(本記事は、高田 敦史の著書『会社を50代で辞めて勝つ! 「終わった人」にならないための45のルール』集英社の中から一部を抜粋・編集しています)

会社に残って「終わった人」になってもいいか?

仕事がなくなる
(画像=fizkes/Shutterstock.com)

60歳以降も会社に残り続けるメリットはもちろんある。最大のメリットは「安定」だ。収入面での安定感、安心感は間違いなくある。また、名前の知れた大企業に勤めていれば、世間体も保てるだろう。しかし安定と引き換えに失うものも多い。

ある人事関係の専門家が大変厳しいことを話していた。いわく「再雇用制度の場合は正社員ではなくなり、給与が半減するので多少仕事ぶりが悪くても我慢しようと思えたが、今後65歳まで定年が延長され、正社員として働いてもらう場合は、ちゃんと成果を出してもらわないと困る」と。問題は、どんな成果を求められるかである。

彼によれば、大所高所からのアドバイスなんかいらないから、仕事を選ばずにやってほしい。場合によっては(今までは年長者ということで遠慮して頼めなかった)書類のファイリングのような単純作業も素直にやってもらわないと困るとのことだ。デジタル化が年々進行する中で、ITツールが苦手な人には、特に厳しい状況が待っているだろう。

政府の要請もあって高齢者を雇いつづけるコストが増大すると、そのしわ寄せは間違いなく若い社員にいく。今後、若年社員が高齢社員に向ける目は、さらに厳しくなるだろう。日本経済の成熟化により企業の昇格率は低下し、かつてなら部長になれたレベルの人が課長止まり、課長になれた人が係長止まりになるケースが増えている。

「なんであんな人が部長になって高い給料をもらっているんだ!」と思っている人が今でさえ大勢いるからだ。

そんな中で、60歳以降で再雇用された高齢社員の中には辛い経験をしている人も多い。張り切って仕事を手伝うと疎まれる。逆に大人しくしていると「給料泥棒」と陰口をたたかれる。高齢社員に与える仕事を探すのに、年下の上司が四苦八苦しているという笑えない状況も日常的に起こっている。

ベテラン人材の活用を謳ってみても他に代え難いユニークなスキルを持っている人などそう多くはない。同じ仕事なら知識や経験を積み始めた若手や中堅に任せた方が将来の会社のためになる。ましてや、往々にして高齢社員がやってしまいがちな大所高所からの〝ご意見〟など、忙しい現場にしてみれば勘弁してほしいというのが本音なのだ。

現在は人手不足と言われているが、今後デジタル化が更に進むと人余りの時代が必ず来る。そうなるといつまでも会社に居座る高齢者は迷惑なのだ。同じ給料を支払うならもっと使いやすい若手社員を雇いたいと誰もが思っている。

1970年代までは55歳定年が主流だった。その後、平均寿命が延びるにしたがって60歳定年になり、将来は65歳定年になっていくだろう。しかし、定年延長は常に政府の要請や法律の改訂によって行われてきたことであり、企業が進んでやったのではない。今でも会社の本音は(1970年代までと同じ)55歳で辞めてほしいと思っている。その証拠に、多くの企業には早期退職奨励制度がありセカンドキャリア研修などを積極的に行っているではないか。

そんな環境の中で、サラリーマン人生の終盤戦を会社にぶら下がって過ごすには、よほど割り切るか、鈍感でないと耐えられない。少なくとも私はそう思った。それなりに実績を残したという自負があれば「晩節を汚す」という言葉も頭をよぎるではないか。

50代前半は仕事人としてのピークだ(後は、下り坂が待っている)

50代半ばで責任ある役職を離れると、仕事人としての商品価値は年々落ちていく。残念ながらこれが真実だ。最近まで責任ある立場で現場を仕切っていた人と、役職を離れて長らく閑職にいた人のどちらに仕事をお願いしたいか?答えは聞くまでもないだろう。

50代の前半は仕事人としての経験、知識、人脈が最も蓄積されたピークである。その後数年間も現場を離れてしまうと、情報が来なくなるだけでなく、使える人脈も 徐々に狭くなる。気心の知れた同世代の人間も同じように現場を離れてしまうからだ。

若い時にはいろいろな職場、仕事を経験し、30代から40代前半では自身の強みを生かして実績を上げ、40代後半からはマネジメントの立場で組織の指揮、運営や部下の育成を行う。人によって差はあるとは思うが、そのような会社生活を送ってきた方は多いと思う。

最近の若者はもっと早く結果を求める人が多いようだが、経験の蓄積から様々な引き出しを持つことができるのはサラリーマンのよいところである。

一方で、50代は「追われる立場」でもある。同じ会社にいる以上、似たような経験、ノウハウを持った人間が後ろに控えているからだ。後は、役職定年で権限がなくなり、再雇用で「終わった人間」になっていくのだ。

会社生活を通じて積み上げた自身の価値をその後の人生でどう生かすかを考えた時、50代の半ばが人生の分岐点となる。会社に残って下り坂の毎日を過ごすのか、外に出て、新たなステージを探すのかを考える時である。

役員になれば話は別だが、役員というのは仕事の能力だけでなれるものではない。運に恵まれ、権力者への忖度にも腐心しなければならない。若い時には優秀だった人が、役員昇格が見えてきたら上しか見ないヒラメ部長になるという話はどこの会社にもあるはずだ。しかし、そこまでしても役員になれる人など少数派だ。

また、体力的にも新しい世界に踏み出すには50代半ばが限界だろう。

若い頃から体力には自信があった私も最近は地下鉄の階段の上り下りが苦しくなり、ゴルフの飛距離も落ちてきた。同級生に会うと、健康診断の数値の話や、「最近、物忘れが激しくて...」という話が多くなってきた。そして60歳以上の先輩になると持病を抱えている人も多くなる。私自身も「50代はまだいいけど、60歳になったら体に気をつけろ」と言われている。

私が55歳になる寸前で会社を辞めた時には「よい時期に決断しましたね」と多くの方から言われた。新しい仕事が軌道に乗るまでには数年はかかる。新しい門出は60歳を過ぎてからでは絶対に遅すぎる。

大学を出てから50代半ばまでの約30年を第1ステージ(サラリーマン)とすれば、その後70歳までの15年を第2のステージ(個人事業主)と考え、自身の燃料(知識、経験+体力)が十分な状態でロケットに再点火すべきだ。

多額の資産でもあれば別だが、豊かな老後を過ごしたいと思えば、最低でも70歳、健康面の問題がなければ70歳以降も働く時代が来る。「豊かな」という意味を、金銭面、生きがい面の両方から総合的に考えると、いつまでも会社にしがみつくことが良い選択とはとても思えない。

そして、次のステージへの布石を打ちたいのなら、早めの行動が重要になる。65歳まで待つわけにはいかないのだ。「立つ鳥跡を濁さず」という諺があるが、65歳まで会社にしがみついていると、飛び立つことさえできなくなってしまう。

中高年の独立に“追い風”が吹いている

従業員,独立,のれん分け
(画像=Jirsak/Shutterstock.com)

アメリカでは5000万人以上の人がフリーランス(兼業含む)として働いているが、日本でもフリーランスの数が1100万人を超えた。これは生産年齢人口(15─64歳)の約15%が専業または副業で組織に属さずに個人で仕事をしているということだ。また、その数は2015年から2018年の3年間で2割以上増加しており、今後も更に拡大していくだろう。日本でも働くことへの考え方が変わってきたということだ。

政府もこの流れをサポートしようとしている。税制や社会保険の制度などをフリーランスが働きやすい方向に整え、個人事業主や副業を推進する方針だ。フリーランスで働く人にとってはありがたい環境が整い始めているのだ。会社人間は「働き方改革」と言われると、残業削減や在宅勤務といった狭い範囲の言葉しか思い浮かばないが、会社で働くというのはもはや「働き方の一部」でしかない。

働く側の意識が変わっただけではない。会社側も外部リソーセスをより活用する方向に動いている。内製化重視からアウトソーシングの時代に変わりつつあるということだ。1991年にバブル経済が崩壊し、人件費削減のために正社員を派遣社員に置き換える企業が増えたあたりから、大企業でも労働力を外注化する流れが高まってきたように思う。

また、従来は社員がやっていた調査や企画業務を外部のコンサルティング会社に委託する会社も増えている。かつては残業してでも正社員が全部やるのが美徳だったが、これからはアウトソーシングを効率的に活用する傾向が強まっていくはずだ。

内製化重視の考え方は、終身雇用、年功序列という日本的雇用環境と密接な関係がある。OJTで先輩が後輩に技術やノウハウを伝えていくという古き良き伝統は「正社員は会社を辞めない」という前提で成り立っていた。人材の流動化が進み、せっかく教えてもどんどん人が辞めていくと、教える側も「そのうち辞めちゃうかもしれない奴に、真面目に教える気がしない」となる。

従来の日本企業は、新入社員を一から教育し、均質で汎用性のある正社員によって運営されてきた。このようなスタイルを「メンバーシップ型」と呼ぶ。一方、最近のIT系企業のように、個人の専門性を重視し、中途採用や外注を柔軟に行うスタイルを「ジョブ型」と呼ぶ。

私の前職であるトヨタ自動車は前者の典型的企業だった。工場のような現場ではメンバーシップ型の強みで他社を圧倒しているが、企画や営業部門は徐々にジョブ型に変わりつつある。特にクルマ単体を売るのではなく、移動全体をサービスとして提供するという考え方MAAS(Mobility as a service)に関係するようなIT系知識が必要な部署は、働いている人のほとんどが中途採用者や外注先社員というケースが増えている。

アップルのように商品企画までは自社でやるが、生産は外部に委託する企業のことをファブレス(Fabless)企業というが、これからは従業員レス企業という形態も増えていくかもしれない。ちなみに私がお手伝いしているIT系企業は、かつて50人ほどの従業員を抱えていたが、今では社長以外はすべて外注に変えた。ちなみに私もCMO(Chief Marketing Oficer)という役職をいただいているが、役員どころか社員ですらない「外注先」である。

あなたが現在企業の管理職だとしたら、次のような事例を考えてほしい。

既存事業の売上が先細りになり、会社の上位方針で未経験の市場分野への参入を検討することになったが、社内には詳しい人間がいない。コンサルティング会社に頼むと最低でも1000万円以上の費用がかかる。

そんな中で、その分野の企業で30年以上働いていた方(フリーランス)の紹介を受けた。営業や企画部門を中心に幅広い知識、経験がある。

少なくとも一度は会ってみたいと思わないだろうか。そして月額のコンサルティング費用が数十万程度であれば、まずは3カ月程度から契約してみようと思わないだろうか。

会社の中では特別とは思っていなかった知識や経験が、外で売れる環境が整いつつある。内製化が中心の社会では、企業を辞めてフリーランスになることは、自由を手にする代わりに、収入が下がる覚悟が必要だったが、これからは今までの知識、経験を基にフリーランスでもお金が稼げる時代になる。

特に、役職定年で給料が2割カットされ、60歳からの再雇用後には更に半減することを考えると、フリーランスとして請け負うことで「自由」と「収入」を両立できる可能性は十分にある。以前は限られた才能や実力を持つ一部の人間に限られていた「フリーランスで成功する」という選択肢が多くの人間に開かれつつあるのだ。

チャレンジマインドなき人生は寂しい

悩みが武器になる働き方5
(画像=悩みが武器になる働き方5)

100歳まで生きるとしたら、50歳はまだ半分。90歳と考えてもまだ6割弱。マラソンで言うならまだ25kmを過ぎたあたりだ。これまでの経験を助走だと考えて、50代から大きくジャンプすることを考える人が増えてほしいと思う。それは、会社にしがみつく人生よりもワクワクすると同時に、自分自身をこれまで育ててくれた社会への恩返しでもある。

もちろん、50歳を過ぎての新しいチャレンジに不安を感じる人も多いだろう。マスコミは「老後不安」「年金崩壊」といった刺激的な言葉を使うが、不安感を煽るのはそうすれば本や雑誌が売れるからだ。世間の論調に惑わされ、漠然とした不安を持ったまま既存のレールに乗り続ける前に、まずは自分の人生を考えてみるべきだと思う。

もちろん私も、すべての人に50代で独立してフリーランスになることを強要するつもりはない。「一生懸命働いたんだから60歳以降も会社に面倒をみてもらおう」という考え方を否定はしない。ただし、「余生」と言うにはあまりにも長い時間を生きていくことを前提に、様々な選択肢を考えることは悪くないと思う。

一般的に若者には3つのタイプがいる。

仕事は生活の手段と割り切って自分自身の時間、生活を大切にするタイプ(生活優先派)、仕事を通じて貪欲に自己実現したいタイプ(自己実現派)、そしてその時々で両者のバランスを考えるタイプ(中間派)だ。

私から見ると今の若者は「中間派」が減って、両極に分かれていると感じる。そして「自己実現派」の若者はいったん大企業に就職しても、果敢に起業する人も多い。私も若くして起業して、必死で奮闘している人から相談を受けたことがあるが、子どもも小さく、住宅ローンも抱えながら起業する勇気は大変なものだ。

若者のチャレンジに比べると、50代で会社を辞めてフリーランスになるリスクなどたいしたことはない。50歳を過ぎて辞めれば退職金は満額近く出るだろうし、企業によっては早期退職制度があり、結構な金額の退職割増金ももらえる。

年金についても、厚生年金の支給開始年齢は65歳に繰り下げられる(1961年生まれ以降)が、当面は月額20万円程度はもらえるだろう。

その恵まれた環境を生かして、チャレンジできる特権を活用すべきだと思う。私が会社を辞める時に一番に考えたのは「敷かれたレールの上で流れのまま生きていて、死ぬときに後悔しないだろうか?」ということだった。

31年間のサラリーマン生活を振り返って思うのは、会社員でいることは、自分の評価を他人任せにするということだ。ある人から「出世できるかどうかは、実力が3分の1、運が3分の1、そしてゴマすりが3分の1」と言われたことがある。言い得て妙だと思う。最近注目を集めている「忖度」などサラリーマン社会では昔から常識だろう。

自分の努力で成果を得るやりがい、逆に言えば、自分で責任を負うフリーランスの仕事には31年間の会社生活では味わえなかった爽快感がある。

そして、私自身は「年長者として若い世代に貢献したい」という想いもある。

有史以来、年長者は「最近の若い奴はダメだ」と言い続けてきた。本当に若い奴がダメなら社会はどんどん悪くなっていくはずだが、実際にはちゃんと進歩している。特に最近の若者には自分の考えを持ったしっかりした人が多いと思う。

むしろ、1990年以降の日本の停滞、失われた30年の責任は現在の60代、50代にあるのではないか。世界の産業構造や働き方が大きく変わる中で、高度経済成長時代に先輩たちがつくった日本型ビジネスモデルを変革できないまま次世代に引き継いでしまったからだ。

そう考えると、会社に居残りつづけて元部下が煙たがるような大所高所のアドバイスなどしている場合ではない。まずは会社を辞めて次世代に活躍の場を譲る。そして、自分自身は長年の会社生活で身につけた経験や知識を武器に、外の世界に出ようではないか。

会社を50代で辞めて勝つ! 「終わった人」にならないための45のルール
高田 敦史(たかだ・あつし)
A.T.Marketing Solution代表。Visolab株式会社Chief Marketing Officer。一般社団法人ブランド・マネージャー認定協会アドバイザー。広島修道大学非常勤講師。1961年生まれ。一橋大学商学部卒業。1985年にトヨタ自動車に入社後、宣伝部、商品企画部、海外駐在(タイ、シンガポール)等を経て、2008年に宣伝部の分社化プロジェクト「Toyota Marketing Japan」を担当し、Marketing Directorに就任。2012年からトヨタ自動車に戻り、Lexus Brand Management部長として、レクサスのグローバルブランディング活動を担当。レクサス初のグローバル統一広告の実施、カフェレストラン「Intersect BY LEXUS」の東京、ニューヨーク、ドバイでの出店等、各種施策を主導。2016年にトヨタ自動車を退社。個人事業主となる(屋号:A.T.Marketing Solution)。独立後はブランディング領域を中心としたコンサルティング業務、ベンチャー企業のアドバイザー、講演活動等を行うとともに、2018年には経済産業省が行う「産地ブランディング活動(Local Creator’s Market)」のプロデューサーを務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

※画像をクリックするとAmazonに飛びます
ZUU online library
(※画像をクリックするとZUU online libraryに飛びます)