』(東洋経済新報社)他多数。

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