矢野経済研究所
(画像=PIXTA)

昨今、新型コロナ肺炎のショックによって以前ほど話題に上らなくなっているが、どれだけ経済が落ち込もうと(あるいは落ち込むからこそ)、産業界におけるDX(デジタルトランスフォーメーション)推進は今後も下火になることなく着実に進んでいくだろう。
そこで本稿では、改めてDX推進について、とりわけ現在ではなく近未来の視点で少し考察してみたい。

当面のDX推進は「効率化」をターゲット課題に進んでいく

まず、DX推進におけるビジネス上の効用を大きく分けるなら「生産性(効率性)の向上」と「新しい価値の創造」となる。
2019年ごろから急速に取り組みが進むDXは、前者の「生産性(効率性)の向上」を主目的とするケースが多い。この理由はいたって簡単で、主に内向き(自社等)の業務プロセスの中で推進テーマを見つければ良い事に加え、必要データも揃えやすく、コスト削減という定量的効果(ROI)を推計しやすいことなどにある。
一方、後者の「新しい価値の創造」は主に外向き(対顧客等)への提案、すなわち新商品、新規事業の領域に踏み込むものとなるため、その取り組みの難しさが一段上がる。

現在のところ、DXによる新しい価値の創造に成功した事例は限定的で、多くが(自社ではなく)顧客の業務効率化、生産性向上に資する内容となる。取り組みが進むMaaS(マース、Mobility as a Service)などは、新しい価値の創造につながる代表的テーマだが、DX効用の本質としては自動運転に集約される効率化と言える。新しい価値創造の領域は、従来の車両運転作業の余剰領域へ既存の何かを組み合せることで実現しようとする内容が多い。またこのような大きいテーマについて、主体的に取り組むことができる企業は限定されるだろう。

以上のように、多様な企業がDX推進による新しい価値創造を行うためのヒントはまだ少ない。そればかりか、実は根本的なハードルも待ち受けている。それは人の思考の“クセ”である。計算機を使ってデータ分析を行うDXだが、それを企画・設計するのは今のところ人しかいない。従って人が気付けない、着眼できないことはDXを推進することが難しく、偶然、偶発に頼るしか術がなくなる。

「あり得ない」と思うことでも、実は「あり得なくない」ことが多い

ここで少し話題が変わるが、皆さんの中に『「偶然」の統計学(デイヴィッド・J・ハンド 著)』という書籍を読まれた方がおられるであろうか。この書では、到底起こりそうにない出来事も、実は一定の法則、原理原則が見られることが少なくないということを統計学や心理学の観点からやさしくひも解いている。
なぜ突然この書について触れたかと言えば、“到底起こりそうにない出来事も、実は一定の法則、原理原則が見られることが少なくない”という事こそ、先のDXによる新しい価値創造の大きなヒントになると推察するためである。

“到底起こりそうにない”というのは、すなわち予見や推測が困難ということであり、これはビジネスにおけるリスクや機会損失に直結する。予見が困難なリスクに対して、不確実性リスクとしてある程度事前に織り込むことは可能だが、それとてリスクとして認識できる範囲までとなる。そして推測できない機会損失については、知り得ることがないが故に、事実上の放置状態となる。

それでは、人はなぜ“到底起こりそうにない”と考えるのであろうか。先の書によると、これにはいくつかの理由があり、そのうちの1つないし複数の組み合わせによって、人は“到底起こりそうにない”と思ってしまうらしい。
詳細は割愛するが、その理由として「起こり得るすべての結果を把握しない、できない」「知り得えた範囲がすべてとして考える」「自分に都合の良いことばかりに関心が集まる」「バイアスによる確率分布の歪みを過少評価している」「一致条件を緩めて近しいものを同一視する」という人の行動や思考の“クセ”などがあげられている。

誤解して欲しくないが、これらは何も統計処理の計算を行う時に気を付けて欲しいことを並べたのではない。このような人の“クセ”などによって、気付けないこと、着眼できないことが生まれているということを示唆したいのである。
一方、もうお気づきの方も少なくないと思うが、これら“クセ”の回避は、計算機にとってお手の物である。

ターゲット課題が価値創造ステージへシフトする時の視点は「あり得なさ」の減少となる

以上のことから、DX推進による新しい価値創造のためのヒントは、顧客における不確実リスクは何か?顧客が見逃していそうな機会損失は何か?を考えることにあるだろう。
とりわけ先にあげた人の行動や思考の“クセ”が要因・原因となる不確実性リスクや、見逃している機会損失を探求することこそが、その第一歩となる。その上でDXによる解決が可能かどうかを検討し、実証実験などを経て顧客における「あり得なさ」の減少へつなげていくべきである。

既述のように、当面、多くの企業では生産性や業務の効率化をテーマとするDX推進に注力していくであろう。しかしながら、ある程度の効率化対応が終われば、次は新商品、新規事業の開発へと目が向くこととなる。その時、「あり得なさ」の探求がDX推進の取組課題の1つになっているものと予測する。

2020年5月
主任研究員 品川 郁夫