(本記事は、高須 克弥氏の著書『全身美容外科医 道なき先にカネはある』講談社の中から一部を抜粋・編集しています)

整形
(画像=PIXTA)

プチ整形の始まり

マイアミ近郊の学会において、鼻へのヒアルロン酸注入は「すごくいいアイデアだ」と評価されました。ただし、欧米人にはまったく需要がない。そこで、日本に戻ってからヒアルロン酸注入で鼻を高くする治療を始めたのです。

それが、プチ整形の始まりでした。

もちろん、いまでもシリコンプロテーゼによる隆鼻術を行っています。しかし、治療を受けた当人は喜んでも、家族から「それは不自然。高すぎるよ」という不満の声が出ることがあります。そこで、「では、自然にしてあげましょう」と修整しても、今度は「全然代わり映えしないじゃない、これだと低すぎるんじゃないか」と納得してもらえない。何度も手術するわけにはいきませんし、医者としては厄介な面もあります。

一方、プチ整形は気楽です。「これでは高すぎる」という不満の声が出ても、しばらく待っていると徐々に低くなってきます。「これでは足らない」となれば、もう1本打ってあげると倍高くなる。また、ヒアルロン酸を溶かす薬も開発されています。ヒアルロニダーゼという分解酵素があり、これを鼻に注射すると30分以内にヒアルロン酸がすべて溶けて術前の鼻に戻ります。しかも、リスクもほとんどありません。

ヒアルロン酸はここ数十年の中でも飛び抜けて画期的な医療材料です。もちろん、開発された当初は問題点もありました。ヒアルロン酸は時間の経過とともに吸収されますが、ボリュームを出そうとすると、鼻が横に広がり、不自然さを出してしまうのです。ですから、プチ整形のコツは控え目に行うことなのですが、未熟な医者が行うと、太い鼻ができあがってしまいました。

そこで、崩れて広がってしまうという欠点は、ヒアルロン酸の硬度を上げて吸収しにくくすることで解決できるはずだと考え、医療メーカーと改善に努め、問題点を改良することに成功したんです。

かまぼこが大金に化けた

ヒアルロン酸注入による美容整形は鼻だけではありません。僕がまず考えたのは鼻ですが、同時に、豊胸にも使えるのではないかと考えました。むしろ、僕にとってはこちらが本命でした。そこで、豊胸用のヒアルロン酸をつくったのですが、残念ながらこちらはそれほどブレイクしませんでした。

豊胸の場合、ヒアルロン酸をたくさん打つ必要があるので、費用がものすごくかかるという問題がありました。プチ整形の利用者の多くは若い人たちですから、この方法には向いていませんでした。一方で、お金持ちの方は永久に持続するように手術を好みます。海外に目を向けても、需要はありません。結局、豊胸用のヒアルロン酸の生産は途中でやめてしまいました。

僕の行動基準は面白いか面白くないか。いい儲け話を持ち込まれても、面白くなければ乗りません。反対に、面白い話であれば、リスクを考えず簡単に乗ってしまうし、ときには痛い思いをすることもありました。ヒアルロン酸の場合、後者でした。

「Q-Med」は当時は小さな工場で、それこそ家内制手工業のような形でヒアルロン酸をつくっていました。しかし、僕は「将来的に大マーケットになる」という確信があり、世界的企業に育てるべく多額の出資をして、協力も惜しみませんでした。

ヒアルロン酸の材料のひとつはたんぱく質です。この材料の調達も僕が日本で行いました。材料となったのはあの、「かまぼこ」の素です。これを元にしてバイオ技術でヒアルロン酸をつくりました。かまぼこが大金に化けたわけです。

僕の読みは当たりました。気づけば、「Q-Med」は国際的な大企業になっていました。これで僕も億万長者かと思いましたが、オギュラップはしたたかでした。僕に内緒でこっそり大増資をして、いつのまにか僕の株式の持ち分は10分の1から何千分の1になっていました。そして、相談することもなく「Q-Med」をアメリカの企業に売却してしまった。

「Q-Med」の新たな経営陣から「あなたの株はこの値段で買い取ります」という連絡がありましたが、買ったときの値段と変わりませんでした。僕は怒って彼らと争いましたが、そのうちに円がドンドン上がってしまい、このままだとすべてなくなってしまう勢いでした。そこで結局、スウェーデンの通貨であるクローナの口座をクローズして、ある程度取り返しましたが、いま考えても大損害でした。ちなみに、僕を裏切ったオギュラップはハッピーリタイアメントで大富豪になって、どこかで暮らしているそうです。

「プチ整形」誕生秘話

さて、いまでは当たり前のように使われているプチ整形という名称ですが、その命名者は僕です。

そこに至るまでには紆余曲折がありました。ヒアルロン酸による美容整形を始めたとき、すぐにできることから、最初は「インスタント整形」と命名しました。ところが、患者はそれほど増えませんでした。次に「バーチャル整形」と命名しましたが、これもイマイチでした。その後、「立体メイク」という名前にしましたが、やっぱりダメ。いろいろと考えていて、『女性セブン』の取材を受けたときに、思いつきで「プチ整形です!」と言ってみたんです。

結果的に、これが功を奏しました。同誌の記事では、ヒアルロン酸注入をはじめ、メスを使わない若返り治療を「プチ整形」として特集していましたが、その反響は大きく、ヒアルロン酸注入やボトックス注射のみならず、従来からあったクイック式二重術などがプチ整形として一気に広がりました。

プチ整形という、手軽そうでかわいらしい言葉の響きが世の女性の心をつかんだのでしょう。結局、この言葉はあっという間に浸透し、流行語にもなりました。いまでも「商標登録しとくべきだったなぁ」と思うことがあります。

ネーミングの難しさ

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(画像=everything possible/Shutterstock.com)

ビジネスにおいて、ネーミングは本当に大事です。同じ技術でもネーミングのセンスひとつで化けることもあれば化けないこともあります。シミやシワ、たるみを治したい。こうした老化現象を治したい人にとっては、フェイスリフトも有効です。

その技術のひとつに金の糸を使った若返り方法があります。これは古代エジプト時代から高い美肌効果で知られる純金の糸を皮膚に埋め込むことで、コラーゲンや毛細血管の再生を促進させ、老化した肌にツヤと血色を取り戻すというものです。

治療には極細の針を使用して、改善したい部分の真皮と皮下に、純金の糸を通していきます。糸の埋め込みは顔だけでなく、年齢が現れやすい首などにも可能で、コラーゲン注射と同等の効果を得られます。

この「金の糸治療」を日本で最初に受けたのも僕です。この技術は昔から行われていたものであり、僕が発明したわけではありませんが、名前だけはおさえておこうと思い、「ゴールデンリフト」と名付けて商標登録しました。ところが、こちらの期待とは裏腹に、まったく流行りませんでした。

ロシアの医者が開発し、その医者から技術を伝授された切らないフェイスリフト術をロシアンリフトとして商標登録したこともあります。しかし、これもダメ。イタリア発のリフティング技術をイタリアンリフトとして商標登録しましたが、これまた不発でした。ネーミングは難しいものですが、どれも若い人には言葉の響きがイマイチだったのだと思います。

個人的にはプチ整形という言葉は、どこか貧乏たらしい感じがします。ただ、若い人には受けました。正直なことを言うと、僕は同年代の方と一緒にいるほうが言葉も通じるし、フィーリングがわかるので心地よい。しかし、それだと時代に遅れてしまうので、積極的にSNSなどで若者と交流しています。

僕はSNSを取り入れたことで、普段接する機会のない世代の人とも交流が持てましたし、彼らの文化や感覚も知ることができました。若者の言葉の使い方を覚えると彼らのフィーリングもわかります。時代感というものは、やはりその時代の若い人と接していないと身につかないと思います。暇で孤独を感じているような高齢者こそ、SNSのようなものを取り入れたほうがいいでしょう。絶対に新しい友人ができますし、何より時代に取り残されずに済みます。

美容外科史の歴史的分岐点

日本の美容外科史において、プチ整形は歴史的分岐点といえるかもしれません。まず、「メスで切るのは怖い、縫うのも怖い、腫れるのも嫌だ」「傷跡が残るのは絶対に嫌だ」という意識がきわめて強く、「こっそり美しくなりたい」「整形したと周囲にバレずに、しかも自然に若返りたい」という日本人の特性や希望にピタッとはまりました。

そして、「簡単に元に戻せる」というセーフティネットができたことで一般の人も挑戦しやすくなり、その結果、「美容整形=特別な人がやる大手術」からメイクやファッションの延長で誰もが気軽に体験できるものになりました。

プチ整形ブームはアジアに飛び火しました。「鼻を高くしたい」という需要のない欧米には飛び火しませんでしたが、とりわけ東南アジアの国々で人気を博しています。学会に参加するためにアジア各国に行く機会もありますが、「プチ整形は僕が始めたんだよ」と明かすと、みんな驚いています。

同じアジアでも、中国人はプチ整形があまり好きではありません。彼女たちは永久に持続するような整形手術を好みます。韓国も日本ほどのブームにはなっていません。鼻の手術にしても、男女問わずシリコンプロテーゼを入れるほうが主流です。

美容外科の黎明期、ホステスや芸能人がさらに美しくなるために手術をしました。しかし、手術は怖いという日本人は多い。そこで、メスで切らずにシリコンなどを注入することで鼻を高くする方法が広まりました。さらに90年代に入ると、ヒアルロン酸注入やボトックス注射、レーザー照射などによる若返りの治療が出てきました。2000年代はその流れが加速し、現在に至っています。

現在、美容外科の現場は注入やレーザーの技術がどんどん進化して、ますますメスで切らない方法に向かっています。その意味では、いまはプチ整形の時代といえるかもしれません。

しかし本音を言うと、やっぱりプチ整形が好きではありません。プチ整形の生みの親でありながら、高須クリニックにおいてプチ整形の患者は少数派です。というのも、超音波治療にしろ、レーザー治療にしろ、ヒアルロン酸注入やボトックス注射にしろ、手術のできない美容皮膚科医でもできる治療です。やはり僕は美容外科医であり、メスを使った手術こそ自分の仕事だという思いが強いのです。

さらに言えば、僕はプチ整形の患者も好きではありません。実際、若い患者を診ないようにしています。理由は僕の美の基準や美的感覚とズレているからです。一方、お金持ちの奥様方とは心がひとつです。僕は吉永小百合さんと同い年ですから、その世代の人たちは僕が美しいと思っているものを「美しい」と感じてくれます。美容外科というものは、医者と患者の心がひとつになってこそいい作品をつくれるのです。

全身美容外科医 道なき先にカネはあるび
高須 克弥
1945年1月、愛知県生まれ。日本の美容外科医。医学博士(昭和大学、1973年)。美容外科「高須クリニック」院長。東海高校、昭和大学医学部卒業。同大学院医学研究科博士課程修了。大学院在学中から海外へ(イタリアやドイツ)研修に行き、最新の美容外科技術を学ぶ。「脂肪吸引手術」を日本に紹介し普及させた。「プチ整形」の生みの親でもある。紺綬褒章を受章。近著には『炎上上等』『大炎上』(ともに扶桑社新書)などがある。

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