(本記事は、今泉清氏の著書『ONE TEAM!ラグビー日本代表に学ぶ最強組織のつくり方』日本能率協会マネジメントセンターの中から一部を抜粋・編集しています)

one team
(画像=PIXTA)

エディー・ジョーンズによってつくられた「ONE TEAM」の礎

世界三大スポーツイベントのひとつと称されるラグビーワールドカップ。

2019年の第9回大会は日本での開催ということもあり、大いに盛り上がりを見せた。

そんな大舞台に立った桜のエンブレムをつけた戦士たちの表情は、自信に満ち溢れていた。

「日本代表チームは、必ず何かやってくれる」

私は大会が始まる前から、そう確信していた。

思い返せば、日本が初めて出場した第1回ワールドカップが1987年。

そこから、2011年の第7回大会まで日本代表チームはたった1勝しかできなかった「ラグビー弱小国」だったことは、最近のラグビーファンには意外と知られていない。

なぜなら、2015年の第8回イングランド大会では、優勝候補にも挙げられていた南アフリカに勝利し、「ブライトンの奇跡」(ブライトンはゲームがおこなわれた都市名)として世界中を驚かせたことで一気に世界の檜舞台に踊り出たからだ。それまでは20年以上もかけてワールドカップでたった1勝しかできなかったのが日本だったのである。

この第8回大会は強豪のサモア、アメリカにも勝利し、スコットランドに敗れはしたものの4戦中3勝を挙げる歴史的快挙だった。

3勝を挙げながらも、準々決勝(ベスト8)に進むことができなかったのはワールドカップ史上初めてのことだった。勝ち点がわずかに足りなかったのだ。

では、これまでずっと勝てなかった日本代表チームに、いったい何が起こったのか。

そのキーワードこそ、本書のテーマである「ONE TEAM」である。

そこでまず、この「ONE TEAM」を語るうえで欠かせない人物を紹介したい。

第8回イングランド大会において、日本代表チームを率いたオーストラリア出身の監督、エディー・ジョーンズだ。

世界のラグビー界において「名将」と呼ばれるエディーは東海大学でラグビー指導者としてのキャリアをスタートさせ、日本代表FWコーチ、サントリーのコーチを経て、母国オーストラリア代表コーチに就任し、2003年のワールドカップでオーストラリアを準優勝に導く。

さらに2007年は、南アフリカ代表のアドバイザーとしてワールドカップ優勝に貢献した。

そんなエディーが日本代表チームの監督に就任したのが、2012年の春である。

エディーは、「日本人でも世界で勝てることを証明する」といった大義を持ち、日本代表のチームづくりに着手していった。

そこでまずは日本人選手が持つ俊敏性という強みを活かすため、「キープ・ザ・ボール」と「パス&ラン」を組み合わせた攻撃的なラグビーを日本代表チームのメイン戦術として据え置くことを決めた。

だが、攻撃的なラグビーをするにはスクラムやセットプレーの質を上げていかなければならない。そのためには当たり負けせず、かつ80分通して走り切れるだけのフィットネスがなければ世界の強豪相手と互角に戦うことはできないとエディーは考えていた。

ワールドカップの組み合わせ抽選により、初戦の相手が優勝候補の一角でもある南アフリカと決まった。これを受け、世界中のラグビー関係者の誰もが、そして日本のラグビーファンも日本が南アフリカに勝つなど思いもしていなかった。日本代表選手たちはそうした空気にさらされていた。

だが、「たとえ相手が南アフリカであろうと勝てる可能性はゼロではない」と信じていたのがエディーだった。

とはいえ、ラグビー弱小国の日本が南アフリカに勝つなど、まさにジャイアントキリングである。並大抵のことをしていては勝つことはできない。それをもっとも理解していたのもエディー本人だったに違いない。

いわば、エディージャパンが始まった当初は、こうしたネガティブなスタートだったのである。

選手たちに自信を植え付けた長期合宿

日本人が持つ勤勉さ、器用さ、俊敏さ。

これらの〝強み〟を当てれば、南アフリカに勝てる可能性があると考えたエディー・ジョーンズ。

だが、同時にある大きな課題にも直面していた。それはスタミナ不足である。

いくら強みである攻撃的なラグビーを展開しても、試合が進むにつれて体力が消耗することにより、強靭なスタミナを持つ南アフリカの選手に押し込まれてしまうことは容易に想像できた。

「相手選手の3倍走るスタミナがなければジャパンに勝機はない」

エディーの腹は決まった。チーム戦術もさることながら、とにかく選手たちの持久力強化に注力したのである。

そこで実施したのが、宮崎市で通算173日にも及ぶ長期合宿だった。

エディーが考案した練習メニューは、早朝から夜まで1日に4回、多いときには5回のハードワークを選手たちに課した。

そのトレーニングのあまりの過酷さから、選手たちからは「地獄の合宿」と恐れられたのだが、次第に選手たちの顔つきも変わっていった。

「それぐらいやらなければ、到底南アフリカに勝つことはできない」

最初は「やらされ感」があったエディーの練習メニューだったが、手ごたえを感じ、自信を持ち始めた日本代表の選手たちは自らの意志で自分を追い込むようになっていった。

ここで重要なのは、エディーはただ単に苛酷なトレーニングを選手たちに課したわけではないことだ。エディーの本当の狙いは、長期の合宿でチームがひとつにまとまることだった。

チームメンバーがひとつになって苦楽を共にすることで信頼関係が生まれ、同じ目標をしっかりと共有することができるという思惑が根底にあったのだろう

実際に、この長期合宿で日本代表チームの「ONE TEAM」の礎が構築されていった。

しかし、どんなに苛酷なトレーニングに打ち込もうとも、どんなに練習でいいプレーができようとも、選手たちにはこうした疑念がどうしても拭い去ることができない。

「日本人の俺たちが、本当に南アフリカに勝てるだろうか……」

このような気持ちでどんなにハードワークに打ち込んでも、やはり試合に勝つことはできない。なぜなら、「リミッティング・ビリーフ」と呼ばれる思考に支配されてしまっているからだ。

リミッティング・ビリーフとは、物事をネガティブに捉える思い込みや固定観念を指す言葉だ。

心の奥底に、「日本人の俺たちが南アフリカに勝てるわけがない」といったネガティブな感情に支配されることによって心にブレーキをかけてしまい、結果として何事に対しても消極的でうまくいかなくなってしまうのだ。

「自信」という言葉は、自らを信じると書く。つまり、プレッシャーをプラスにするのもマイナスに捉えるのも自分を信じることから始まると私は考えている。

今まで自分がやってきたことを信じながら、「絶対に勝てるんだ」という強い信念を持って、さらにハードワークする。このときの日本代表チームの長期合宿では最終的にそうした共同体意識が生まれたことはその後の結果が示している。

エディーも、「相手に勝ちたいなら、相手を上回る準備をするしかない」とあるインタビューで語ったように、南アフリカとの80分間の戦いのために、通算173日にも及ぶハードワークをおこない、戦術だけでなくメンタルも緻密に準備していったことで、選手たちのリミッティング・ビリーフを外していったのだ。

エディー・ジョーンズの一貫した「準備力」

スポーツウェア
(画像=Getty Images)

私自身、エディー・ジョーンズとはサントリー時代のコーチと選手として、実に彼からはさまざまなことを教わった旧知の仲である。

今になっても実に印象深いエピソードがある。少しだけ紹介しておきたい。

練習が終わってみんなが個々に携帯電話を片手に食事をしていると、突然エディーがやってきてこのようなことを私たち選手に指示したことがあった。

「携帯電話を食事のときに持ってくるな。なるべくみんなで一緒に食べながら、とにかく対話をして次の試合の準備をするんだ!」

当時のサントリーというチームは、それほど勝てるチームではなかった。

それがなぜ、これほどのラグビー名門チームになったのか。それは、エディーの「準備力」にあったように思う。

エディーにとってラグビーは準備がすべてだった。これは私がエディーから教わった大事なことのひとつだ。

それは何もグラウンドだけの話ではない。食事の時間でさえも試合に勝つための準備をする。

「そこまでやる必要はないだろう」と思うかもしれないが、エディーは、ラグビーの話だけでなく、チームメイトに関心を持ってその人となりを知るために趣味などの話ができるようなチーム内対話をとても大事にしていた。携帯電話を見ながら食事をしていた私たちにもそれを伝えたかったのだ。

もちろん、エディー自身が選手たちとの対話を積極的におこなっていたことは言うまでもない。あるとき、私にこのようなことを話してくれたことがあった。

「いいか、キヨシ。選手を含め、日本の指導者を見ていると準備があいまいというか、しっかりつくり込んでないから試合で思うようにいかないことが多いんだ」

これはラグビーに限らず、どのような組織づくりであれ、さまざまな視点や要素を持って準備していく必要があるということだ。

日本代表チームの監督に就任してからも、エディーの「準備力」という指導哲学は一貫していたように思える。

日本人選手は身体が小さい。だからこそ、低いタックルが有効だと考えたエディーがレスリングの練習を取り入れたことは有名なエピソードだ。

ラグビーはどんなに体格差があっても、低くタックルに入ればどんなに大きな選手でも倒すことができる。事実、ワールドカップでは南アフリカの選手たちは日本の選手たちの低いタックルに大いに苦しめられた。

「あんな低いタックルは危険だ」とレフリーにクレームをする南アフリカの選手たちに対して、レフリーは「問題ない。正当なタックルだ」と南アフリカの選手たちの主張を跳ね除けた。

身体が小さいということを弱みと捉えるのではなく、強みに変えて準備していき南アフリカに勝利した。まさに、勝てない理由ではなく、勝てる理由にフォーカスできた好例ではないだろうか。

ラグビーワールドカップ史上最大の番狂わせ。

世界にそう言わしめた「ブライトンの奇跡」。

たしかに、日本が南アフリカに勝利するということは、当時は奇跡と呼ぶにふさわしいかもしれない。

だが、勝てない理由にフォーカスするのではなく、勝てる理由を見つけて圧倒的な準備をすることによって奇跡を必然に変えることができるということをエディーは私たちに教えてくれた。

そして、そんなエディーを信じてひたむきな努力とハードワークに取り組んだ選手たち。まさに、エディージャパンはひとつになったのだ。

選手たちに「勝利」というゴールが達成されたイメージを描かせ、そこから覚悟を持たせる。そんな覚悟が持てれば、誰もがどんなハードワークでもやり抜けるものなのだ。

ONE TEAM!ラグビー日本代表に学ぶ最強組織のつくり方
今泉 清
元ラグビー日本代表、人材育成コンサルタント。1967年生まれ。大分舞鶴高から早稲田大学に入学。天衣無縫ともいえるプレーぶりから早稲田ラグビーを代表する選手として活躍、在学の4年間で関東大学対抗戦優勝2回、大学選手権優勝2回、日本選手権優勝1回と早稲田ラグビー黄金期をつくる。1990年対抗戦明治との優勝決定戦でのロスタイム70メートル独走トライは今もラグビーファンには語り継がれている。大学卒業後はラグビー王国ニュージーランドでプレー。一流のラグビーを経験した後、名門サントリーに加入。1995年にはラグビーW杯南アフリカ大会日本代表に選出されるなど華々しい経歴を持つ。引退後は、母校・早稲田大学ラグビー部のコーチに就任し、清宮克幸監督の右腕として結果を出すと、その後サントリーのプレイングコーチに就任、後進の指導にあたった。現在は、ラグビーを通じて取得した『組織論』をテーマにした人材育成コンサルタント及び講演家として活動しているほか、CSテレビチャンネルJ SPORTSで世界のラグビー解説者を務めている。著書に『オールブラックス圧倒的勝利のマインドセット』(学研プラス)、『勝ちグセ。』(日本実業出版社)などがある。

※画像をクリックするとAmazonに飛びます
ZUU online library
(※画像をクリックするとZUU online libraryに飛びます)