指導歴40年以上、300余社を直接指導し、一部上場はじめ株式公開させた企業も十数社にのぼる「オーナー企業の経営」に熟知した実力コンサルタント、アイ・シー・オーコンサルティング会長・井上和弘 氏。経営指導に東奔西走する傍ら、「後継社長塾」の塾長を30年務め、今まで500人以上の後継者育成に携わっている。
本記事は、オーナー経営に精通した井上和弘 氏が会社法・税法の専門家と知恵を結集し、社長目線でわかりやすく解説した著書『承継と相続 おカネの実務』(税込14,850円、日本経営合理化協会出版局)の序章、P20-30から一部を抜粋・編集して掲載しています。
裁判沙汰になった多くの実例
今日も全国の裁判所で、相続問題の争い事が繰り広げられています。
私は弁護士ではありませんが、会社を巡る裁判沙汰をたくさん見てきました。
東海地域で土木建設業を営む、川村コンストラクト株式会社(仮称)で、支配権(社長のイス)を巡る争いが起きました。このケースはけっして特別なケースではなく、似たようなケースが全国各地の会社で見られます。
川村コンストラクトの創業者・川村源一郎氏(仮名)が亡くなり、会社は次男の次郎氏が社長、三男の三郎氏が専務として引き継ぐことになりました。
長男の一郎氏は地味な性格で、会社に入らず、関西で幼稚園を経営され、川村コンストラクトの経営にはノータッチでした。
末っ子の四郎氏は、一度は会社に入ったものの、いつも末っ子扱いされることに嫌気がさして、父・源一郎氏が亡くなったあと、株式よりも父親が所有していた不動産賃貸物件が欲しいと母親に頼み込み、さっさと会社運営から離れました。よって株式は5%という低い比率で相続しました。
二代目社長になった次郎氏は、長男とは性格が異なり、かなり派手で積極活発型の陽気なタイプです。そういうタイプにありがちですが、財務や労務や現場管理を好まず、面倒な仕事はすべて三男の三郎氏に押しつけて、自分はもっぱら派手にお金を使う接待に明け暮れていました。お世辞にも人使いが上手な社長とは言えません。
そうこうするうちに、不況の風が日本全土を覆い、土木建設業界は、いずこも赤字のありさまとなりました。
川村コンストラクトも毎月毎月、会議はすれども有効な手が打てないまま、赤字垂れ流しの状況に陥りました。当然、銀行もいい顔はしません。
会議をやっても、「社長は何をしているんだ!」「銀行借入はもうこれ以上は無理だ!」「社員を解雇するのか!」…とたちまち次郎社長の責任追及の場となりました。
今まで交際費を使って派手に営業してきた社長は、環境が変わるとからきしダメで、何の手も打てず、周りに怒鳴り散らしてばかりです。間違いなく“倒産”の2文字が幹部の頭をよぎるようになったのです。
とうとう、次郎社長は、「おれはもうやめた! つべこべ言うなら、お前らでやれ!」と経営の匙を投げて、会社に出て来なくなったのです。
「やめた!」と言って、社長に出社拒否されたのでは会社は立ちゆきません。
結局、取締役会に続き臨時株主総会(手続き上だけでも)を開いて、三郎専務を社長とする決議をしました。取締役も幹部も三郎氏の元に結束したのです。
三郎氏は不採算部門を閉鎖し、遊休土地の売却、大手メーカー企業のメンテナンス重視など、果敢に手を打つことにより、1年半でこの苦境をなんとか乗り越えました。
ご承知のとおり、土木建設業は景気に左右され、好況期には業績が跳ね上がり、利益もかなりよくなります。川村コンストラクトも、雨がやみ快晴になって利益が出る状態になったのです。
すると、退任したはずの次郎氏がひょっこり現われて「三郎、おれ会社に戻って社長になるからな。お前は前の専務でいいだろ?」と言ってきたのです。
これには、長男の一郎氏も母親もびっくり、みんなその発言の無責任さに呆れ果ててしまいました。いかに中小企業の土木建設会社であっても、次郎氏の社長再任は認められませんでした。
それでも、なぜか仲の良い四郎だけは、次郎側につきました。
そこへ、母の菊江(仮名)が亡くなり、20%の株式は4人に等分され、遺産分割相続となりました。(図1を参照)
その結果、前社長の次郎30%、現社長の三郎30%、四郎10%となり、次郎に味方をした四郎の分を足すと、前社長の次郎は40%の権利をもつことになり、次郎が株主総会で各議案にことごとく質問し反対することに四郎が賛成することで、帳簿閲覧権による役員個々の給与開示、役員人事の提案(自分を取締役に)と、株主総会は毎回、議長(社長)と前社長のどなり合いの様相を呈するようになりました。
このような株主総会が4年も続いたあと、長男の一郎氏が、幼稚園の修繕改修費用で資金が必要となり、三郎社長に株式の買い取りを求めてきたのです。三郎はメイン銀行に事情を話し、個人で資金を借りて、長男一郎氏の30%の株式を買い取りました。
さらに、四男の四郎も「次郎には内緒にしてくれ」と三郎に10%の株式の買い取りを求めてきました。四郎の株については、会社のお金で買って自己株(金庫株)としました。
これで、持株比率は「現社長・三郎66.7%」対「前社長・次郎33.3%」となりました。
なぜ、一郎にしろ四郎にしろ、現社長の三郎に買い取りを求めたかというと、同族の株式を買い取る場合は、時価評価での価格となるので高額な金額になるからです。つまり、そんな大金を次郎個人では払えません。三郎は社長ですので、個人で買う場合は銀行借入も可能ですし、会社で買って自己株とすることもできるからです。
さすがに66.7対33.3になっては、次郎氏は手も足も出ません。とうとう株主総会にも出てこなくなりました。
この争いの10年間、種々の裁判を次男は打ってきました。当事者たちはけっして心休まる日はなく、不毛な時間を過ごしたのでした。
このように、株式が分散すると、身内でモメる大きな原因となります。そうならないための対策は必須で、それについては次章でお話しします。
ちなみに、「3%」の株式所有で帳簿閲覧権があるとされますが、株主総会で報告されている以上の情報を開示する必要はありません。
役員個々の給与の明細、各支店別の収支など、これは企業秘密で、もし3%の株をライバルが所有すれば、大切な情報が筒抜けになります。ですから閲覧は拒否できるのです。
遅すぎる事業承継活動
日本には地の果てと言われる町が数多くあります。そんな田舎にも優良企業が人知れず存在しています。
ダイヤモンドSC株式会社(仮称)は、日本海寄りの人口6万人の都市で、スーパーマーケット、ドラッグストアー、ホームセンターなど5店舗を展開する、隠れた優良企業です。
将来、その会社の三代目となる柿平駿平君(当時27歳)が、ある人の紹介で私の事務所を訪ねてきました。
駿平君は将来に備えて経営の勉強がしたいから、自分の会社の問題点を私に指摘してほしいと言って、会社の詳しい資料を見せながら状況を説明してくれました。
彼から聞き取った話の結論は、ダイヤモンドSCは収益性も財務内容も文句のつけようがない会社で、ライバルが攻め込んでこない地域でもあり、地域一番店としてこのまま真面目に経営を続ければ問題のない会社でした。
ただし、一番の課題として、いい会社だけに自社株式が高いので、創業者の藤次郎さんが退任するときの株式の承継が大きな問題になるから、今から対策を考えるべきだとアドバイスしました。
その駿平君が、8年後に、うかない顔で私の事務所に再び相談に来たのです。
「先生、実は8年間、状態は何も変わっていないのです! しかしお爺さんの藤次郎は、最近ボケだして、社長も専務も慌てだしています」
「当たり前だよ、8年間の時間がありながら、何の手も打たなかったの?」
「爺さん(藤次郎)は2人の息子を競わせて、頑として1株も譲らなかったのですが、今になって、ようやく株式を譲ってもいいと言い出しました」
「今頃? この8年間でさらに収益が良くなって、剰余金が膨れ上がったんじゃないの?」
「そうです。爺さんは、株主に配当もせず、役員賞与も出さず、ただただ貯め込んできました。おまけに最近は、私の父の社長と叔父さんの専務がことごとく会社方針で意見がぶつかり、まとまりがつかないまま今日に至ったのです」
「駿平君、はっきり言って遅すぎたよ。合法的に打つ手は限られている。まして、まったく株式をもっていない君にアドバイスしても、社長と専務がそれを実行しなければ意味がない。会社の顧問税理士も今日まで放りっぱなしにしていたのは、税理士が弱体か、他にも重要な理由があるんだろう。いずれにしても、我々は相続税務プロフェッショナル3人でチームを組んで、依頼された相続対策に取り組むが、費用もかかる。この相続問題を解決しようと思うなら、私たちとの信頼関係がないと成功しない。だからお父さんの太郎さんと叔父さんの次郎さん、そして君の3人で私の事務所に来てください。しっかりとお話を聞いて覚悟を決めていただいて、契約を結んでからでないと私たちは動けません。それにしても、あまりにも遅すぎるよね」
実は、このような話はダイヤモンドSCだけのことではありません。
似たような話は全国各地にあるのです。そしてたいていの場合、ダイヤモンドSCのケースよりも事情がもっと複雑なのです。
たとえば、ダイヤモンドSCは三代目の駿平さんがおられますが、他社のケースでは、
- 二代目に男子のお子様がいらっしゃらない。よって三代目後継者がいない
- 三代目は娘婿にしていたが、その婿が他所で女性をつくり離婚だと騒ぎになっている
- 三代目は性格性質が業種に向かずに番頭にまかせっぱなしにして赤字垂れ流し
- 創業者が好いた孫を養女にしているが、養女は独身、事業を継ぐ気もなし
など、現実にはもっと複雑なのです。そして多くの会社で共通することは、
- 年老いた経営者が地位と株式を手放さない
- 兄弟が仲悪く、意見が定まらない
- 税務顧問が弱く、法人申告業務のみに終始している。対策を研究しない
- 次の代をどうするか、まったく考えない。大株主のオーナーは自分がやがて死ぬということを考えていない
とくに、一代で事業を立ち上げ、優良会社に育てあげたカリスマ社長ほど自信過剰で自分が死ぬことを考えない。というより、自分より仕事ができる人がいないから、後を任せられないと言って、会社承継など考えたくない方が多いのです。
たとえ考えたとしても、答えはいつも堂々巡り。自分が大株主で社長であるから、みんなを支配できる。自分の方針通りみんなが動いてくれる。それが生きがいにもなっているから、大株主でなくなったときの自分を想像するだけで耐え難いのです。次代を担う兄弟が方針を決めるとなると、考えが異なり、モメるのも目に見えています。
周りにいる人も、「それが親爺の健康の源になっているのだから、好きなようにさせておこう」と言ってズルズルと引き延ばし、時間だけが過ぎていくのです。
あるいは、次のようなケースも多いものです。
たとえば、会社を息子に譲ったあと、もしその息子が自分より先に死んだらどうなるかとか、娘婿に会社を譲った場合、その娘が離婚したら会社はどうなるかなど。また、次の次の後継者が誰になるのか、そしてそのまた次の後継者が誰になるのか、その可能性をさまざまに考えて、どうすれば会社が他人のものにならずにすむかと一人で悩まれるのです。
しかしそんな先のことは誰にもわからないので、悩んでも答えが出ずに、ズルズルと承継が遅れるのです。
このようなオーナー社長の本音を知った当初は驚きましたが、その悩みを解決する方法を考え出しました。それについては4章でお話しします。