(本記事は、天野 彬の著書『SNS変遷史 「いいね! 」でつながる社会のゆくえ』イースト・プレスの中から一部を抜粋・編集しています)

「情報」量から「コミュニケーション」量へ

インシュアテック,オスカー
(画像=PIXTA)

ライブ配信を重視する菅本氏からわかるのは、いまつながりの質として、時間の量やその密度が重要になってきているということだ。そして、メディアと時間感覚というテーマは奥深く、根源的なものでもある。

時代の流れを読むとしても、今後導入が進むと言われる新たな通信規格5Gの時代には、「つながる」だけでなく、「つながり続ける」ことが広がりを見せていくはずだ。日本でも、ライブ配信をしながら宿題やお化粧をするさまをシェアしたり、(電話代がかからないということも関係していると思うが)布団の中で通話アプリをつなげたまま、会話して寝落ちしたりするということが起こっている。

Housepartyというグループ動画アプリの創業者兼CEOであるベン・ルビンが来日した際にミーティングの場を持ったが、そこでアメリカのティーンも宿題をする時に友達同士でつなぎっぱなしにしているという話をしてくれた。使うときはオン、使わないときはオフといった切り替えをしているわけではない。筆者自身は、用があるときだけオンラインに接続し、そうでないときは切断するという感覚がまだあるので、こうした動きをとても興味深いと感じる。

同様に、筆者が「つながり続ける」時代を予感させるサービスとして期待しているのが、ゲーム実況に特化したライブ配信アプリ「Mirrativ(ミラティブ)」である。このミラティブの興味深さは、ソーシャルネットワークとゲーム配信、アバターを活用した個人のアイデンティティの多様化といった、日本的なカルチャーも視野に収めた深度を有する点にある。

株式会社ミラティブ代表取締役CEOの赤川隼一氏は、そのような実名やソーシャルアイデンティティを公表することなくコミュニケーションするのは、インターネット黎明期から見られてきた日本的な文化形式であると同時に、今後はゲームのような趣味によってつながるプラットフォームが生活者の中でより重要になっていくと観測している。これは筆者が第二章で注目した動きとも連なっている。

そしてミラティブ・ユーザーの利用データを分析していると、動画を見る/見ないというスイッチングを前提にしない動画メディアのあり方が予測されるし、そのような価値観のシフトはまさに「つながり続ける時代」そのものだ。

つながり続ける時代。そこでは、時間あたりの情報量を意味する。”Information” Per Time(IPT)という言い方にならえば、時間あたりのやりとり量を意味する”Interaction” Per Timeが大切になっていくだろう。さらに言えばコミュニケーション量を意味する"Communication" Per Time(CPT)が問われるだろうと予想する。

ネットライブ配信を行うライバーとオーディエンスが常にインタラクションするように、ユーザー同士がつながり合いながらときどき会話し合うように、コミュニケーションをとってゲーム実況を見て楽しんだりするように、単位時間あたりのコミュニケーション=CPTが、その時間の濃密性や盛り上がりを担保するものとしてユーザー側からも求められていくはずだ。

情報拡散の三つのパターン:マス、インフルエンサー、シミュラークル

ここまでの議論を振り返りながら、現代の情報拡散の形を図式的に整理してみよう。

一般的な情報ネットワークモデルとして、図表11のような「中央集権型」「分権型」「分散型」の三つが分類されることが多い。中央集権型は、中央から末端へ。分権型は小さなハブがあちこちにあり、それが小集団を組織して全体の構成を保っている。最後の分散型は、中心はなく、ノードはフラットでそれらがつながり合うことで秩序を生み出している。一九五〇年代、インターネットの仕組みが構想されたころ、ポール・バランによって考案されたモデルだ。

3つのネットワーク型
(画像=SNS変遷史 )

これらを下敷きにしながら、筆者は、いくつかの研究プロジェクトを踏まえて、現代の情報拡散の構造を「マス型」「インフルエンサー型」という三つの分類で考えることを提唱している(図表12)これは発信者の性質に基づく分類である。

伝達型の進展
(画像=SNS変遷史)

テレビや新聞などのマスメディアを情報の発信受信の関係に置き換えると、私たち生活者との間に「1:N」の関係が結ばれると表現できるだろう。一つの強力なオリジナルの情報発信源に対して、数えきれないNとしての受け手の私たちが対置される。これは「マス型」と呼ぼう。社会的な信頼性のあるメディア装置が発信主体となっている。

例えば日々の株価に関する情報、選挙の結果、政治家の発言、災害に関するニュース……など、改編や解釈の入る余地がないような、均一に、かつ多くの人に届かなければならないような情報の伝播がここでは求められている。その意味で、現代でもなお重要性を失わないし、第二章で触れたツイッターの「バルス!」などSNSとの絡みで増幅されるものもある。

次の「インフルエンサー型」は、いろいろなコミュニティの中に存在する情報感度の高いインフルエンサーによってなされるコミュニケーションの形式を指す。発信者と受信者のボリュームは、筆者の考えでは「√N:N」。あるプラットフォームに1億人のユーザーがいるとすれば、おおよそ一万人くらいがそのプラットフォーム上に存在するインフルエンサーであるという理論的な概算を得る。

そして本章で厚めに議論してきた「シミュラークル型」は、明確な発信者、つまりオリジナルとしての情報の起点や発端があるのかよくわからないが、網状に情報がコピーされてトレンドが広がっていくさまを指しており、発信と受信は「N:N」と表記することができる。

この三つの型は単線的に移行するわけではない。私たちはいまでもCMを見てモノが欲しくなるというマス型の欲望/ニーズの喚起を体験するし、インスタグラムでモデルの子が使っていた商品を買いたくなるインフルエンサー型の消費も行っている。そして、シミュラークル型として例示したように、みんながパンケーキの写真を上げていて、それを食べに行くとオシャレになるからという理由でパンケーキを食べに行く。

これらが並行して起こるという意味で、欲望/ニーズの着火点が多様化し、高頻度化しているととらえられる。

情報は「ミドル・アップ・ダウン」で拡散する

二〇世紀のメディア研究をけん引した一人、社会心理学者のポール・ラザーズフェルドは、(マス)コミュニケーションの二段階の流れを仮説として提唱した。その見立ては、テレビや新聞のようなマス情報もオーディエンスに直接到達するのではなく、いったんオピニオンリーダーがその情報を解釈して再波及させることで多くの人に届くようになるというもの。つまり、マスメディアもインフルエンサーと深いつながりを持っているのだ。

これはインターネットが普及した時代に生きる私たちにとってより納得度の高い理論であると同時に、現代ではより多様で細かなコミュニケーションが起こっていることをここに付け加えることができる。

また重要な補足として、このシミュラークル型は強力なモデルではあるものの、時間的プロセスによる変化を考慮しなくてはならない。多くのSNSは広告ビジネスモデルを採用していることから、新しいサービスやプラットフォームが生まれた段階でユーザーの投稿が盛り上がったとしても、そこでユーザーが根付かなければそのままクローズしてしまうリスクに脅かされる。

だからこそ、プロフェッショナルなコンテンツが流入することが重要なのだ。ユーチューブも初めは一般人がホームビデオで撮影したような牧歌的で面白いビデオがメインコンテンツであったが、いまでは音楽業界や映画業界などのエンターテインメント産業をはじめ、さまざまなプレイヤーが参入してプラットフォームを賑やかにしている。インスタグラムもTikTokも、いまでは広告主・ブランドが盛んなコミュニケーションを展開している。

UGCは重要だが、インフルエンサーやメディア企業などさまざまなプレイヤーがコンテンツを生み出し続けるようになる中で、時間的プロセスの推移とともにパワーバランスは変化していく。筆者はここまで述べてきたようなユーザー主導の情報伝達に着目しているが、万能論を唱えたいわけではない。シミュラークルはSNSという場で起こるが、SNSはそれだけに回収しきれない場の力学を持っている。機能・効果の正しいすみ分けと組み合わせを考えることが、ますます重要になっていく。

もう一点「ボリューム」についても補足を加えておく必要がある。マス型はその言葉通りユーザー数を多く抱えているが、インフルエンサー型になると、ジャンルが細分化されるのでそこで届く人の数は減少する。

そして、シミュラークル型になると、SNSをアクティブに利用し自分でも発信するような人がメインとなるため、ビジュアルコミュニケーションによって発信の敷居が下がって発信者の層は分厚くなったとはいえ、一つひとつの発信が及ぶレンジはより絞られたものになることだろう。ただし、それはSNSで自分から発信をするようなユーザーは概して情報感度が高く、周囲への影響力も持っていることの裏返しでもある。ボリュームだけでなく、情報感度の軸でみたとき、そこにはまた異なった評価ポイントが見いだせるようにも思われる。

このような視点に連なるものとして、ダンカン・ワッツも、『偶然の科学』(二〇一二)の中で重要な指摘をしている。彼の主張を要約すると、情報がいかに広がるのかを考えるとき、多様な要因の中で「影響力ある個人」を大きく見積もってしまう錯覚に陥りがちだということだ。

これは人間一般の心理として、さまざまな現象にも見られる出来事だ。例えばある映画がヒットしたとき、私たちは「監督が○○だから」「主演が○○だから」と個人にフォーカスしてしまうが、現実にはそのときの競合作品の状況や他のレジャーとの関連性など、さまざまな要因でその映画のヒットの有無は決定されている。

ダンカン・ワッツは専門とするネットワーク・サイエンスの知見を用いながら、実際には巨大な影響力を持つ一人よりも、ほどほどの影響力を持つ多くの人が発信する情報の方がより拡散することを明らかにしている。

その意味で、マイクロインフルエンサーの方が重要であるというのは、ネットワーク理論からも支持されることのようにも思われる。確率的な視点を持ち、そしてポートフォリオ的にコミュニケーション施策を組み立てていくこと。それは私たちのコミュニケーションが持つ不確定性に根差した真伨な見方でもあるのだ。

そして、バズ/バイラルのような爆発的に波及していくケースだけを想定する必要はない。シミュラークルは、その発生のタイミングも効果が及ぶレンジも予期できないし、効果計測も他の二つの型に比べると難しい側面があるが、仮にたった二〜三人へのシェアであっても、これはコンテンツが人をつなげていることのシグナルであり、人々がつながりを生成しているということを意味する。それはシェアに起因する社会的な価値が生まれていることを立証しているのだ。

メディアは情報を広げる機能を有し、インフルエンサーは情報を深める契機を提供し、シミュラークルによって生活者はそのシェアされた情報をより自分ごと化して受け止める。前述したように、信頼性と信望性の二層構造の関係がここにある。

一部には、マスメディアとインフルエンサー、そしてユーザー発信型の情報とを対立的にとらえる言説もある。しかしここまで述べてきたように、筆者はメディアと個人、マス(放送)とネット(通信)のような表層的な「VS」ではなく、両者が相互に影響を与えながら、互いを補うことで、より多様な情報の選択肢がセットされていくダイナミズムを把握する必要があるととらえている。近年の傾向として、テレビなどのマスメディアがエンターテインメント情報の収集場所として、ユーチューブなどのソーシャルメディアをパトロールする例が増えていることもこのような変化に拍車をかけている。重複領域・協調領域が広がっているのだ。

情報の伝播は、三つの型の複雑な重なり合い、相互嵌入の構造の中で、「トップダウン(上から下)」や「ボトムアップ(下から上)」のような直線的ではない形、すなわち、二つのベクトルを両立し加速させる「ミドル・アップ・ダウン」の関係性の中で広がっているのだ。

SNS変遷史 「いいね! 」でつながる社会のゆくえ
天野 彬(あまの・あきら)


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