(本記事は、天野 彬の著書『SNS変遷史 「いいね! 」でつながる社会のゆくえ』イースト・プレスの中から一部を抜粋・編集しています)

ネットサーフィンから、「ググる」へ

グーグル
(画像=PK Studio / Shutterstock.com)

かつては、「ネットサーフィン」という言葉があった。興味の赴くままに、さまざまなウェブページを次々に閲覧していくことが、波から波へと渡っていくサーフィンに見立てられたのだった。その当時は趣味としてネットサーフィンを挙げる人々が多かったが、いまではあまりいないように思われる。なぜなら、自分で探すまでもなく、他のユーザーやウェブ上のサービスが役に立つ情報をあちらこちらで編集しておいてくれているからだ。

ユーザーは、よりダイレクトに目的となる情報を探したい。それを助けたのが検索サイトだ。Google(グーグル)がアメリカで創立されたのが、一九九八年。それから二〇年ほどで、後発ながらユーザー数を伸ばし、検索エンジンの世界的なデファクト・スタンダードとなり、世界で最も巨大なIT企業ベスト4ーーGAFAーーの一角を占めるまでになった。

ウェブサイトの数も少ない時代には、 Yahoo!のようにディレクトリ型(ジャンルごとにカテゴリー化された検索サイト)で情報が整理されていたーーもちろんYahoo!にも検索機能はあったし頻繁に使われていたが、最終的にYahoo!自身も検索アルゴリズムとしてはグーグルのものを採用するにいたる。

当初は管理者の考えるカテゴリー整理があり、そこに個別のウェブサイトへのリンクが収められていたわけだ。また、先に確認したように当時のユーザーは相互リンクを貼り合って、この人が貼ったリンクだからということで信頼して訪問していた。

しかし、個の発信者が増えると、人力での管理はほぼ不可能となる。毎日数えきれないほど生み出されていくウェブサイトやブログを人の目で確認し、一つひとつを位置づけインデックス化する……。その作業の困難性は、そうしたスピードが加速する中で増していくばかりだった。

グーグルはそれを機械の力で解決する。ここでは詳細を省くが、「ページランク」という画期的なウェブサイトの重要性の判定基準と、それによる分類アルゴリズムを生み出し、後発の立場ながら最も信頼される検索エンジンの立場を奪取した。細かなルールは頻繁に変更されるので、あくまで傾向の記述にとどまるが、そのページがどの程度リンクされているかという被リンク数が得点となるという原則で、リンクを貼られるという意味での信頼性をスコア化して活用していたわけだ。

グーグルが登場して以降、私たちは検索クエリ(検索する際に打ち込むフレーズ)を入力して、表示されるいくつかのページの中から欲しい情報へと効率的かつ一直線にたどり着くようになった。媒介は必要とせず、キーワードを入力すれば最適なウェブサイトが目の前に提示される。いまとなっては、「ググる」ことがなければ日常生活は立ちゆかなくなっているーー英語でも"Google"という言葉は、「検索する」という意味の動詞となっている。

ソーシャルブックマークにあった可能性

二〇〇〇年代中ごろからは、ソーシャルブックマークと呼ばれるサービス群も存在感を高めていった。日本で言えば、はてなダイアリーを提供する、株式会社はてなの「はてなブックマーク」、海外では「del.icio.us(デリシャス)」や「Digg」などが有名で、ニュースやブログ記事、あるいは動画コンテンツなど、URLのあるものをクリップするような感覚で残していけるというものだ。しかも、それが個人のアカウントに紐づく形で周囲にもシェアできるようになっており、周りがどんなニュースをクリップしているのか、自分でもわかるようになっているのが面白い。

筆者もはてなブックマークを愛用していたが、次第にコミュニティのようになっていき、いま自分のつながっている(フォローし合っている)人たちが、興味を持ちそうなニュースはどれだろうかと先読み的にシェアすることもあった。このあたりは、ニュース・アプリのNewsPicksがその設計思想として近いものだと言えるだろう。

ニュースや記事を管理するときは、そこにタグ付けを行っていたことから、タグソノミー文化の一部と言われており、ニュースに「経済」「ファクト集」「まとめ」といったタグを振って、自分たちで管理していくボトムアップな志向が特性だ。これもグーグル同様に、ウェブ空間における情報量の増大を解決するための受け手のリアクションだったと言えるだろう。

総務省が発表した情報流通センサスによれば、人々が処理できる情報量はほぼ横ばいなのに対して、私たちの社会は日々処理しきれないだけの情報をますます生み出し、流通させるようになっている。その中で、はてなコミュニティは「自分たち」がいま見ておくべきニュースを厳選(キュレーション)してくれる場として価値を持っていた。

作家/批評家の東浩紀氏は平成のネット環境を振り返るインタビュー(二〇一九)の中で、このように述べている。

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あれ(筆者注:はてなダイアリー)はすごく可能性があった。日本でいまブログ論壇と呼ばれているものを最初に作ったのは、はてなダイアリーだと思う。はてなダイアリーは、なぜだったかわからないですが、意見が違ってもみんな「はてな」に所属しているという独特の感じがありました。いまでも「はてな村」ってよく言いますけど、あれは別に蔑称で使うべきものではなくて、「俺たち同じ村に所属してるんだ」という感覚があったからこそ、実は議論もできていた。(中略)

はてなダイアリーが無意識に持っていたあのコミュニティ感というものを、上手く次のサービスにバトンタッチできなかったのは、すごく残念なことだなと思っています。

僕の個人的な記憶では、あのとき有名なはてなダイアラーの名前はみなお互いに認知していました。誰と誰の仲が悪いとか、喧嘩になってるということがあったとしても、トータルには仲間意識があった。それは世の中からすれば、まだまだブログやSNSがマイナーで、そのマイナーなものを自分たちがやっているという自負心があったからかもしれません。そのコミュニティ意識はとても大事だったはずですが、あまり重要視されなかった。その後、ブログは一般化し、コミュニティ感がなくなって議論ができなくなった。時代の必然ですけどね。(BLOGOS「『ネットは世の中変えないどころか、むしろ悪くしている』批評家・東浩紀が振り返るネットコミュニティの10年」)

ウェブ2.0のビジョン

ユーザーが自発的に情報を発信し、それが組み合わさったり、整理されたり、編集したり、価値づけられたりするプロセスが、二〇〇〇年代中ごろには広範に見られるようになっていたことを受けて、オライリー・メディアの創業者であるティム・オライリーが、二〇〇四年に「Web2.0」というコンセプトを唱えた。

「2.0」という言い方は、コンピューターソフトウェアのバージョン更新管理のために使われている言い回しに準拠しており、1.0、1.1、1.21、1.3……といったように続くーー2.0は大きな変化を意味している。この語法を応用して、何か大きな進化や変化を語るときに、「○○2.0」や「○○5.0」と示す言い方はいまでも多く、その影響力の大きさを物語る。

では、ウェブ1.0とウェブ2.0の違いは何か。誰もが発信者になれるという意味での個人のエンパワーメント、送り手と受け手といったこれまでの非対称的な垣根がなくなる双方向性、多くのユーザーと共に何かをつくり上げていく参加性……などが、その要素として挙げられる。

これまで述べてきたようなブログやソーシャルブックマークに加えて、二〇〇二年に創業されたFlickrのような写真共有サイト、二〇〇五年に創業されたユーチューブのような動画共有サイトなども、こうしたムーブメントに棹さす存在として称揚された。

二〇〇六年の米「Time」誌が選ぶ”Person of the Year”が「You」であったことも、こうした情報社会の動きを明確にとらえたものだったと考えられるーーこの号の「Time」誌表紙には、「You control the Information Age」と記載されている。

そのようなムーブメントを取り巻く「空気」として、ウェブ2.0は、多くの人が情報発信者になることで世の中の知的水準は上がり、社会的課題への理解や解決に向けた議論は進んで良い世の中になっていくだろうというコンセプトとして機能した。

日本でも、シリコンバレーと日本で活躍するIT企業経営者/コンサルタントである梅田望夫氏の『ウェブ進化論』(二〇〇六)などがよく読まれ、そのようなテーマをめぐってブログなどで盛んなコミュニケーションが展開された。当時は、ブログの中でのコミュニケーションが円熟し世論形成に資するという見方から、「ブロゴスフィア(「ブログ圏」の意)」という言い方もあった。

また、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(通称GLOCOM)も、そのようなビジョン発信に熱心で東浩紀氏を中心とする「ised(情報社会の倫理と設計についての学際的研究)」という研究会は、筆者の贔屓目も入っているかもしれないが、非常に先端的でビジョナリーな議論を展開していた。GLOCOMの所長を務めた公文俊平氏も、「智民」というキーワードを掲げ、情報社会、ウェブ2.0時代に生きる生活者たちのポジティブな一面を理論化していた。

確かにそのころは、経済的な見返りなどとは別に、公共的なコミュニケーション、技術の進歩に資するような話題などが頻繁に交わされていた印象も強い。佐々木裕一氏も、学生との対話の中から「ネット上でコンテンツを発信するのはなぜかといったとき、二〇一〇年ごろまでは『他の誰かのためになるから』といった答えが多かったのですが、一〇年代半ば以降は『広告などで儲けたいからでしょ』という答えが多くなっていきました」と実体験を語っている(二〇一八)。

このころは、ウェブ界隈、そしてそこにいた人々ーーもちろん厳密には、その一部だと言うべきだがーーが、全体的に理想主義の時代/気分を生きていた。そんな熱に浮かされていた(?)一人が、大学生時代の筆者で、そのような議論を熱心に読んで、自分でも時にブログを書いていた。当時はみんなスマホで撮った写真をシェアするというよりも、ラップトップに向き合ってキーボードを叩き、ブログを書いていた時代だったのだ。

はてなダイアリーでは、有名なブロガー(アルファブロガー)の記事も好きだったが、匿名ダイアリーに心を動かされることも多かった。どこの誰なのかはわからないが、そうした「名もなき人々」の文章に心を動かされたり、ハッと驚くような発見をしたりすることも多かった。そんな体験こそが、ウェブ2.0的だったのだと思う。

なお、先述の梅田氏は、その中心地の一つだった「はてなダイアリー」を提供する株式会社はてなの取締役を務めていたという偶然の一致もあった。しかし、はてなダイアリーは二〇一九年春をめどに終了し、後発のブログ・サービス「はてなブログ」と統合されると発表された。筆者にとっては、一つの歴史の章が終わったような感慨がある。

SNS変遷史 「いいね! 」でつながる社会のゆくえ
天野 彬(あまの・あきら)


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