(本記事は、高須 克弥氏の著書『全身美容外科医 道なき先にカネはある』講談社の中から一部を抜粋・編集しています)

医者
(画像=PIXTA)

「売名行為」は悪い医者か?

僕のビジネスモデルにとって、広告はいまも昔も欠かせないツールです。そもそも、医療の世界で広告を活用したのは僕が元祖です。もともと医者にとって、広告は望ましいことではないとされ、「露出を高めるのは売名行為であり、悪い医者だ」という考えが蔓延していました。それゆえ、医療広告は基本的に医者の名前と診療科目と所在地くらいしか出してはいけなかったのです。

しかし当たり前のことですが、車にしてもスマホにしても宣伝をしなければ売れません。それは自由診療である美容医療も同様であり、広告とは思われない感じのタイアップ記事を、当時勢いのあった週刊誌に書いてもらうことにしたのです。

いま、美容外科医がテレビCMにたくさん出ていますが、その元祖も僕です。しかし、以前は医者がCMに出ることすら禁じられていました。とはいえ、医師本人がCM出演してはいけないという法律があるわけではありません。テレビ局が自主規制して、本人の映像を出さないようにしていただけでした。テレビ局は免許制なので、基本的に横並びで、トラブルを恐れて新しいことをしない体質なのです。

だから僕はそんな風習を打破してやろうと考えました。もともと僕が出演するCMを実験的に制作していましたが、テレビ局に「僕の顔を出すCMを出稿する」と伝えても、審査ではねられてしまいました。そんな折、深夜枠の歌番組を協賛してほしいという依頼がきました。協賛を依頼してきた会社はCMを含め、すべてそのまま放送できる形でつくるというので、どさくさに紛れてそのCMを放り込むことにしたのです。一応、番組の一部ということにしているのですが、どう見てもCMです。キー局では流れていませんでしたが、その系列である全国の20局以上のローカル局でオンエアされました。

こうして既成事実をつくってから、テレビ局に「僕の顔を出すCMを出稿したい」と再度伝えました。しかし、反応は「こんなもの流せるわけがないじゃないですか」というものでした。テレビ局にはCMを審査する部門があり、そこの社員はプライドが高いんです。そこで、僕は小バカにしたような態度の社員にこう言いました。

「いや、あなたの会社の系列局ですでに流れていますよ。深夜にやっていますから見てください」

すると翌日、トーンダウンした声で連絡がありました。プライドの高い彼らは自分の非を認めません。でも、テレビ局としては、過去にチェックをしなかったミスを認めたくない。結局、誰も責任を取りたくないものだから、審査をパスさせてくれました。以来、なし崩しで他局も流せるようになり、ほかの美容外科クリニックも僕の真似をしてテレビCMを始めたのです。

日本人は子供の頃から「あれをしてはいけない。これをしてはダメだ」という教育を受けているので、枠からはみ出すことを嫌い、「ダメだ」と言われると簡単に引き下がってしまいます。しかし、僕は納得するまで引き下がりません。CMの件のように、ダメだという根拠がいい加減だったり、単なる慣習だったりすることもあります。しかも、一度壁を突破してしまうと、どんどんいろいろなものが崩れていくことが多いので、簡単に引き下がるのはもったいないことです。

なんでも下品にやるべき

このCMをきっかけに、高須クリニックだけではなく、美容外科自体の知名度も上がり、一般的な診療として普及していきました。テレビにしろ、雑誌にしろ、露出する目的は「顔を売る」ことです。実は件くだんのCMの前に「ステーキのあさくま」という会社のCMに高須クリニックの院長として出演して、「ステーキは僕の活力の源です」なんて宣伝していたこともあります。実はこれ、僕が制作費やら何から何まで資金を出していました。とにかく顔を出すことが重要なんです。テレビ番組や雑誌の場合、継続して露出するのは面倒ですが、CMは自動的に毎週流れるので非常に優秀な宣伝ツールだと思います。

CMを制作する際、広告代理店にすべて任せる人もいるようですが、僕は正反対のタイプでかなり口を出します。理由はプロであるCM制作会社にしても、大事なことを見誤っていることがあるためです。CMにおいて何よりも大事なことは、広告塔である僕が十分に露出して、なおかつ視聴者が僕を認識してくれること。

ところが、多くの人は企業イメージなどフワッとしたものを考えます。

「クリニック名を連呼するだけのCMは陳腐だ」

こう言い放った議員がいましたが、連呼することが正解なんです。一番しっかりできているのは、ピコ太郎と共演したCMです。僕の存在感があって、クリニック名を連呼してくれれば、それだけでいいんです。

医者として立派に見られたいという人に限って、やたら上品につくろうとしますが、顔を覚えてもらうためには下品につくるのがコツです。上品は功成り名を遂げた人がやる作業であり、これから成り上がりたい人は、何でも下品にやるべきです。下品にやっているときはパワーがあるとき。上品になると、その企業は徐々に下降していきます。

これは子供時代の経験から学んだことでもあります。田舎の旧家である高須家は上品にやってきて没落した家です。一方、周囲を見ると、パチンコ店の経営で成功した人や土地転がしで成り上がった人などは見るからに下品でしたが、パワーがありました。上品ぶっている人に限って彼らをバカにしていましたが、バカにされようが何されようが、経済力を持っている人が勝ちです。

「クイック式二重術」ブーム

女性
(画像=PIXTA)

高須クリニックを一大ブランドに発展させたのが包茎手術とすれば、美容外科ブームのきっかけになったのは、メスで切らない二重まぶた術である「クイック式二重術」です。もちろん、僕が考案しました。

人間の顔の中で対面した相手に一番印象を与えるパーツはやはり目です。目がパッチリと大きく美しい人は、それだけで他人に好印象をもたれます。ところが、現実には日本人の目は小さくて一重の人が多く、「二重まぶたにしたい」と希望する人のために、昔から二重まぶたをつくるためのさまざまな手術法が試みられていました。

その歴史の中で、好ましくない手術法は自然に淘汰されていき、最終的に残ったのが切開法と、メスで切らない二重まぶた術である埋没法でした。

切開法は、二重にしようと思うヒダの予定線を切開して、中の脂肪を切り取り、二重の線をつくって縫いあげる方法です。手術時間は約30分。1週間後に抜糸の必要があり、その後しばらく切開した線が、まぶたを閉じたときに一本の線になって残ります。これが目立たなくなるのは数ヵ月後。まぶたにかなり脂肪のついた人向きの手術でした。

一方の埋没法は、髪の毛並みの細い特殊な糸を使って、まぶたの裏側から二重まぶたのヒダをつくりたい線に沿って2ヵ所留めるだけ。施術時間は、両目合わせてわずか10分。傷跡が残らず、抜糸の必要もない。こちらはまぶたの脂肪が少ない人向きでした。

患者にとってはメスで切らない手術のほうが安心でしょう。しかし、切開法はもちろん、従来の埋没法にしても、血管の豊富な部分に糸をかけなければ二重がつくれない手術でした。そのため腫れやすく、手術後一週間は化粧できないなどの注意が必要でした。

そこで、この腫れを防ぐための研究を重ね、問題を解決することに成功しました。僕は従来の方法よりずっと血管の少ないところを選んで手術をしても、二重ができるということを発見。まぶたの裏の瞼けん板ばんという軟骨みたいな板に操作を加えて、瞼板とまぶたの皮膚に細いナイロン糸で癒着を起こさせることにしました。これによって皮膚の表面に筋ができ、二重になるのです。しかも、この作業を一本の糸で行いました。

完成された技術は受け継がれる

これが高須式埋没法「クイック式二重術」です。それまでメスで切る二重まぶた術など手間暇かかる手術を何度も経験し、そこから無駄なものをそぎ落としていき、この形にたどり着きました。医者の中には簡単にできるものをわざわざ複雑にしたがる人もいますが、シンプルなほうがいいに決まっています。

この方法は、傷跡がまったく残りませんし、仕上がりも自然です。また、強力な効果のある最新の麻酔剤を使用したことで術中の痛みは皆無になり、新たに開発された点眼麻酔剤を使用することでまぶたの裏への注射も不要になりました。さらに、手術中に使用される糸や針にしても腫れが出ないように特殊なものをメーカーに開発させました。その結果、腫れは劇的になくなり、手術当日から洗顔もシャワーも可能になりました。

高須クリニックでは、1988年の暮れからクイック式二重術による治療を始めましたが、まだメスを使ったハードな美容外科手術が主流の時代でしたから、これまた患者が殺到しました。僕はこの技術を『〝クイック整形〟ならたったの10分 美容整形してみようかな』という本にまとめました。僕よりも前の時代の先生方は、優れた技術を持っていましたが、こうしたマニュアルみたいなものを残していませんでした。そこで、僕がマニュアル化して、その技術を広く伝えることにしたのです。

高須式埋没法「クイック式二重術」は、現在主流になっている切らない美容整形の先駆けであり、いまでも二重まぶた手術においてポピュラーなやり方です。本当に優れた技術、完成された技術というのは、時代が変わっても受け継がれていくものです。

また、美容外科が少しでも一般の人に身近なものになってほしいという思いで、メスを使わない手術を「クイック整形」と名づけました。これはのちに「プチ整形」という造語につながります。

全身美容外科医 道なき先にカネはあるび
高須 克弥
1945年1月、愛知県生まれ。日本の美容外科医。医学博士(昭和大学、1973年)。美容外科「高須クリニック」院長。東海高校、昭和大学医学部卒業。同大学院医学研究科博士課程修了。大学院在学中から海外へ(イタリアやドイツ)研修に行き、最新の美容外科技術を学ぶ。「脂肪吸引手術」を日本に紹介し普及させた。「プチ整形」の生みの親でもある。紺綬褒章を受章。近著には『炎上上等』『大炎上』(ともに扶桑社新書)などがある。

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