指導歴40年以上、300余社を直接指導し、一部上場はじめ株式公開させた企業も十数社にのぼる「オーナー企業の経営」に熟知した実力コンサルタント、アイ・シー・オーコンサルティング会長・井上和弘 氏。経営指導に東奔西走する傍ら、「後継社長塾」の塾長を30年務め、今まで500人以上の後継者育成に携わっている。
本記事は、オーナー経営に精通した井上和弘 氏が会社法・税法の専門家と知恵を結集し、社長目線でわかりやすく解説した著書『承継と相続 おカネの実務』(税込14,850円、日本経営合理化協会出版局)の第3章、P194-205から一部を抜粋・編集して掲載しています。
納税猶予はおすすめしません
また、相続税対策の一つとして、「納税猶予」という手法があります。
「井上先生、事業承継対策として、納税猶予がよいというような意見もありますが、どう思われますか?」と、意見を求められることがあります。
結論から申し上げると、私はこの制度をおすすめしていません。理由は、
- 適用するための条件が複雑であること
- 納税猶予であり、免除はされないこと(問題の先送り)
それぞれご説明しましょう。
納税猶予は、申告をお願いしている顧問税理士から提案される、という会社が多いようです。この制度には、贈与税の納税猶予と相続税の納税猶予があります。
事業承継で想定される使われ方としては、オーナーに退職金を支給して、自社株式の評価を引き下げた後に、自社株式を後継者に贈与して、その贈与に関する贈与税に納税猶予を適用しよう、というものでしょう。
では、私がおすすめしない理由をそれぞれ説明しましょう。まずは、理由の1つ目です。
納税猶予の条件は、適用前と適用後の2段階に分かれています。
まずは適用前の条件です。
後継者(受贈者)の要件は、贈与の時において、
①会社の代表権を有していること(代表取締役)②20歳以上であること(これは問題ないでしょう)③役員の就任から3年以上経過していること(時間が必要です)④ 贈与時において、後継者およびその近親者で総議決権の50%超の議決権数を保有すること、かつ、これらの者の中で最も多くの議決権数を保有すること
いっぽうで、先代経営者(贈与者)の主な要件は、
①会社の代表権を有していたこと(これは問題ないでしょう) ②贈与時に会社の代表権を有していないこと(退任済が条件です)③ 贈与の直前において、贈与者およびその近親者で総議決権の50%超の議決権数を保有し、かつ、後継者を除いたこれらの者の中で最も多くの議決権数を保有すること
オーナー会社なら、これらの要件は軽く満たせていそうですが、歴史ある会社の場合は、意外に要件を満たせていない、という場合があります。
つづいて適用後です。
納税猶予の特徴は、“適用後”の条件もあることです。つまり、申請して認められても、気が抜けない、ということです。
たとえば、次のような場合には、猶予されている税金を支払う必要が出てくるのです。
①株式の一部を譲渡(贈与)した場合②後継者が5年以内に会社の代表権を有しなくなった場合③5年以内の雇用の平均が、贈与時の雇用の8割を下回る場合④会社が資産管理会社に該当した場合⑤先代が代表権を保有することになった場合
たとえば、納税猶予の対象とした株式を、後継者が自分の息子(社長の孫)に贈与する場合には、猶予された贈与税を支払わなければならない、ということです。
この制度、もともとは現在よりもっと要件が厳しく、使いにくく、ほとんど適用実績がなかったため、平成27年に入り、要件が緩和されたのでした。
そして、理由の2つ目です。
仮に要件を満たして納税猶予を適用したとしても、これはあくまで“ 猶予”に過ぎないのです。いつかは払わなければならないのです。
「先生!先代が亡くなった場合は、贈与税は免除されると聞きましたよ」
そんなことはありません。贈与税は免除されても、そのぶん、相続財産に加算されて相続税がかかります。とれるものはとられます!
「先生!猶予してもらった贈与税ですが、次の人間にバトンタッチするときに、また納税猶予を使って贈与すれば、結果的に贈与税は免除されるようです」
これは、いわば問題の先送りでしょう。
負の遺産を自分の息子(後継者)に押し付けるようなものです。
それよりも、これまで再三申し上げているように、退職金を中途半端に出すのではなく、高額退職金を支給して株価をグンと下げることを考えたほうが絶対によいです。
この納税猶予の条件を満たすために、ときどき経営者が株主から個人的に株式を買い集めようとしている場合があります。しかしこれは順番が逆です。経営者の株式は、減らしていかなければならないのです。
使い勝手の悪い納税猶予を、わざわざこうして使うというのは、私からすると首をひねらざるをえません。
企業にはいつなんどき、まさかの坂がやってくるかわからない、というのが私の持論です。
経営環境が苦しくなって事業縮小、人員削減などをせざるを得ない状況になった。そうなれば、納税猶予の必要条件から外れ、猶予されていた税金を支払わなければならなくなるかもしれません。いわば二重の苦しみです。組織再編、納税猶予は、一時的にはよいのかもし れません。
税理士も高度なテクニックを駆使して、あれやこれや考えてくれるでしょう。
しかし、数年後に複雑なスキームが終わったあとには、高額な報酬を支払った担当者が退職してしまうことも少なくありません。
会社もその税理士に任せっきりだったため、あとでその内容について訳がわからなくなることもあります。
今思えば、あのとき多額に支払った税理士報酬は何だったのか…という後悔の念を聞くことがときどきあります。結局、シンプルイズベストではないかと思うのです。
相続時精算課税制度もよく考えて使いましょう
納税猶予と同じく、経営者からよく質問を受けるものが、「相続時精算課税制度」です。私はこの制度もあまりおすすめしていません。
相続時精算課税制度の内容は、次のとおりです。
- (概要)
- ・60歳以上の父母または祖父母から、20歳以上の子・孫への生前贈与で使える。 ・贈与時には贈与財産に対する軽減された贈与税(後述)を支払い、その後、相続時にその贈与財産とその他の相続財産を合計した価額を基に計算した相続税額から、すでに支払った贈与税額を精算する。 ※これが、“相続時精算課税”と呼ばれる理由です。 ・贈与額は2500万円を超えた場合には、超えた額に対して一律20%の贈与税が課税される(ただし、相続時に精算される)
通常、相続財産の評価は、相続時点の評価額になります。当然ですね。しかし、この制度では、将来の相続財産の評価を、現在の評価額で固定化できる、ということなのです。
- (メリット)
- ・2500万円の特別控除枠があり、父母または祖父母からの贈与において、贈与額が2500万円に達するまで、贈与時点に支払う贈与税が一時的に免除される。 ・オーナーのもっている財産について、贈与時より相続時のほうが評価額が上がっていたとしても、相続税を計算するときは、贈与時点の低い評価額を使うことができる。 ・すでに払った贈与税が、相続発生時に計算された相続税額より多い場合、払い過ぎた贈与税が還付される。 ・選択制のため、例えば、父からの贈与については選択するが、母からの贈与には選択しない(暦年贈与を適用する)ことができる。
- (デメリット)
- ・一度この制度を選択したら、取り消すことはできない。・オーナーのもっている財産について、贈与時より相続時のほうが、評価額が下がっていたとしても、相続税を計算するときは、贈与時点の高い評価額を使わなければならない。 ・相続時精算課税制度を利用した場合、暦年贈与(110万円までは無税)の利用はできない。
たとえば、自社の株式の評価が3千万円のときに、この制度を使って贈与し、6年後の相続発生時に、この株式の評価額が3億円になっていた、また他の相続財産も加味した相続税率が、30%であったとします。
このとき、自社株式に関する税金は次のようになります。
◎本制度の適用時(3千万円─2500万円)×20%=100万円◎相続発生時 3千万円×30%=900万円◎追加納付額 900万円─100万円=800万円
この場合に、もし本制度を適用していなかったら、自社株の相続に関する相続税は、3億円×30%=9千万円と、膨大な相続税額になってしまうのです。
事業承継でこの制度を使う場面は、社長に高額退職金を支給して株価を引き下げた後で、この制度を使って後継者に株式を贈与する、というものでしょう。
この制度をすすめる税理士は、
「相続時精算課税制度では、相続時に、現在(贈与時)から株価が大きく上昇したとしても、株式評価は、あくまで贈与時の評価で済みます。退職金を支給して株価を下げた後は、御社の株価は基本的に上がっていくはずでしょう。だから、退職金を支給した直後に、この制度を使って贈与をしておけば、メリットがあるのです」とおっしゃいます。(第12表参照)
確かにそれも一つだと思います。
しかし、反対に将来株価が下がった場合はどうでしょうか?
仮に、相続時に株価が大きく下がっていた場合、この制度を使って贈与された株式の評価額は、現在の安い株価ではなく贈与時の高い株価なのです。
つまり、この場合は、結果的に税金を多く払いすぎてしまうのです。
それから、オーナー経営者は、多額の財産をもっている方が多いです。
多額の財産というのは、現金、有価証券、不動産など、要するに、自社株式以外にも、財産がたくさんある場合は、暦年贈与を有効に活用して財産を移していったほうが、圧倒的に有利で、結果的に税金は大きく変わってくるでしょう。
相続対策で一番効果的なのは、「時間」です。
長い時間をかけて、相続財産を減らしていくことが、一番堅実で、また、税金負担も抑えられるのです。