(本記事は、高田 敦史の著書『会社を50代で辞めて勝つ! 「終わった人」にならないための45のルール』集英社の中から一部を抜粋・編集しています)

心得1

○ 辞められる人は、40代までに自分の専門分野が固まっている

× 辞められない人は、社内事情には詳しいが専門分野を持っていない

出勤
(画像=PIXTA)

「専門分野を持ったエキスパート」たれ。これが一つ目の心得だ。

ただし、「専門分野しか分からない」で通用するのは、技術系の研究者のような人だけだ。その点は気をつけたい。

企業に勤める大きなメリットは個人だけではできない様々な分野の経験ができることだ。若い時に多種多様な仕事を経験し、30代半ばぐらいからは専門領域で実績を上げ、40代後半からはその領域のマネジメント的立場で組織の指揮、運営を行っているというのが一つの理想像だ。

つまり、ジェネラリスト的要素を兼ね備えたエキスパートが望ましい。これは私自身の反省も踏まえたアドバイスだ。私の場合はトヨタでの経験がマーケティング分野、特に広告宣伝やブランディングに偏りすぎている。営業や事業計画の知識があれば、今のビジネスの幅をもう少し広げることができたのではと日々感じているからだ。

日本の会社、特に文科系はジェネラリスト志向が強い。入社以来、多数の部署を経験し、社内に多くの人脈を持っているような人材が望ましいとされる。日本の労働市場の流動性がこれまでずっと低かった理由もここにある。

大企業の元役員が顧問派遣会社に登録しても、販路紹介のような仕事しか来ないので辞めてしまったという話をよく耳にする。従来型の企業で偉くなった人が、一歩外に出たら商品価値があまりないというのはよくある話だ。ある派遣会社の方いわく、中途半端な元役員より、専門知識のある部長や課長クラスの方が圧倒的にニーズがあるとのことだった。

とはいえ、社内で全く出世を目指さなくてもいいかというとそうでもない。

出世競争だけに貪欲になる必要はないが「いずれ独立するのだから、出世する必要はない」と考えるのも間違いだ。ポストが上がれば責任のある仕事が回ってくるし、人脈も広がる。会社員時代のタイトルは独立後もずっとついて回る。

要は、単に「出世したい」ではなく「将来は〇〇分野のプロになり、部長職までは行きたい」といったプランを自身で考え、上司や人事にそのプランに沿った相談をすればいいのだ。トヨタにいた時、私は毎年提出する自己申告書に「将来はマーケティング分野の部長として活躍したい」と記入していたし、会社はそれに応えてくれた。

前にも書いたが、最近の日本企業は均質で汎用性のある社員を育てる「メンバーシップ型」から、個人の専門性を重視する「ジョブ型」にシフトしてきている。これからは自身のキャリアプランを積極的に聞いてくれる会社も多くなるはずだ。

心得2

○ 辞められる人は「会社からノウハウを盗む」と考える

× 辞められない人は「仕事はお金のため」と割り切る

仕事,業績アップ,効率化
(画像= Panumas Yanuthai/Shutterstock.com)

相撲の世界では「土俵の下には金が埋まっている」というが、どんな会社にも独自のノウハウが埋まっている。自分の会社の財産を仕事を通じて盗まないのはもったいない。

時間外に自分の判断で仕事をするのも自己投資の一部だ。ワークライフバランスも大事だが、自身の財産になるのであれば「ワーク」の意味も違ってくるだろう。「仕事はお金のため」と割り切って会社で得られるノウハウを軽視するタイプの人は独立して成功するのは難しいと思う。

私はトヨタから本当に多くのことを学んだ。広告宣伝における実務は書き切れないほどある。また、本質的な思考方法は商品企画部時代に学んだことが大きい。

当時の商品企画部では調査結果をいろいろな角度から分析、議論を重ねる「左脳的思考」と、いつもマーケットトレンドを敏感に感じてヒラメキを待つ「右脳的思考」の両面を勉強させてもらった。

独立後、数多くの企業から仕事の依頼をいただいているが、トヨタでの経験に基づいた分析資料は喜ばれ、高い評価をいただけることが多い。

私の後輩でトヨタのノウハウをビジネス化して成功している浅田すぐるさんという方がいる。私より20歳ほど若いので直接の面識はないが、『トヨタで学んだ「紙一枚!」にまとめる技術』というベストセラー本の著者で、企業研修やコンサルティングでも活躍されている。「紙一枚にまとめるための技術」そのものは浅田さんご自身がつくられたものだが、その背景には、浅田さんがトヨタで学ばれた思考方法や社内説明の技術があることが分かる。先輩社員の仕事の進め方やつくった資料をご自身で調べ上げて身につけたノウハウを「見える化」した努力は相当なものだと感心した。

生きた教材が目の前にあるのにそれを盗まないのはもったいない。どんな会社も市場価値があるからこそ企業として存続しているわけで、学ぶべきことが一つもないような会社はないと思う。大企業や新進気鋭のベンチャー企業だけでなく、古くから続いている一見地味な会社にも学べることはあると思う。ただし、本当に何も学ぶものがない、または自分が独立したい方向とは違うノウハウしかないと感じるのであれば、思い切って会社を変わるという選択もありだろう。

心得3

○ 辞められる人は、オフタイムでも専門分野の勉強は欠かさない

× 辞められない人は、年を取ってまで勉強したくないと考える

ノルウェー出身のスーパーエリートが世界で学んで選び抜いた王道の勉強法
(画像=SFIO /Shutterstock.com)

自身の商品価値を上げるためには、自ら進んで勉強することが絶対に必要だ。

私がマーケティングを学ぶきっかけになったのは商品企画部時代に会社が用意してくれたゼミ活動なのだが、それがきっかけとなって自分なりにマーケティング関係の書籍を読むようになった。ネット記事ももちろん役に立つが、自身のバイブル的な本を一冊は持っていた方がいい。私の場合は有斐閣の『現代マーケティング』(嶋口充輝、石井淳蔵著)で、マーケティングの入門書として必要にして十分な内容が網羅されている。最新の書籍やネットの情報をチェックしつつ、バイブル的な本をときどき読み返すことでまた新しい発見がある。

フリーランスになってから仕事をする相手は一般のビジネスマンがほとんどだ。求められるのはかっこいい横文字の連発ではなく、基本的なことを分かりやすく伝えることだ。その上で、最新の情報を教えてあげるとさらに喜んでもらえる。

ビジネススクールに通うのも一案だ。日本のビジネススクールは欧米と違ってそれ自体がキャリアアップにつながるものではないが、本で読んだことを確認し、論文を書くことを通してより深い知識を身につけることができるし、幅広い年齢層の人間が集まって利害関係のない議論を行うことで、異業種の情報を深く知る機会にもなる。

異業種交流会のような集まりにも一度は行ってみるといいだろう。いわゆる「意識高い系」の人が集まって表面的な人脈を広げていく場という感じがしないでもないが、少なくとも知り合いは増えるし、同じような独立志向を持つ人と出会う可能性もある。

心得4

○ 辞められる人は、自腹を切っていろいろな人と会う

× 辞められない人は、知らない人と会うのは苦手で躊躇する

やりたいことを全部やれる人の仕事術,岡田充弘

人脈というのは、自然にできるものではない。時には自腹を切って会食等の機会を設けよう。そして、その際に重要なのは「もう一度会いたい」と思ってもらうことだ。

「髙田さんは人脈が広いですね」とよく言われるが、知り合いの絶対数は特段多いわけではない。それなりの企業に勤めていると、たいていの人に一度は会ってもらえる。しかし、その出会いが「人脈」になるかどうかは自分次第だ。相手の方から一方的に何かを得るだけではダメだ。こちらからも相手に何かプラスになるものを与えられなければ二度目はないと思った方がいいだろう。

この「相手のプラスになること」とは何だろう。

「この人と話していると勉強になる」「この人に聞けば、いつも新しい情報が手に入る」と思われればもちろん素晴らしいことだが、それほどまでにレベルの高い人間にはなかなかなれない。また、自分の知識ばかりをひけらかす人はむしろ嫌われる。

「この人と会ってると面白いな」と思ってもらう程度を目指そう。それならそれほどハードルは高くない。その点で言えば趣味の広い人というのは人脈づくりには有利だ。相手の趣味を聞き出して、あなたの友人の中から同じ趣味の人を紹介して一緒に会うのもいいだろう。私の場合は、小学生時代から漫才師になりたいと本気で考えていたほどなので、人を笑わせるのは得意だ。単に「楽しかったですね、また会いましょう」でもいいではないか。

フェイスブックのようなSNSも積極的に活用したい。ただし、SNSは人脈を広げるというよりも維持するツールだと考えた方がいい。年中挨拶を交わし合っているようなものなので、長らく会っていなくても気軽に連絡が取れるのはありがたい。SNSの浅くて広い人脈も、それなりには役に立つ。

会社を50代で辞めて勝つ! 「終わった人」にならないための45のルール
高田 敦史(たかだ・あつし)
A.T.Marketing Solution代表。Visolab株式会社Chief Marketing Officer。一般社団法人ブランド・マネージャー認定協会アドバイザー。広島修道大学非常勤講師。1961年生まれ。一橋大学商学部卒業。1985年にトヨタ自動車に入社後、宣伝部、商品企画部、海外駐在(タイ、シンガポール)等を経て、2008年に宣伝部の分社化プロジェクト「Toyota Marketing Japan」を担当し、Marketing Directorに就任。2012年からトヨタ自動車に戻り、Lexus Brand Management部長として、レクサスのグローバルブランディング活動を担当。レクサス初のグローバル統一広告の実施、カフェレストラン「Intersect BY LEXUS」の東京、ニューヨーク、ドバイでの出店等、各種施策を主導。2016年にトヨタ自動車を退社。個人事業主となる(屋号:A.T.Marketing Solution)。独立後はブランディング領域を中心としたコンサルティング業務、ベンチャー企業のアドバイザー、講演活動等を行うとともに、2018年には経済産業省が行う「産地ブランディング活動(Local Creator’s Market)」のプロデューサーを務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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