(本記事は、天野 彬の著書『SNS変遷史 「いいね! 」でつながる社会のゆくえ』イースト・プレスの中から一部を抜粋・編集しています)

模倣の理論と投資家の論理

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(画像=Getty Images)

フェイスブックの「いいね!」をめぐっては、こんな逸話がある。資金繰りに悩んでいた初期フェイスブックに投資を行った投資家のピーター・ティールと、彼が学んだルネ・ジラール教授との関係性についてだ。

ピーター・ティールはスタンフォード大学で哲学を学び、その後スタンフォード・ロー・スクールに進学し、一九九二年に法務博士の学位を取得。法律事務所でキャリアをスタートし、金融業界、そしてスタートアップ創業に携わり、世界的なオンライン送金システム「PayPal」の創業メンバーとして活躍したーーここには、前述のLinkedIn創業者のリード・ホフマンも名を連ねている。事業売却後はベンチャーキャピタリストとして活躍し、最初期のフェイスブックにも投資していたーー重要人物として、先ほど紹介した映画『ソーシャル・ネットワーク』にもしっかり登場している。

ルネ・ジラールはフランス出身の文芸批評家で、スタンフォード大学やデューク大学で比較文学の教授を務めた。ミメティック理論(Mimetic Theory)を唱え、模倣によって社会的なコミュニケーションや私たちの欲望・暴力といった根源的な感情の働きが形づくられるという発想をベースに、人類学的・社会学的な理論を樹立した。両者はスタンフォード大学時代に接点があるとされる。ティールは、フェイスブックの成長性を見いだし投資しようと思ったときのことを、「ジラールが、フェイスブックでの早期かつ実りのある投資をするよう勇気づけた」と振り返っている(二〇一六)。

ソーシャルメディアによって、まさにジラール教授の理論が検証されたと感じたようだ。「フェイスブックは最初に口コミで広まったが、それ自体が口コミに関するものなので、二重にジラール理論を思わせる」と。ここにミメーシス(模倣)と、フェイスブックの中核機能である「いいね!」との深い関連性がある。

ジラールによれば、人々は伝染性の模倣を通して欲望の対象を選ぶ。何をしたいか、何が欲しいか、何になりたいか……それらは模倣の力が強く作用する。そして、SNSの時代に生きる私たちにとって、「いいね!」はそれを導く機能なのだ。

SNS時代に生まれた「バズ」現象

ユーザー間でのSNSを通じた情報の拡がり、それを通じた生活者の態度変容やトレンドの発生が起こるようになったころ、「バズ(Buzz)」という概念が注目されるようになる。蜂が飛ぶ際の「ブンブン」の音が原義で、そこから転じて騒音や人々が集まって話すことによるガヤガヤ感を意味する。

これがウェブマーケティング業界で拾われ、ネット上で人々が話題にするものをバズ、そのような現象が起こることをバズるというようになった。バズってると体感できるのは、世の中で何が話題になっているのかがわかる情報アーキテクチャが存在しているからこそだ。

同様の意味で、「バイラル(Viral)」という言葉も使われる。こちらは伝染病が広がるように、話題やアイデアが人づてに拡散していくさまを指しているーー例え方が悪いのではないかと感じるかもしれないが、ネットワーク科学の分野では人々の噂話の広まりやウイルスの感染の拡大はどちらも同じように分析されるので、こう呼ぶことに理はある。

ポイントとして、バズると言ったとき、「短時間」に「大量」の発信や共有が起こることがニュアンスとして含まれている。その密度の濃さこそが、バズを考えるうえでの要諦だ。もちろんゆっくり広がっていくタイプのものもあるが、一般にはあまり念頭に置かれない。どこで起きるか予想しづらいが、起こると一気に大量に降ってくるゲリラ豪雨のうなものだ。長くは続かず残らないというところも似ている。

注意点として、どこからがバズなのかという範囲の線引きが難しいことが挙げられる。例えばZOZOの前澤友作社長が二〇一九年初頭に行った一億円お年玉企画は、それまでのリツイート数世界記録の三五五万を塗り替え五〇〇万近くに迫ったが、そのような超特大のケースを指すこともあれば、かわいい犬の写真が一万リツイートされたようなものを「バズった」と言うこともある。そして、どちらにも違和感はない。

その意味で多義的であるし、バズるという言葉自体がそのような「ゆらぎ」を持っていることは、留意しておく必要がある。

バズをプロモーションや広告コミュニケーションに活用することへの関心も高い。商品やサービスの認知や好意形成においても、SNS経由で高まることが若年層には多いためだ。特に消費財を扱う企業ーー筆頭にくるのは食品や飲料などーーにとっては、話題喚起力のあるバズ現象を望む声も大きい。

ただし、バズってもブランドへの好意につながるかどうかは別問題であるし、企画を立てて綿密に実施したとしても起こるかどうかは確定的ではない。インターネット・サイエンスの領域で著名なダンカン・ワッツ(二〇一二)の考えにのっとるならば、私たちは良いアイデアや面白い施策さえあれば生活者に受け入れられてバズると考えがちだが、それは少々ナイーブなのかもしれない。

例えば森林火災のことを考えてみると、それが燃え広がるか燃え広がらないかは、空気の乾燥具合や雨の有無など、そのときのさまざまな変数やコンディションによっているわけで、誰も「そのきっかけとなった火花がすごかったからだ!」とは考えない。しかしながら、人が起こす社会現象については、みなそのように理由を求めてしまう傾向があるとワッツは指摘する。人々は何か偶然の中に自分が納得できる理由を探してしまう傾向があるのだ。

社会的感染という考え方、模倣の考え方は、前節で取り上げたジラールの主張のように存在する。ただし、アイデアが良ければ、有名人が広げれば……といった単純な話ではない。そのときの他の競合ニュースの状況、情報を受け取る側の状況や気分、世の中全体のコンディションなどなどさまざまな変数が絡む。

SNS活用の三つのM:観察、交流、測定

バズをめぐる熱狂は幾分冷静になってきているようにも思うが、「自然に情報が広まっていく」ことの魔力は私たちを依然として魅了し続けているし、バズがない世界は、それはそれできっと退屈に違いない。

冷静になるために、SNSを活用する際の「三つのM」という定石を紹介しよう。

三つのMを構成するのは、まず「モニタリング(ユーザーの動向や流行を観察すること)」、そして「ミングル(ユーザーと交流すること)」、最後に「メジャリング(測定すること)」だ。筆者としては、モニタリング、そしてミングルの価値をどのようにメジャリングに落とし込むかという視点が大切だと考える。それが抜けたまま、近視眼的な目標設定とメジャリングが行われていないかが大切だろう。

短期的に効率よく情報を広げたいなら、SNSをオーガニックに運用するより広告を出す方が適している。その目的と手段を理解せず、話題化のために過激なことを言ってしまうと、バズではなく、「炎上」がもたらされる。

「炎上」はウェブ上でのバッシングや批判の集中攻撃のことを指す。二〇〇〇年中ごろまではコメントスクラムと呼ばれていたーーブログや記事のコメント欄が荒れることを指しているーーが、SNSの普及などさまざまな場で同時多発的に起こるようになったことなどを受けて炎上という呼び方が定着した。

バズも炎上もどちらもSNS上での話題の拡がりである。互いに表裏ではありつつ、前者は発信者に対してポジティブな評価が残り、後者はネガティブなそれが残る。

あえて炎上させて話題を集めてしまえばいいんだという乱暴な割り切りで、一部「炎上マーケティング」という「戦術」ーー実際には戦術にもなっていないーーがあることは知られている。実際に炎上を繰り返しながら知名度を上げているSNS上のインフルエンサーも確かにいるが、炎上とは敵と味方がはっきりする酷な一面もあり、それまで味方だと思っていた人が自分のことを指弾するようになるなど、「話題になるからお得だ」とは回収しきれない傷が残る可能性もあるーーただし、敵と味方を区別することに効用がある政治の世界ではこうした戦術を巧みに用いる者もいる。

炎上の元凶は、端的に言えば「他者の視線を欠いた自分本位な発信」だ。本当はよく知らないのに知識不足や思い込みで誤謬を撒き散らしたり、客観性を装って自分が得するように誘導したりーー二〇〇〇年代以降、何度か起こった芸能人やインフルエンサーによる「ステルスマーケティング(ステマ)騒動」はこれにあたるーーするために起こる。

それがちょっとしたことであればまだしも、差別や格差などの社会的な正義や公正に反するセンシティブな話題、宗教や政治などの一般的なタブーに触れること、反道徳的な振る舞いや言動をさらすーーバカッターはここに含まれるーーこと、白黒つけにくく、いくらでも論戦できてしまう類の議題に踏み込んで断定的に自説を展開することなどは、「炎上係数」を一気に高めてしまうので要注意だ。

SNS変遷史 「いいね! 」でつながる社会のゆくえ
天野 彬(あまの・あきら)


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