内山 瑛
内山 瑛(うちやま・あきら)
公認会計士。名古屋大学法学部在学中に、公認会計士試験に合格。新日本有限責任監査法人に入所し、会計監査・コンサルティング業務を中心に研鑽を積む。2014年に同法人を退所し、独立。「お客様の成長のよきパートナーとなる」ことをモットーに、記帳代行・税務申告にとどまらず、お客様に総合的なサービスを提供している。近年は、銀行評価を向上させる財務コンサルティングや内部統制構築支援、内部監査の導入支援にも力を入れている。

会社売却をすると、退職金に関する問題がついてまわることになる。会社売却となると、いくらで手放すかといったことが気になり、退職金まで考えが及ばない人もいるだろう。今回は、会社売却における役員や従業員の退職金の取り扱いや、退職金に係る税金について解説する。

会社売却と役員退職金

退職金
(画像=kelly marken/stock.adobe.com)

会社売却には、役員退職金が伴うことがほとんどである。なぜなら、M&Aにおいては、代表取締役の交代を伴うことが多く、前経営者がそのまま残る場合であっても、3年間などの期間の制約が設けられたり、非常勤の平取締役に降格されたりすることもあるからだ。

M&Aの交渉においては、株式の譲渡対価だけでなく、役員退職金がいくらになるのかという点も大きな論点になってくる。双方にとって、手許に残るお金を少しでも多くするような工夫をしていくことが肝要である。

会社売却に関わる退職金において、特に注意しなければならないのは、株式譲渡をしてしばらく後まで役員が会社に残るケースである。株式を譲渡して買収された時点では、役員として会社に在職しているため、退職金が支給されないからだ。

また、退職金は、会社の定款に記載されているか株主総会の決議がなければ、受け取る権利もないのだ。仮にM&Aの交渉の際に、口約束で退職金を受け取ることを予定していても、退職時点での会社業績が悪い場合には、予定していた役員退職金を受け取れない可能性もある。

役員退職金の支払いについてのトラブルが起こらないよう、株式譲渡の際には、役員退職金の支払い条件について、株主総会にて事前に決議をしておくことが重要となる。

役員退職金を活用した節税について

株式譲渡でM&Aを実行する場合に、役員退職金を組み合わせることによって税負担を軽くできる可能性がある。

退職金は、就職してから退職するまでの長年の勤務に対する報償的対価を、退職を機会として一括で受領するという性質があるため、通常の超過累進税率による所得税の課税ではなく、税負担を軽減するために優遇された税金計算を行うことになる。

退職金の税額を計算する際には、退職金の額から退職所得控除を差し引き、さらに2分の1を乗じた金額に対して、税金が課せられる。さらに、退職金を支払った会社にとっては損金対象となり、社会保険料の対象にもならないなどといったメリットがある。

しかし、損金計上ができる役員退職金を無制限に認めてしまえば、役員報酬に関する規制の意味がなくなり、会社の資本をいたずらに棄損してしまう可能性がある。そのため、役員退職金は無制限に増やすことはできず、税務署に過大とみなされると損金不参入となる場合がある。

税務上、損金と認められる役員退職金の額は、「退職時の月額報酬×役員勤続年数×功績倍率」で計算される。

仮に退職時の月額報酬が200万円、勤続年数を35年、功績倍率を3倍とした場合は、2億1千万円となる。退職金の実際の支払額がこの額を超えた場合、受給者への税率は変わらないが、退職金を支払った会社は損金に計上できないため、節税メリットは大きく減殺されてしまう。

この条件に従っていたとしても、役員退職金を受け取る役員同士でアンバランスがあれば、否認されてしまうこともある。例えば、同時に複数の役員が退職する際に、経営者の同族役員だけが合理的な理由もなしに、他の役員と比較して多額の役員退職金を受け取っている場合などである。

役員の退職金計算の注意点

実は、役員退職金の適性額の計算式として紹介した「退職時の月額報酬×役員勤続年数×功績倍率」は、法人税法に定められている計算式ではない。この計算式は、納税者と国税庁で税務訴訟となった際に、このような計算式が用いられる例が多いため、慣習として成立したものである。

役員勤続年数については、比較的明らかな数値を使用できるが、その他の「退職時の月額報酬」と「功績倍率」については、さまざまな議論がある。まず、最終月額報酬が低い場合などの対処法であるが、勤務期間を通じた平均月額報酬や類似法人の報酬額の統計資料を用いることがある。

税理士によっては、退職金の算出に最高月額報酬を採用してもよいと判断する場合もあるが、最高月額報酬を採用した事例において、過去の国税不服審判所の採決において、納税者敗訴となった事例もあるので、慎重に判断する必要がある。

また、功績倍率には、平均倍率や最高倍率を適用する場合がある。功績倍率が3倍なら問題ないとか、2.5倍までなら指摘されることはないなどと考える者もいるが、最近の統計資料や判例を確認すると、もっと低い功績倍率で決着していることも多い。「東京地判平成25年3月22日」の判例では、では、1.18倍という非常に低い功績倍率が採決された事例も存在する。

会社を買収した側も損金計上が可能

役員退職金の活用は、売却をした会社だけではなく、会社を買収した会社にとってもメリットがある。前述の通り、役員退職金は一定の金額までは損金算入が可能である。しかし、株式の取得費用は、資産に計上されるため売却まで損金に計上することはできない。

そのため、できるだけ多くの対価を役員退職金として支払い、株式の取得価額を抑えることにより、買収側の会社も納税額を低く抑えることができるのである。

会社売却と従業員の退職金の取り扱いについて

会社を売却した場合は、従業員は新しい経営者の下で働くことになる。従業員にとっては、新しいグループの文化や働き方、給与体系はもちろん、退職金の取り扱いも重要な関心ごとである。

会社売却を行う際に、従業員の退職金への影響について、あまり思慮が及んでいない経営者も散見されるが、従業員にとっては死活問題である。それでは、どのような論点があるのだろうか。

会社が売却されたからといって、直ちに従業員の退職金に影響が出るわけではない。経営者が変わったとしても、就業規則や退職金規程が必ずしも変更になるわけではなく、単に株主構成が変わっただけだからである。

しかしながら、以下のような場合は、従業員の退職金に影響が及ぶ可能性がある。

・事業売却の場合
・会社売却の後、その会社が合併された場合
・人事交流があって転籍などが生じた場合
・親会社と就業規則や退職金規程を合わせる必要が生じた場合

これらについては、以下のようなさまざまな対処が考えられる。

・過去の分も合わせて新会社の規程によって計算する
・過去の勤務分については、旧会社の規程で、将来の分については新会社の規程で計算する
・一旦全員を退職させた上で、退職金を清算する

退職金を引き継ぐならば、その金額を試算した上で売却価格に反映させる必要がある。一旦清算する場合については、一時的に多額のキャッシュが必要になるため、事前に退職金の支払い計画を立てて、必要資金を準備しておく必要があるだろう。

会社売却後の退職金に係る税金の注意点

退職金を支給する場合にも、税金の取り扱いには注意しなければならない。退職金は通常の給与に比べてはるかに税金が安いことが特徴ではあるが、勤続年数によって所得税の税額控除額が異なる。具体的には、勤続20年までは1年につき40万円が、勤続20年を超えた場合は1年につき70万円が退職金から控除されることになる。

会社売却の場合は特に問題がないが、事業売却や人事交流などの場合は転籍となるため、勤続年数が途切れてしまうことになる。

可能な限り、勤続年数を継続した取り扱いとする必要があるが、前職の勤続年数と合算して退職金の計算をする場合には、「所得税法第30条(退職所得)」に関わる「所得税法基本通達30-10」に基づいて、退職給与規程で明示することが実務上求められている。

会社売却の交渉過程で、退職金の規程の整備まで話を詰めておく必要があるだろう。

退職金と隠れ債務

会社売却にあたって、退職金債務は隠れ債務(簿外債務)の代表格として論じられることがある。

特に、経費のうち人件費の占める割合が大きい企業では、労務関係の負債計上が漏れていると、従業員の数だけ同じ額の債務が生じるため、影響額が大きくなってしまう傾向にある。

ここでは、退職金債務をはじめとする簿外債務の問題について説明する。

・退職給付債務

まず、なんといっても退職給付債務である。退職給付債務とは、従業員に支払う退職一時金や年金の、企業負担分が該当する。

将来支払う事になる退職金の金額を見積った上で、現在の価値に割り引いて算定するのが原則である。ただ、期末に従業員が退職したと仮定した場合の退職金額を算出する方法もある(期末要支給額)。

外部積立ての年金資産などがあれば、そちらを減額した分を、退職給付金債務の負債額と考える。

・役員退職慰労引当金

また、役員退職慰労引当金も簿外債務の代表格である。役員退職慰労引当金は、役員退職金の企業負担分を計上するものである。その点、上記の退職給付債務とも似ている。

ただ、役員の退職金は労働への対価ではなく、功績や功労などに報いるための報償金であるため、両者を区別している場合もある。もちろん、特に重要性がない場合は、併せて表示されることも多い。

役員の人数は従業員と比べて少ないが、役員一人あたりの退職慰労額が高額になることもあり、簿外扱いになっている際は注意が必要である。

・賞与引当金

また、賞与引当金も、簿外になっている場合は注意が必要である。

賞与引当金は、賞与に対する負担を計上するものである。賞与の算定期間が計算書類の作成基準日をまたぐ場合は、賞与の金額は確定していないものの、既にその期間の一部は経過しているため発生原因は生じている。そのため、賞与引当金を計上して、その負担を認識しておかなければならない。

また、買収対象の会社が会計監査の対象会社でない場合、経費の処理を現金主義で行っていることもあるため、本来計上すべき未払金や未払費用が計上されているか、きちんとチェックすることが肝要である。

会社売却は必ず専門家に相談しよう

会社を売却する際には、退職金についても注意が必要である。会社売却では、役員退職金の活用などによって、売却側と買収側の双方に節税のメリットがある場合もある。また、会社の売却価格ばかりに気を取られるのではなく、売却後の社員の退職金などにも気を配ることは、前経営者としての務めでもある。

会社を売却する際には、今回説明した退職金や隠れ債務などについて、M&A等の専門家に必ず相談しながら進める必要がある。(提供:THE OWNER

文・内山瑛(公認会計士)