(本記事は、タイラー・コーエン氏(著)、池村千秋(訳)の著書『大分断──格差と停滞を生んだ「現状満足階級」の実像』NTT出版の中から一部を抜粋・編集しています)

水面下で増加するサイバー犯罪

サイバー犯罪
(画像=NicoElNino/Shutterstock.com)

いま多くのアメリカ人は、犯罪率が低下したことを当たり前のように思っている。今後、もっと治安が改善すると考えている人も多いかもしれない。しかし、その期待は裏切られると、私は予想している。

長期の傾向を見ると、新たな犯罪多発時代が目前に迫っている可能性がある。変化はすでに始まっているのかもしれない。もっとも、1960〜80年代と同じような犯罪が再び増えるとは思っていない。

つまり、殺人、自動車強盗、学生運動家の爆弾テロ、徴兵制反対派の破壊行為や暴動、コカイン常用者による路上強盗などが際立って増加することは考えにくい。「歴史は繰り返さない。しかし韻を踏む」という言葉のとおり、新しいタイプの犯罪が増えはじめているように思える。

犯罪率が低下しているという統計には反映されていない犯罪があるのだ。それは、インターネット上の犯罪だ。

このタイプの犯罪に関して信憑性がありそうなデータは見当たらないが、いくつかの目立ったニュースを見るだけでも状況の深刻さがわかる。

報道によれば、インターネット上では成り済まし事件が年間1000万〜1500万件、フィッシング攻撃が何千万件も起きている。詐欺事件も途方もない件数に上る。場合によっては、犯人がどこの国にいるかすら突き止められない。

ある推計によれば、ナイジェリアのインターネット詐欺集団だけでも、世界中から詐取している金額が年間120億ドルを超すという。

これまでに個人データを盗まれたアメリカ人は何千万人にも上る。それがどのような結果をもたらすかは、まだ明らかになっていない(当局がまだ公表していないだけという可能性もある)。

すでに膨大な数の指紋情報が盗まれていて、それが悪用されればセキュリティ・システムが損なわれかねない。サイバー恐喝やサイバースパイ行為も横行しているが、ほとんど報道されていないのが現状だ。薬物の密売にインターネットが利用されるケースも増えている。

迷惑メールが原因で時間が浪費されることの経済損出は、推計で年間200億ドルに上るとも言われる。迷惑メールは違法ではないかもしれないが、好ましくない行為であることは間違いない。違法なオンラインポルノ(未成年者が閲覧する場合も多い)も氾濫している。

いま、どのくらいサイバー戦争がおこなわれているのか確かなことはわからない。しかし、アメリカがイランにサイバー攻撃を仕掛けたという事実は、少なくとも明らかになっている(「スタックスネット」というコンピュータウイルスを送り込み、イランの核開発を妨害した)。

サイバー戦争は、米中関係の大きな争点でもある。中国はアメリカ企業から大量の知的財産を盗んでいる。一方、それに対してアメリカ側が取ってきた行動は、よくわかっていない。企業はサイバー攻撃への防御に費やす金額を増やしているが、サイバー攻撃による被害を公表することには前向きでない(そもそも被害に気づいていないケースも多いだろう)。

2016年のアメリカ大統領選では、ロシアのハッカーが民主党全国委員会のコンピュータに侵入し、電子メールとボイスメールの内容を盗み出した可能性が高い。選挙でトランプを勝たせることが目的だったようだ。

2016年には、ほかにも気がかりなニュースがあった。バングラデシュ中央銀行のシステムがハッキングを受け、国際決済システムの一翼を担うSWIFT(国際銀行間通信協会)経由の不正送金により8100万ドルが盗まれたという。その金のほとんどは回収されていない。このハッカーグループは、なんと10億ドルを奪おうと計画していたと報じられている。

世界経済の基盤は決済システムの安全性と信頼性だが、そのシステムがどのくらい強靭なものかはおぼつかなくなっている。ハッカーの能力が高まり続けていることを考えると、懸念は強まるばかりだ。

以上に挙げたような犯罪は、一般的な犯罪統計には含まれない。殺人や傷害、窃盗などの件数だけ見ると、犯罪が減少しているように思えるだけだ。

犯罪の大波がやって来る

インターネット上の犯罪が増えているのは、意外なことではない。人々がオンライン空間で過ごす時間が多くなれば、そこでの犯罪が増えるのは当然だ。マッチングの主要な舞台がインターネットに移行したように、犯罪者と被害者のマッチングもインターネット上で起こるケースが増えている。

政府に対する人々の信頼が大幅に弱まったように、やがてインターネットへの(少なくとも、その多くの部分への)信頼も失われるのかもしれない。

インターネット犯罪は、インターネットの利用が増えはじめたのと同時に、つまり1990年代に入って増加しはじめた。これは、ほかの犯罪が減りはじめた時期でもある。この点を考慮に入れると、多くの人が思っているほど犯罪は減っていないと言えそうだ。

法律上の犯罪には該当しないとしても、インターネット上の迷惑行為も増えている。オンライン上での脅し、ストーキング、侮辱、嫌がらせ、誹謗中傷、それに、ソーシャルメディアを利用したマーケティングなどのことだ。

違法な脅迫行為も、インターネット上でおこなわれた場合はほとんど警察の目にとまらない。摘発されるケースはもっと少ない。事件の件数があまりに多く、しかも犯人を突き止めることが難しいからだ。

そもそも、警察に届け出ても捜査してもらえない場合も多い。そのため、膨大な数のインターネット犯罪が通報されないままになっている。当然、そのほとんどは統計に反映されない。

適切な表現ではないかもしれないが、インターネット犯罪は現実世界の犯罪よりましな面もある。インターネット上で人を脅したり、嫌がらせをしたり、ストーキングをしたりはできるが、(少なくとも現時点では)インターネットの中で人を殺すことはできない。

インターネット犯罪は、主として詐欺、成り済まし、恐喝、脅しや嫌がらせなどの形を取る。その意味で、インターネット上の犯罪は、古いタイプの犯罪に比べて穏健と言えなくもない。この点は、本書で論じてきた社会の穏健化の傾向とも合致する。

しかし、インターネット上の犯罪には特有の難しさもある。物理的な暴力を伴うケースが比較的少なく、あまり目に見えにくいため、サイバー犯罪への怒りが現実世界で高まりにくく、なかなか被害者が一致団結して選挙の投票で共同行動を取らないのだ。

アメリカでは1970年代以降、政治家にとって「強い姿勢で犯罪に臨む」ことが選挙で有利な材料になった。それがさまざまな好ましい変化を生み出した面もある。

たとえば、警察官のパトロールが増やされた。しかし、サイバー犯罪に関してこのようなことは起きていない。近い将来、それが変わることもなさそうだ。

サイバー犯罪は、たいてい派手さがない。映画にするなら、チャールズ・ブロンソンやクリント・イーストウッドのような人物ではなく、インドア派のコンピュータプログラマーが主人公で、主人公が猛烈な勢いでキーボードを叩く場面が多くならざるをえない。

製作者は、映画に緊迫感をもたせることに苦労するだろう。いずれにせよ、いまのところ人々はサイバー犯罪とインターネット詐欺に対してあまり怒りを募らせていないように見える。

それでも、次に犯罪が急増するときには、おそらくインターネットが大打撃を被るだろう。インターネット全体とは言わないまでも、そのかなりの部分が大きなダメージを受ける可能性が高いと、私は予想している。

その場合も、アマゾンやフェイスブック(そして、両社の新しいライバル企業)の成長は、おそらく減速しない。これらの企業は豊富な資金をもっていて、システムの安全性を高めるための投資ができるからだ。

しかし、ほとんどの人は、自由なインターネットを安全な場所だと思わなくなる。不当な扱いをされたり、侮辱されたり、嫌がらせを受けたり、個人情報を盗まれたりする場所というイメージが強まるだろう。人々は、いわば壁に囲われて規制の行き届いたアプリの世界に移っていく。

その結果、インターネットが万人にとって自由な思想とビジネスの場になるという理想は、夢物語のままで終わる。インターネット犯罪と野放しのオンライン広告により、その理想郷が奪われてしまうのだ。インターネットの世界では、悪者たちが勝利を収めることになる。というより、すでにそれが現実になっている。

自由なインターネットではなく、閉ざされたインターネットの中に人々が引きこもる傾向は、今後ますます加速するだろう。多くの人がその恩恵に浴することは事実だが、社会のなかで最も自由で弱い部分、すなわち自由なインターネットが敗北を喫しつつあることは見過ごせない。

ネットワークの最も弱い部分には、未来のトラブルの兆しが最初にあらわれる。しかし、インターネット犯罪は、ほかの出来事と切り離されて、目につきにくい場所で起きることが多いため、問題が表面化するまでに時間がかかる。長期にわたって問題がくすぶり続け、気がついたときには深刻な大問題に発展しても不思議はない。

大きな流れとしては、犯罪が少ない平和な時代はいつまでも続かないと思っておいたほうがいい。1960年、社会学者で文化批評家のダニエル・ベルは、いくつかの階級問題と若干の「社会的反乱」を別にすれば、アメリカ社会に犯罪の大波が押し寄せる兆候はないと論じた。「都市住民が日々の生活のなかで経験する暴力は、100年前や50年前はもとより、25年前よりも少なくなるだろう」

言うまでもなく、ベルの予想ははずれた。このあとほどなく、アメリカは史上最大の犯罪の大波を経験した。このときも、犯罪の増加がかなり進行するまで新しい潮流はあまり目につかなかった。これは、前述した「大いなるリセット」の典型的なパターンと言える。

犯罪率が低下していることに関して驚くべき点の1つは、そのような現象が起きた明確な理由がわかっていないことだ。ニューヨーク大学法科大学院ブレナン司法センターが最近、「犯罪減少をもたらした原因は何か?」と題した報告書を発表した。オリヴァー・ローダー、ローレン=ブルック・アイゼン、ジュリア・ボウリングが共同執筆した131ページの本格的な学術研究だ。

一般的に犯罪を減少させる要因としては、刑務所への収監者の増加(ただし、この要因の影響は一般に思われているほど大きくない)、警察官の増員、社会の高齢化、所得水準の上昇、アルコールや薬物を常用する人の減少、経済環境の変化、子どもの鉛への暴露の減少と、その結果としての発達障害の減少などが知られている。

しかし、この報告書によれば、これらの要因をすべて考慮に入れても、1990〜99年の犯罪減少の半分近く、そして2000〜13年の犯罪減少の半分以上は、まったく説明がつかないという。

しかも同じ時期に、アメリカだけでなくカナダでも、同じ程度の割合で犯罪率が減少している(お察しのとおり、両国の犯罪率の絶対値には大きな開きがある)。この点を考慮すると、アメリカで犯罪率が下がったのは、アメリカの政策や法制度の変更が理由ではなさそうだ。

犯罪の減少は、もっと言葉で表現しにくい要因が生み出したものなのだろう。具体的には、時代の空気が大きく影響したように思える。問題は、時代の空気が突如変わる場合があることだ。いつ新しい力学が生まれ、好ましくないトレンドが進行しはじめても不思議はない。

私が思うに、犯罪率の低下をもたらした最大の要因は、アメリカ人の「落ち着きのなさ」が弱まったことだ(カナダでも犯罪率が下がっていることを考えれば、これは北米人全体の傾向なのかもしれない)。

その背景にあるのは、社会のムードの変化だ。しかし、このような心理的要因は高齢化のような社会的要因と異なり、ずっと続く保証はない。

人々の心理を正確に把握することや、数値計測することは不可能だ。ほかの要因で説明できる部分を取り除いた残りがこの要因によるものと推定することしかできない。それがどのように変化するかを事前に予測することも難しい。

いまの状況がずっと変わらないと決めつけ、犯罪率が下落し続けると考えるのは早計だ。犯罪を増やす要因はよくわかっておらず、犯罪率がさらに下落するという予測は揺るぎない主張にはほど遠い。次にアメリカで生まれる大きなイノベーションが犯罪のイノベーションだったとしても意外でない。

大分断──格差と停滞を生んだ「現状満足階級」の実像
タイラー・コーエン(Tyler Cowen)
米国ジョージ・メイソン大学経済学教授・同大学マルカタスセンター所長。ハーバード大学にて経済学博士号取得。「世界に最も影響を与える経済学者の一人」(英エコノミスト誌)。人気経済学ブログ「Marginal Revolution」、オンライン教育プロジェクト「MRUniversity」を運営するなど、最も発信力のある経済学者として知られる。
池村千秋(いけむら・ちあき)
翻訳家。訳書にコーエン『大停滞』『大格差』、ボネット『WORKDESIGN』(以上、NTT出版)、モレッティ『年収は「住むところ」で決まる』(プレジデント社)、グラットン+スコット『LIFE SHIFT』(東洋経済新報社)他多数。

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